SHANTiROSEINNOCENT SIN-47エミーは世界のあちこちを巡り、すべてを諦め静かに暮らすアンミール人を「勧誘」し続けた。見込みのある集落には、そこのリーダーに何やら魔法をかけ、少量の魔薬を渡した。 「三日待ってやる。期限までに革命軍に入ると決断したらその魔薬を飲め。そうすれば私の城に招待してやるよ」 「私の城って」ジギルが隣から小声で尋ねる。「洛陽線のことか? どうやってあの森を超えるんだよ。中にいる俺たちが出ることもできないのに、外から他人が自由に出入りできるわけがないだろう」 「だから魔法を授けた。魔薬の成分に反応し、私の元に移動できる呪文が発動する」 「じゃあ、もし飲まなかったら?」 「魔薬は自然に消滅する。同時に、お前たちと私との縁は切れる」 そのとき彼らがどうなるのかは、察したジギルはあえて聞かなかった。 そう言い残し、エミーはジギルを連れてその場を立ち去った。 改めて城跡に戻り、ジギルは彼女に疑問と不満をぶつけた。 「何なんだよ、あの話は。本気なのか?」 「は? 何が」 エミーはソファに踏ん反り返り、革命軍の勧誘をしているときの迫力は一転して、気だるそうにパイプタバコをふかしている。 「深層心理がどうとか、戦争はゲームだとか、魔薬が神だとか……!」 「先生には冗談に聞こえたか?」 「ふざけるな。冗談とは思えなかったから聞いているんだ。お前、今まで俺にそんな話しなかったじゃないか」 「お前には話す必要がなかっただけさ」 「……話さなくても、俺が言うことを聞くからか?」 「さすが、察しがいいね。そうだよ。お前の目的は魔薬の研究だろ。そのために人間や世界がどうなるかなんてただの結果だ。理由なんかいらない」 ジギルは怒りで顔を赤くし、拳を握った。 言い返せなかった。自分には、世界のルールを変えるための大義名分なんか必要なかったのが事実だから。 「お、俺はもうお前の仲間なんだぞ」ジギルは目を逸らし。「あんな大層な思想があるなら俺にもちゃんと説明しろよ。情報は共有して当然だろう」 「そうだな。でもお前なら、傍で聞いてるだけでも理解できただろう。あれが、私たちの『正義』だ」 「正義だって? いや、正しいか正しくないかは問題じゃない。お前はあの話を誰から聞いたんだ」 「どういう意味だよ」 「お前の言う『正義』の定義だ。思想なんて情報がないと持ちようがないだろう」 「植物と暮らしているうちに、自然と身に着いたものだよ。私は人間同志のしがらみも、戦争も経験していない。だから野望もなければ悪意もない」 「野望も悪意もない? 俺たちからすればお前は悪党だ。人類の平和を壊す悪魔にさえ見える」 「ふうん……お前はそれを誰に教えてもらったんだ?」 「…………」 ジギルは閉口した。 誰にも教えられていないのに、人間にとっても「神」や「悪魔」の定義は大体統一されている。 エミーは言った。その意識も感情もすべて、原始の石から始まり、一つに繋がっているのだと。 「じゃあ」ジギルは俯いて。「お前がやろうとしていることも、お前の意志ではなく、リヴィオラが構築したプログラムだと言うのか?」 鋭い質問に、エミーは口の端を上げたまま、しばらくジギルを見つめた。彼は怯えたように、小さく震えていた。何を信じていいのか、分からなくなり始めているのだと、エミーは思う。可笑しくて、笑いがこみ上げてきた。ジギルははっと息を吸い、顔を上げる。 「頭のいい奴は臆病だ。一を言えば十を理解し、先を読み、自分なりの解釈を交えて吸収する。知識や経験が多いほど、多くの可能性を見出すのだから慎重になるのは当然のことだ。そしてそれも、生物のとしての自然な姿なんだよ」 「こ、答えになってないぞ。お前だってそれだけの知識があるのに、お前は何も怖がっていないじゃないか」 「私は勉強したわけじゃないからね。そうだね、私は人の姿をした自然災害……とでも思えば、分かりやすいんじゃないかな」 息苦しさを感じたジギルは城を出た。彼はいつも日陰の裏口から出入りする。戸を締め、苔むした壁を背にして物思いに耽っていた。鬱蒼とした彼の気持ちなどつゆ知らず、心地よい風が吹き抜けていく。 (……何が、人の姿をした自然災害、だよ。意味分かんねえよ) エミーはまだ、自分に話していないことがある。隠しているのではなく、必要がないと考えているのだろう。ジギルはそう確信していた。だけどそれが何なのか、どうやって聞きだせばいいのか、見当もつかない。エミーはあまりに特殊だ。疑問をぶつければ答えてくれるとしても、それが自分の知りたいことである可能性は低い。 この猜疑心は何なのだろう。エミーを疑っているのだろうか。 疑う、というのは、何に対してだろう。 エミーの言っていることが嘘で、アンミール人を利用して世界を支配しようとしている? 誰も知らないところに隠されている財産を手に入れ、独占しようとしている? リヴィオラを奪い、ある魔法を使えば「神」になれる? 彼女は本当に悪魔で、得体のしれない何かと契約を交わしている? 実はランドール人のスパイで、アンミール人を一掃しようとしている? いやいや……と、次第に幼稚な妄想に走り始めた思考を止めるため、ジギルは目を強く閉じて頭を左右に振った。疑っているわけではない。信頼しているかといえば、そういうわけでもない。仮に裏切られたとしても……弱者が強者に虐げられるという構図は、何も変わらないのだ。 考えても無駄なのかもしれない。 そう思ったとき、小さな足音が聞こえた。壁の端に、知った顔が覗いていた。村の少女、イジューだった。 イジューは生まれつき耳が聞こえず、言葉も話せなかった。病気や怪我で障害を負ったのなら同情もできるが……と、村人は言葉にはしなかったが、彼女とその両親を疎んじた。そんな不穏な空気など知る由もなく、ジギルはイジューに「目は見えるんだろ? なら筆談すればいい」と無愛想なまま、彼女のために紙とペンを渡し、言葉と文字を教えた。 イジューは文字の練習をするうちに、笑うことを知り、絵を描くようになった。そして描いたものを嬉しそうにジギルに見せに来るのだった。 ジギルは彼女の顔を見て「またか」としか思わなかった。日に日に上達しようが感謝の言葉が添えてあろうが、彼の心には何も残ったことはない。 以前に増して村人の前に出てこなくなったジギルに、イジューは怖がらずに駆け寄ってくる。手にはいつもの画用紙が握られていた。 しかし、今日は少し様子が違った。無邪気な笑顔がなかったのだ。イジューは俯き加減でジギルの前に立ち、絵を差し出した。 手に取って広げてみると、そこには今まで見たことのなかった暗い絵が描かれていた。 イジューは花畑の絵が好きだった。まだ建物や難しい構図は描けない少女にとって、花畑はこの平和な村を表現している。そこに家族や友達が笑っているものばかり描いていた。その中に自分らしき人物の姿もあり、ジギルは寒気を覚えてやめろといつも言ってきた。しかしイジューは、それだけは彼の言うことを聞かなかった。 今日もまた、花畑に村人がいる絵だった。だが様子が違う。咲き乱れる花々に、笑顔はなかった。村人が倒れていたのだ。皆泣いていたり、苦悶の表情を浮かべている。 その中に、たったひとりだけが立ち姿で描かれていた。 黒い服に黒い帽子を被った女性。エミーだと、ジギルは一目で分かった――たとえその顔が「ドクロ」だったとしても。 不気味な絵だった。美しい花畑に悪魔のような黒装束の女。その足元には苦しむ村人たち。普通の感性なら花も枯れていて、すべてが淀んでいたほうがより不安を煽ると考えそうなものだが、花は枯れるどころかいつもより大きく描かれており、生命力に満ち溢れている。 その意味までは読み取れず、ジギルは噴き出した。 「イジュー、お前みたいな純真無垢な子供にも、エミーは悪魔に見えるのか」 ジギルは言いながら、紙の上で指先を動かして文字を書き言葉を伝えた。イジューは深刻な表情のまま、頷く。 「それもそうだな」ジギルは手を引いて空を仰いだ。「それが普通の感覚だ……ああ、そうか、エミーは、それも変えようとしてるってことか」 ジギルは不安そうなイジューの頭を撫で、「これ、もらっていいか」と文字で伝えると彼女は少しだけ微笑んで、絵を差し出した。ジギルはこれをエミーに見せてやろうと思い受け取った、とほとんど同時、雷に打たれたような衝撃を感じた。 魔法だ。今までそれらとは無縁だったジギルだが、エミーの傍にいるうちに気配を感じ取れるようになっていたのだ。 城の中で、大きな魔法が発動した。 ジギルはイジューに挨拶もせず、受け取った絵を折れないように丸めながら城内に駆けこんで行った。 魔法の発信源は、エミーが玄関と言った魔法陣の描かれた部屋だった。 ジギルは息を弾ませながら、扉を開ける。窓のない室内から強い風が洩れ、ジギルは目を顰めた。忍び足で中に入ると、今度は床から発する紫の光に視界を遮られる。数回瞬きすると、床いっぱいに描かれた魔法陣の中央に、「化け物」が立ち尽くしていた。 「よお、ジギル」 化け物と向き合っていたエミーが、ジギルに不適な笑みを見せた。 「我らが革命軍の戦士、第一号だ」 化け物は大きな体をよじってジギルを振り返った。身に着けているもので分かった。彼は、ジンガロだ。真っ赤に血走った瞳は見開かれ、大きな牙は口に収まらずはみ出している。元々大きかった体は更に一回り巨大化しており、頭には二つの角が生えていた。 ジンガロは魔薬を飲んだのだ。そして体内にかけられた魔法を使ってここに来た。エミーの意志に従うため。 ジギルは壁に背をつけ、部屋の隅を伝ってエミーに駆け寄った。 「これ、ジンガロか?」 「本人に訊け」 「え……」 ジンガロはジギルに体を向け、尖った耳の近くまで口の端を上げた。 「そうだ。俺はトリル族、頭領のジンガロだ。革命軍のリーダーに忠誠を誓うため、ここに来た」 知能などなさそうな化け物が流暢に言葉を発する姿は異様だった。 「お前はジギル、エミーの参謀だな」 「さ、参謀?」ジギルはぶるぶると首を横に振った。「そんなんじゃない。ただの協力者だ」 そういうジギルの頭を、エミーは横からはたいた。 「役職名なんかどうでもいいんだよ。私たちは同じところを目指す仲間だ。上も下もない。ここに集まる戦士は、皆命を惜しまない勇猛な神の赤子だ」 「神の赤子……?」 仰々しい言葉にジギルは違和感を覚えたが、ジンガロはその勇ましい言葉に誇りを感じて噛み締めていた。 「トリル族にはもっと魔薬を渡す。ジンガロが人格と実力を認めた者に飲ませるんだ。そして常に私と連絡を取れるように魔法を授ける。それだけではない。自爆の魔法も授けよう。いつ使うかは本人の判断に任せる。それからもう一つ、そうすべきと判断したとき、私の一存で予告なくお前たちの命を絶つ。そのための魔法もかけておくが、異議はあるか」 驚いたのはジギルだった。そうだとしても隠しておくべきことではないのか。自爆はともかく、いつでもエミーに殺されてもいいという意味だ。誰がそんなことを快く思うのか――というジギルの心配は杞憂に終わった。 ジンガロは「心得た」と、迷いなくエミーに跪いたのだ。彼女は満足そうに眼を細めた。 「これでまた一つ、目標へ近づいたな」 ジギルは目の前で起こっていることが信じられなかった。 ふと、手の中にあるイジューの絵を思い出した。そこに癒しや答えでも求めるように、ジギルはそっと開いて覗き見た。 悪魔に逆らうことなく、花畑の中で倒れていく罪なき人々。絵の中の人物のモデルは自分たち、村人そのものなのに、倒れる彼らが何を思うのか、想像できない。 彼の手元の紙に気づいたエミーがそれを横取りする。 「なんだこれは」 ジギルが抵抗する間もなく、エミーは興味深そうに絵を見つめた。 「へえ。この黒装束のドクロは私かい?」 エミーにも自覚があるようだ。見せてからかってやろうと思ったのに、笑っているのはエミーだけだった。 「子供の絵だね。よくできてる。この子は天才じゃないか?」エミーは肩を揺らして笑った。「ドクロ(スカル)が支配する理想郷(アルカディア)……いいね」 熱い息を吐く戦士に、エミーは目を爛々と輝かせて宣言した。 「私たち革命軍の名は『スカルディア』だ」 教養のないジンガロには理解できなかったが、ジギルは隣で嫌な顔をしてみせた。 「な、なんだよそれ……マーベラスのこと、奇特だの酔狂だのバカにしてたくせに。お前も結局そういうのが好きなのかよ」 「無粋な奴だな。組織には名前がないと締まらないだろう。兵の士気にも関わる重要なことだ。実力をつけて定着すれば名前にも威厳が出る」 「ああ、そう……なら好きにすれば」 「可愛くないな、お前は」 エミーはジギルを蹴飛ばし、不気味な子供の絵を額に入れて祭壇の端に飾り始めた。 きっとイジューはこんなところに大事に飾られても嬉しくないと思う。だがジギルは何も言わなかった。この絵が目に入る場所に飾ってあるのは、きっと自分にとって悪いことではないと感じたからだった。 Copyright RoicoeuR. 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