SHANTiROSE

INNOCENT SIN-63






 カームとジギルが暴れていた部屋から物音が消えた。
 心配で隣の部屋へのドアを見つめていたミランダとイジューは顔を見合わせた。
「静かになったわ」
 中を覗いてみようかと迷っていると、廊下のほうから別の物音が聞こえてきた。数人の足音と声が近づいてくる。その声の持ち主がドアをノックし、返事を待たずに開けて中に入ってきた。
「ジギル、いる?」
 現れたのはミランダと同じ年の頃の少女だった。槐のマントを羽織っているところから、スカルディアの魔法使いだということだけは分かる。
 少女の背後から、ハーキマーとメノウも続いて来た。
「……ベリル」
 先頭にいた少女を見て、イジューが呟いた。
 ベリルは室内にいたイジューに気づき、にっこりと目を細める。
「イジュー、ここにいたの? あ、魔薬を使ったこと、ジギルに言った?」
 イジューはまた泣きそうな顔になり、フードを被って俯いた。
「あら、怒られたの? 可哀想にね。まったく、あの無神経男は女子供の区別を付けられないからね。文句ばっかり言ってないで、ちゃんと分かるように話してあげればいいのにね」
 そう言いながらアハハと笑ったあと、次にミランダを見て目を見開いた。
「あっ、あなたが例のお客さんね」
「お、お客さん……?」
「そう、なんだかおかしな魔法使いさん」
「おかしなって……」
 ミランダは妙に明るいベリルに戸惑った。そんな彼女にベリルは顔を近づけた。
「あなた混血なんですって? 初めて見たわ。面白い」
 バカにしているのだろうかと、ミランダは気を悪くしそうになったが、ベリルは構わず話を進めていく。
「髪も瞳の色もきれいだし、肌もツヤツヤじゃない。あなた可愛いわね。名前は?」
「……ミランダ」
「ミランダね。私はベリル。ほんとに可愛い。友達になりたいわ」
 ミランダは、屈託のない笑顔で手を握ってくるベリルが「まるでカームのようだ」などと考えた。
「それで」ベリルは手を放し、背後の二人を指した。「こっちがハーキマー、こっちはメノウよ。私たち、スカルディアの魔法使い。よろしくね」
 ミランダは困惑しながらも、メノウと目が合ってあっと声を上げた。
「あなた、私たちを誘拐、監禁した魔法使いね」
 メノウは不愉快そうに舌打ちをした。
「そうだよ。だから何だ」
「私たちは工作員でも何でもないのに、よくも酷いことをしてくれたわね」
「あんなところをウロついて変な会話してるお前らが悪い。私じゃなくても怪しい奴らにしか見えなかった」
「ろくに話も聞かなかったじゃない。こんなところに連れて来て、殺されてたらどう責任取るつもりだったの」
「責任? 何言ってんの? 殺されたならお前たちが私たちの敵だっただけって話だろ。相応の末路だよ」
「でも殺されてないわ。つまり、私たちは冤罪で捕まったの。あなたの勘違いでね。反省なさっているの?」
 メノウはうんざりした顔で、隣のハーキマーに耳打ちする。
「なんかこいつ、面倒くさいな」
「ちょっと! 聞こえてるわよ」
 怒鳴るミランダを、笑顔のベリルが「まあまあ」と宥めてきた。
「そんなことより!」ベリルは声を高くし。「あなたともう一人いたんでしょ?」
「ええ、まあ」
「メガネの可愛い男の子なんですって? ねえ彼はどこにいるの?」
「ジギルと、隣の部屋で話し込んでるみたい」
「隣? もう終わったかしら?」
「カ、カームがどうしたの?」
「カームっていうの? その彼、まともな人間なんでしょ?」
「まとも?」
「ああ、あなた他所から来たから分からないのね。ここじゃまともな男って貴重なのよ。ここに来る男はほとんどが魔士になるの。そうじゃなくても妻子持ちとかお爺さんとかで対象外ばっかりだし。いくら元がいい男でも、化け物になっちゃったらときめきも何もあったものじゃないわ」
「ときめき……」
「私たちだって死ぬ覚悟でここに来たんだもの。少しくらい楽しみがあったっていいでしょ?」
 ベリルが軽薄で不謹慎な女の子だと思っていたミランダは言葉を失った。
 死ぬ覚悟で――こんなに明るい笑顔を見せる少女もまた、魔薬を使ってランドール人と戦う革命軍の一人なのだ。そして、足元で小さくなっているイジューもその一人。実感するにはまだ時間がかかりそうだと、ミランダは眉尻を下げた。
「私たちの近くにいる、独身で人間の姿をした男といえばジギルくらいだし」ベリルは空気を読まずに続ける。「もうスカルディア内で出会いなんかない、私たちは今自由なんだし、外に探しに行くしかないのかなあ、なんて思ってたところだったの」
「……う、うん、それで?」
「そんな矢先に、外から普通の男の子が来たっていうじゃない。ねえ、その子、紹介して」
 ミランダはベリルの勢いに押され、狼狽気味だった。きっとカームなら、この状況をかなり喜ぶだろう。しかし男女の仲を取り持つ役なんてやりたくないミランダは、仲良くなるなら勝手になって欲しいと思う。
「そのうち、部屋から出てくると思うから……」
「そうね。ああ、待ち遠しいわ」
 両手を胸に当ててドアを見つめるベリルの向こうには、カームと、ジギルもいる。ふとフードを被ったイジューに目を移すと、今度は違う不安を抱えた顔をしていた。
(……確かに、この感じなら、イジューが心配になるのも分かるわ)
 ジギルの恋愛観は知らないが、こんなに明るくて積極的な若い女の子が近くにいれば、浮わついた気持ちが生まれても不思議ではない。彼に人並みの感情があるなら、だが。
 ミランダはつい興味が沸き、苦笑いを浮かべた。
「あの、ジギルって、どういう人なの?」
 漠然とした質問から入ったつもりのミランダだったが、恋愛脳のベリルはそのことしか頭にない。
「なに? あなたジギルが気になるの?」
「えっ、ち、違うわよ。変わった人みたいだから、みんな、どんなふうに付き合っているのかなって」
「そりゃあねえ、あんなんでも他にいないから、最初は磨けば光るんじゃないかって思ったわよ。でも全然ダメ」
「ダメ?」
「こんなに可愛い女の子に囲まれていながら、いっつも不機嫌ですぐに追い払うのよ。そのくせ用だけは言いつけてこき使うんだから。仮にあれが背の高い美形でも残念としか言いようがないわ」
「そうなんだ……」
「そもそも、あのエミーの胸、ねえ、ミランダは見た?」
「む、胸?」
「そう。エミーって怖いけどスタイルはすごくいいじゃない? 女の私でもついついあの爆弾みたいな胸に目が行くっていうのに、ジギルはちらっとも見ないのよ。ちょっと異常よね」
 確かに、エミーは怖いが、つい目を奪われるほどの深い谷間を露出している。ミランダでさえ印象に残るほどグラマラスだった。
「ジギルにとっちゃ人間は女も男も全部、ただの喋る肉の塊なんでしょ。きっと本の読みすぎで、頭の中がどっか壊れちゃってるのよ」
 顔を合わせて笑うベリルたちは、どこにでもいる少女にしか見えなかった。ハーキマーはあまり表情を変えなかったが、うんうんと頷く様子で二人と同じ気持ちを共有していることが分かる。
 三人とジギルは適度な距離を保っていい関係を築いているようだ。革命軍としての立場に上下はあっても、物怖じせず言いたいことを言える少女たちを見ていると、ジギルはそんなに悪い人間ではないのだろうと思える。
 彼女たちは毎日楽しいことを探しているのだ――いつ死んでもいいように。
(本当に、この子たちは自分たちのしていることを理解しているのかしら)
 ミランダは言いようのない不安を抱いた。
 俯いたとき、黙って立ち尽くしていたイジューが視界に入った。様子を伺うと、とりあえずジギルがこの中の誰かと特別な関係をもっているわけではなさそうなことだけは理解したのか、先ほどまでの情けない表情は消えていた。だが彼女に少々早い話のようで、会話に入ることはできなかった。
 そのとき、女子たちの騒ぎ声を聞きつけ、ジギルが乱暴にドアを開けた。
「うるせえなお前ら!」
「あっ、ジギル、話は終わったの?」
 ベリルは怒鳴られても驚きもせず、更に大きな笑顔の花を咲かせた。
「お前ら、何勝手に人の部屋に入ってきて騒いでんだ! 出ていけ!」
「ねえ、話は終わったの?」
「終わってねえよ!」
 ジギルが再びドアを閉めようとした寸前に、ベリルは素早くドアを掴んで彼の背後を覗いた。そこには、様子を伺っているカームがいた。
「あなたがカームね!」ベリルはジギルを押しのけ。「ねえこっちへ来て。お話しましょう」
 カームは途端に頬を緩め、戸惑いながらドアから出てきた。
「まともな男性だわ。嬉しい」
「ど、どうも……」
 ミランダはすぐにデレデレになっているカームに呆れるより早く、顔の傷に気づいて急いで駆け寄った。
「カーム、その傷、どうしたの?」
「え? ああ、転んだだけですよ」
「転んだ? 話し合ってたんじゃないの? どうして転ぶのよ」
「ジギルがやったのね」とベリルが割り込む。
「そうなの?」
「いやー……まあ、大した傷じゃないんで、すぐに治ります」
「ジギル!」ベリルはジギルを睨み。「性格悪いだけじゃなくて暴力まで振るうなんて、最低よ」
「お前には関係ないだろ。いいからさっさと出ていけ」
「そういう態度取るんなら、もうご飯作ってあげないわよ」
「またそうやってすぐ俺を脅す。お前も結構性格悪いからな」
「やだ。あんたに言われたら立ち直れないじゃない。前言撤回と、丁寧な謝罪を要求するわ」
 慣れた様子の会話の隙に、ミランダが割って入る。
「ベリルは料理が上手なの?」
「ここに来る前から得意だったの」
「そうだよ。食べ物でメンバーを釣って、調子に乗ってでかいキッチンなんか作らせやがった。汚い女だよ」
「当然でしょ。好きなことを自由にしたいからここに来たんだもの。でもね、汚いのはあんたの方。私が来たときのここの不潔さには辟易したものよ。だからついでに、バスルームもたくさん増やしてもらったのよ」
「俺が言ってる汚いはそういう意味じゃねえよ」
「ねえ聞いてよ」ベリルはミランダに体を寄せ。「こいつったら勉強に夢中で時間を惜しむあまり、気絶同然で眠るまで体を休めないときがあるのよ。つまり、お風呂にもろくに入ってないってこと」
 この話をするとたいていの女子は引く。ミランダも例外ではなかった。
 ジギルは威嚇する犬のようにベリルを睨むが、反論できずに唸るだけだった。
 これまで散々汚いだの臭いだの説教されてきた。だが嫌々ながら風呂に入る癖をつけると、今までのように溜まった汚れを放置できなくなっていた。彼女たちが来てからバランスのいい食事も強引に取らされるようになり、以前より記憶力がよくなったり、体調がいいことを実感していたのだった。
「このお城、まだまだ汚くて狭くて最低だけど、これでもかなりよくなったほうなのよ」
 自分が中心になって改善してきたことを自負するベリルは、得意げに両手を広げた。
「ジギルはベリルのシチューが大好物なんだ」
 メノウが笑いを堪えながら言うと、ジギルはバツが悪そうに顔をそむける。
「確かに料理は上手いが、俺はこいつ嫌い」
「こら、ジギル」ベリルは腰に手を当て。「逆でしょ。そういうときは、俺はこいつが嫌いだけども料理は上手くて可愛い、って言いなさい。それだけでだいぶ印象が違うのよ」
「可愛いは言ってねえ。思ったこともねえし。お前のそういうところが嫌いなんだよ」
 ジギルは本気で苛立っているようだが、ミランダには微笑ましいやり取りに見えていた。もっと彼女たちの話を聞きたい。そう思っていると、じっと黙っていたカームが急に動き出した。
「ジギル、ちょっと待って」状況が読めずにいたカームだったが、堪らずジギルの肩を強く掴んだ。「どういうこと? この子たちは君のなに?」
「な、なにって、何だよ」
「ちょっと、仲が良すぎるんじゃないかな? なんて言うか、まるで夫婦みたいな会話してるよね?」
「…………?」
 カームの疑問はジギルにとって考えたこともなかった発想で、ついていくことができずに言葉を失っていた。
「誤魔化さないでちゃんと答えて。ここにいる女の子の誰か……君の、恋人なの?」
 カームには重要な問題だった。対等、というか同類だと思っていた友達に、実は可愛い恋人がいて夫婦同然の生活をしているなんて、あまりにも残酷な現実である。
 しかも一人でなはなく、少なくとも三人の女の子に囲まれているのは確かで、更に彼に思いを寄せ、体を張って追ってきた幼い少女までいる。もう一つ加えるなら、怖いとはいえセクシーな大人の女性であるエミーという相棒までいるのだ。
 何にしても羨ましい。
 こんなに恵まれた者に無抵抗で殴られたなんて、カームは憎しみの気持ちが沸いてきた。
 怒りで顔を紅潮させるカームに比例し、彼の考えていることが分かってきたジギルもこみ上げる怒りで体を震わせて怒鳴りつけた。
「お前、ほんっとにバカなんだな!」
 ジギルより先にカームの誤解に気づいていたベリルとメノウは腹を抱えて笑い出した。ハーキマーも片手で口を押さえて肩を揺らしている。イジューはただ隅っこでみんなのやり取りを見つめているだけだった。
「なんだよ、バカって!」カームも負けじと大声を上げた。「違うの? じゃあこの光景はなに? なんでこんなに女の子が君の周りに集まってるの? 恋愛感情がないなんてあり得ないよ!」
「あり得ないわけがあるか! こいつらはエミーが連れてきたんだし、女ばっかりなのはただの偶然だ。お前は近くに女がいたらいちいち邪な感情抱いてんのか? 俺はそんなに暇じゃねえんだよ!」
「こんなにたくさんの女の子に囲まれてなんとも思わないなんて君はおかしいよ! あ! まさか! ハーレム? 権力にものを言わせて女の子を集めているんじゃないの?」
「いい加減にしろ! お前、よくそんなこと思いつくな。頭の中どうなってんだ!」
「君がそんな人だなんて、がっかりだよ。この裏切り者! もう友達じゃない! 僕からお断りするなんて初めてだよ。君のしていることはそれだけ酷いことなんだよ!」
「お前と友達になった覚えはない! ああ、クソ!」
 面倒になったジギルはカームの頭を叩き、また首根っこを捕まえた。
「いいから、まだ話は終わってねえんだよ。こっちにこい!」
「もういやだよ。疲れたよ」
 ジギルは半泣き状態のカームを無理矢理引きずっていく。
「ジギル、なんの話をしているの?」
 再び隣の部屋に向かうジギルに、ミランダが急いで声をかけた。自分の力を知られたくないカームは素早く顔を上げてジギルの代わりに答える。
「秘密!」
「ええ……」
 取り付く島もない二人はそのまま隣の部屋に消えていった。
 未だ笑が止まらない三人を見て、ミランダはため息をついた。
「楽しそうね」
「ええ」ベリルは笑いすぎで潤んだ目を拭いながら。「すごく楽しい。こんなに笑ったのは久しぶり」
「……正直、意外だわ」ミランダは声を落とす。「革命軍って、もっと緊張感漂ってて、みんな尖ってて、薄暗いものかと思ってた」
 しんみりと言うミランダを見て、三人は一度笑うのを止めていた。しかしすぐにベリルはまた笑い出した。
「そっか。あなたはここじゃないところから来たんだったわね。しかもスカルディアの外の集落でもなく、もっともっと遠いところ――って、一体どこから来たの? カームといい、なんだか偏見が強いように見えるわ。どこで育ったらそんなイメージ持つの?」
「それは……」
 ミランダは目を伏せ、自分を省みた。
 確かに、彼女の言うとおりだと思う。自分とカームの持つスカルディアのイメージは、平和な世界での物語から得たものでしかない。
「私たちは……信じられないとは思うけど、こことは違う歴史を辿った別の世界から来た、迷子、みたいなものなの」
 三人は顔を見合わせ、真面目な顔のミランダを二度も三度も見直していた。
「えーと」ベリルはとぼけた声を出し。「違う歴史? 別の世界? 迷子?」
「話すと長いんだけど……私たちの世界では、魔法戦争でアンミール人が勝利したの。それから長い時間が過ぎてた。だからあなたたちとは生まれ育った環境も何もかもが違うの」
「ああ、だから……おかしなことばかり言ってた、っていうのは、そういうことなのね」
「まあ、そういうこと、なのかな」
 三人はまた顔を見合わせていたが、とくに言葉を交わすことなく、再びミランダに向き合った。
「そっか」ベリルはにこりと目を細める。「よく分からないけど、きっと凄いことね。アンミール人が革命を起こしたときくらい? それ以上? それほどでもない? まあ、なんでもいいわ」
「いいの?」
「平気よ。もう多少のことじゃ驚かないわ。だって、敗戦で虫同然だったアンミール人がこうしてマーベラスと対等に戦っているんだもの。誰も考えられなかったことなのよ。エミーが宣戦布告したときの衝撃を体験しちゃったら嫌でも心臓が強くなるものよ」
 この世界の人々にとって、革命軍の発起はかなりの衝撃だった。アンミール人だけではなく、ランドール人にとっても。それからこの世界に安全な場所はどこにもなくなった。
 ここは「そういう世界」なのだ。
 ミランダは自分の考えに自信があった。だがここでは、正しく生活するに最低限のルールである「当たり前」も「常識」も通用しない。人間同士で決めたルールを破った殺し合いに加担する少女たちを責める気持ちは、不思議と沸いてこなかった。
「ねえミランダ、あなたたち、しばらくここにいるの?」
「え? ああ……今とのころ、どこに行けばいいのかも何も分からないの。まったく、先が見えない状態よ」
「じゃあ今日はみんなで食事しましょう。腕によりをかけて、いつもより豪華なものを用意しちゃうわよ」
 ベリルの言葉に、ミランダは自然と頬が緩んだ。自他ともに認める料理上手の彼女の手料理は純粋に楽しみで、その場にいた他の少女たちも同じように喜んでいた。
「私もお菓子作りが好きなの。手伝わせて」
「もちろんよ。ミランダだけじゃなくて、他のみんなもね」
 一同は無邪気な笑みを交わしながらキッチンへ移動していった。
 残り少ない時間を大切にしながら――。





   

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