SHANTiROSE

INNOCENT SIN-68






 人類滅亡の危機が訪れています――。
 レオンの衝撃的な言葉で会議は始まった。
 会議室にはクライセンとロア、ラムウェンド、サンディルがレオンの傍に位置し、以下にアンバー、ハーロウ、ヴェルトという面子が収集されていた。本来ならレオンの明かす内容の重要性からして、もっと何倍もの数の高等魔法使いの顔が並んでいるべきなのだが、レオンの希望どおり、マーベラスの中でも一握りの魔法使いだけが呼ばれていた。
 室内の窓は厚いカーテンで塞がれており、扉の外には厳重な警備が敷かれている。
「エミーの目的が分かりました。彼女はこの世界を魔薬で破壊し、人類を滅ぼすことなのです」
 レオンは前置きもなく話し始める。
「いえ、正確には、人類を滅ぼし、魔薬が支配する世界に変えようとしています」
 室内の空気が不穏なものに変わっていく。魔法使いたちは顔を合わせながらも、勝手に口を開く者はいなかった。
 レオンは伏し目がちのまま続けた。落ち着いているようだが、考えると何も言えなくなりそうだと思い、感情を押し殺して平静を装っている。
「残念なことにエミーに悪意はありません。彼女自身も滅ぶ人類の一人に入っています。彼女の目的は、リヴィオラを大地に返すことです。この世界を成形しすべての生命の源となっているのはリヴィオラであり、リヴィオラの母体は大地です。だから大地に根付く植物がこの世界の支配者となるべきで、魔力を持つ魔薬の繁栄が本来のあるべき姿だと信じているのです。彼女にとって人間とは摂取するだけで資源を食い尽くし、自分の都合のいいように他の生物を生かし、殺し、理由もなく醜い争いを繰り返す、食物連鎖の頂点には不相応な下等生物。だから愚かな人類から知性を奪い、この世界を正しい姿に進化させる。それが、エミーの革命の真意だったのです」
 レオンが一呼吸置くと、クライセンが発言する。
「それは、私のドッペルゲンガーが明かした事実なのでしょうか」
「そうですね……予感はありました。それを明確にしたのが彼でした」
「予感というのは?」
「私が前から何度も見ていた悪夢です。あれは、予知夢だったのです」
 予知夢という言葉に、ロアがぴくりと反応した。
「いつからか、奇妙な夢を見ていました。途中までは数人にお話しておりましたが、あれには続きがあったのです」
 レオンは顔を上げ、大きく息を吐いたあとに両手を広げて手のひらを上に向けた。すると部屋の中心に水の塊のような大きな球体が現れる。球体は回転しながら揺らぎを掻き消していき、内側から映像を映し出した。
 先ほど星見の部屋で映し出したものと同じ映像だった。巨大な魔薬が大地を支配し、人の姿をした動物が植物の餌となっている様子が皆の生理的嫌悪を刺激する。
 誰もが目を見開き、青ざめていった。
 その悍ましい悪夢にそれぞれが恐怖を抱き身震いを起こす。吐き気を催し口元に手を当てる者もいた。
 レオンが広げていた手のひらを結ぶと、映像は球体と共に縮小して消滅した。
「……このままでは、今の映像が現実になるというとなのでしょう。そのために何をすべきか、皆さんの力を貸していただきたく思っています」
 そのつもりだった者たちは、暗い表情を浮かべながらも取り乱すことはなかった。
 次にレオンが皆に見せたのは、枯れた球根だった。
「これはウェンドーラの屋敷の庭に潜んでいた魔士が持っていたものだそうです。魔士はクライセン様が留守だと思ってこれを植えに来たものだと考えられます。しかし彼らの計画は狂った。いないはずのクライセン様がいて、魔士も式兵も撃退され、球根を奪われた。このことは、スカルディアにとって受け入れ難き、現実ではありえない出来事となっていることでしょう」
 そこで、アンバーが「あの」と発言した。
「魔士と式兵はどの程度の規模のものだったのでしょう」
「魔士は一人で、式兵も地中に数匹ほど潜んでいただけだと聞いています。彼らの目的は密かに球根を植えるだけだったため、少数で潜伏したのでしょう」
「クライセン様が屋敷に在宅されていたこと、魔士たちが撃退されたことはスカルディアにもう伝わっているのでしょうか」
「ウェンドーラの屋敷の周辺にスカルディアが足場にできるような領地はありません。少し離れた場所に魔法使いを潜ませ、魔法で魔士たちを屋敷に送り込んだのでしょう」
「そういえば」ヴェルトが上半身を前に傾け。「ここに収集された直後にクルマリム周辺を警備していた魔法兵からある報告を受けました。まだ陛下のお耳に届いていなかったようでしたら申し訳ないのですが、クルマリムとウェンドーラの屋敷を繋ぐ道の途中でスカルディアの魔法使いが風に乗って上空で消えたそうです。一瞬だったため不確かですが、二、三人いたという目撃情報があります。それが魔士たちを屋敷に送り込んだ者だったのでしょうか」
「私も聞いています」と代わりに返事をしたのはクライセンだった。「そのとき、近くに私がいて、シルオーラの城に向かうと言ってなんの指示も出さずに立ち去ったそうです。私たちはドッペルゲンガーの存在を知っていたので、それが何者がすぐに理解しました」
「では彼は、スカルディアの魔法使いを取り逃がしたということでしょうか」とロア。
 クライセンはロアの言葉の裏に棘を感じたが、表情には出さず今は考えないことにした。
「そのことについては」とレオン。「とくに伺っておりません。どういう状況だったのか不明なのですが、ただ、その魔法使いがスカルディアにあったことを報告しているのは間違いないでしょう」
「では」とアンバー。「スカルディアにクライセン様のドッペルゲンガーが現れたことまで伝わっていると思われますか?」
「いえ……」レオンは少々俯き。「ウェンドーラの屋敷であったことに関してはこれ以上の情報はまだありません――では、次にこちらを見てください」
 レオンは誰とも目を合わせずに枯れた球根を手に乗せた。
「最初は暗い紫色でしたが、今は枯れています。彼もこれが何なのかご存知なく、私含めこの国にあるすべての情報をかき集めても正体不明の魔薬です」
 一同は掘り下げることなく話を進めていくレオンに戸惑うが、重要な話がされていることだけは嫌でも分かる。
「枯らしたのは私です。この魔薬からは何の悪意も感じられませんでした。スカルディアがなんのために危険を冒してでもこれを植えようとしていたのか、見ているだけでは分からなかったので、試しに私の手のひらの上で魔力を与えてみました。すると球根は突然根を伸ばし、私の腕に絡みついて皮膚に侵入してきました」
 室内がざわついた。無事だったのかという質問をされる前に、レオンは袖を捲ってその痕跡を皆に見せた。
「少々、根が這った痕が残っているだけで痛みはありません。皮膚に違和感もなく、後遺症もないでしょう。これは小さな実験に過ぎません。私は咄嗟に魔法で球根の命を吸い取り、奪いました――なぜなら、この球根は私の魔力を強い力で吸収し、急速に成長しようとしていたからです。何もしなかったら球根は体中に根を張り、私を支配したでしょう。それがこの球根の目的なのか、そうすることで彼らがなんの利を得るのかは分かりません」
 サンディルが席を立ち、「触ってもよろしいでしょうか」と片手を差し出した。
「これはもう完全に死んでいます。調査して得られる情報は少ないかもしれませんが、危険はありません」
 レオンがサンディルに球根を渡すと、彼は興味深そうにそれを見つめながら席に戻った。
 魔法使いたちはレオンの話した内容にまだ着いていけないような様子で、無言で目を合わせていた。おそらく皆が同じ疑問を持っていると察したアンバーが発言した。
「あの……レオン様の仰った、球根の命を吸い取り、奪った魔法というのは……」
 もっともな質問である。レオンは一つ呼吸を整えてから話した。
「エヴァーツの魔法です。エヴァーツは私の属性です。いつからか、そうではないかと思っていたのですが、使う機会もなく、今まで黙っていました」
「それは……クライセン様のドッペルゲンガーが持ち込んだ情報の一つなのでしょうか」
「いいえ。彼がきっかけになったのは確かですが、ご存知だったわけではありません。彼のいる世界に、ザインの息子は存在しないからです」
「存在しないとは?」
「彼の世界では、魔法戦争でザインはイラバロスに首を落とされて死亡しました。私という存在は生まれる前に消えてしまったそうなので、彼は私のことは何もご存じありません」
 聞きたいことが山ほどある一同だが、何から質問すべきか分からずに困惑していた。ここで明かされた話は国の将来を左右するほどの重大な情報だ。なのに、情報量が多すぎて頭の中がまとまらない。
 レオンは何も変わっていないように見えた。凛とした空気をまとい、穏やかで素直。別次元の存在と接触しても取り乱しているような様子もない。だが、何かが違う。
 そういえば、と思う。
 今までレオンは与えられていてばかりで、彼から行動を起こすことはなかった。
 その変化は誰もが待ち望んでいたことだった――はずなのに、なぜか心許ない。そんな違和感が、魔法使いたちを困惑させていたのだった。
 足りないものは一体何なのか。ここにいる魔法使いたちは同時に同じことを考えていた。答えがすぐに出た。
 レオン自身の気持ちや本音が聞けずにいるままだったからだ。
「……質問を」ロアが沈黙を破った。「よろしいでしょうか」
「はい」
「レオン様は、なぜ、今ままでご自身の力を黙秘されていたのでしょうか」
 レオンは俯いたまま、考えた。考えてみたが、彼らに納得してもらえるような理由はない。すべて正直に話さなければと、心を決める。
「よく分からなかったからです」
 漠然とした返事に、一同は首を傾げるしかなかった。
「本当にこれがエヴァーツの力なのか、そうだとして、何のためにこんな力を持ったのか、これを必要とする日は来るのだろうか……何もかも、分からないままだったからです」
「しかし」とクライセン。「その時は来ました。私たちはどうすべきでしょうか。ご命令を」
「それは……」レオンは目を泳がせたあと、顔を上げた。「すみません、今はまだ、私は何もできません。まずは力あるあなた方にお伝えすべきと思い、お話しただけです。これから何をすべきか、どうか、共に考えていたけませんでしょうか」
 レオンは立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。一同は彼の態度に驚き、同じように全員が腰を上げた。
「陛下、頭を上げてください」慌ててラムウェンドが駆け寄る。「そのようなことなさらずとも、私たちはそのつもりでここに居ります」
「いいえ。この重要な会議を少数でお願いしたのはこのためです。私はザインの息子として生まれただけで、この完璧な国の一番高い位置の椅子に座らされているだけなのです」
「そのようなこと……!」
「自分の力は自分が一番よく分かっています! 今までなんの苦労もなく、美しく優秀な魔法使いたちに守られて優雅に暮らしてきました。私には不相応な待遇だったのです。相応しくない環境に甘えてきた私にできることは、こうして頭を下げて許しを請うこと。今は私にできることをさせてください」
 レオンの懇願はあまりに突然のことで、ただでさえ考えることが山積みで狼狽していた一同は面食らっていた。
「……そんな結論に至ったのも、私が生まれてこなかった世界が存在していることを知ったからでした」レオンは声を落とし。「私は本来、生まれる前にアンミール人に存在を抹殺される運命だったのです。だけど、アカシアの力で、間違って生まれてきてしまった。ずっと私の中にあった疑問の一つが解けたと思いました。自分の存在が、まるで宙に浮いているような、幻のような、地に足が着いていないような気がしていました。その理由は、世界を創る原始の石が、いるはずのないものが生まれてしまったことで、私が生きるための土台を無理に作っていたから……世界そのものが違和感を抱き続けていたからだったのです」
 レオンの瞳は次第に虚ろになっていた。まるで世の中を憂いているような悲しい色に染まっている。
 無理もない。今まで大事に守られ、この世界の誰もがずっとこのままだと信じていた。なのに突然「生まれてくるはずではなかった」という事実を、知る必要のないことを知らされてしまったのだ。苦労や不幸から遠ざけられていた少年には重すぎる現実だ。
「ですが……」レオンは静かに拳を握り。「自分自身を否定することはこの世界を否定するのと同義。もしもこの世に神がいるとするなら、この悪夢は私への罰です。だから受け入れます。いつか私の命が果ててもなお、この世界が永く続くよう、人々の道しるべとなるつもりです」
 だからどうか、力を貸してください。
 レオンは改めて己の未熟さを認めて頭を下げた。





   

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