SHANTiROSE

INNOCENT SIN-69






 会議は終わり、一同は室を後にした。
 レオンはラムウェンドと共に自室へ戻り、サンディルは球根を持って研究室に向かった。他の魔法使いたちはしばらく無言で廊下を進んだ。警備兵もいなくなった頃、二つの廊下が交差し、道が四方に伸びる位置で足を止める。周辺に人の気配がないことを確認し、一同は顔を見合わせた。
「まるで……」煌びやかな天井画を見上げ、クライセンが呟く。「私たちまでも宙に浮いてしまったような感覚だな」
 皆が同じ気持ちのまま、ヴェルトがため息を吐いた。
「なぜレオン様は私たちに何の命令も出されないのでしょう」
「レオン様自身も困惑されています」とロア。「ご自分が何をすべきか、慎重に考慮されているのでしょう」
「人類滅亡の危機が分かったのなら」とアンバー。「すぐにでも新しい指示を出されればいいのでは。今私たちは陛下の『犠牲者を最低限に留めよ』という命令に従っています。『総力を挙げて敵をせん滅せよ』と仰って下されば、すぐにでも行動できます。それをされない理由が分かりません」
「みんな、落ち着いて」とハーロウ。「人類滅亡という情報は夢とドッペルゲンガーがもたらしたもの。どちらも不確かで、現実ではありえないこと。正義感と憶測だけが根拠となるならもっと早く陛下は行動なさってる。慌てて私たちが総攻撃を始めても国民は混乱し支持は得られず、何の解決にもならない」
「なぜ? エミーを捕えスカルディアをせん滅すれば『革命』は失敗に終わる。それなりの犠牲は出るとしても、人類が滅亡しこの地上にある歴史や文化、知識のすべてを失うくらいなら、愚かと言われても戦ったほうが最悪の状況は避けられるのでは?」
「エミーの言う『革命』はリヴィオラを大地に還し大地を本来の姿に戻すこと。人類滅亡への恐怖はあくまで人間側の感情よ。原始の石からすれば、それも一つの大地の在り方なんじゃないの」
 一同はハーロウに視線を集めた。不意を突かれて驚いたようなそれだった。
「では、君はエミーの暴挙に正当性があるとでも思っているのか?」
「いいえ」ハーロウは一切怯まなかった。「私たちの役目は陛下をお守りすること。マーベラスにとってスカルディアが敵であることに変わりはないわ。だけどその陛下が迷っていらっしゃる。私たちにできることはそんな主君を支えることでしょう。耐えることも大事な任務よ。その結果、どんな結末を迎えたとしてもそれがこの国の未来なの。例え滅んだとしてもそれは敗北でも失敗でもない。陛下が選んだ道なの」
 納得がいかない。が、反論もない一同は彼女から目を離し、複雑な現実に歯噛みした。
「これは戦争じゃない。エミーはそう言ったでしょ。それなのに勝ち負けにこだわるようじゃ、その時点で私たちの負けよ」
「それじゃあ」とクライセン。「私たちは何もせずにじっと待つのが最善だと思うのか?」
「何もせずにとは言ってないわ。陛下を信じる。そして、私たちにできることを続けるの」
「私たちにできること?」
「みんな、弱気にならないで」ハーロウは口の端を上げ。「私たちは魔法大国の中でも最高位の、精鋭の魔法使いなのよ。戦うだけが能力じゃない。まずは、幻を現実にして足元を固めることから始めましょう」
 気を引き締め直した一同はその場で解散した。

 ハーロウと同じ方向に向かっていたアンバーは未だに責任を感じており、割り切れない思いを抱えていた。
「なあ、ハーロウ。私たちがドッペルゲンガーと話をしてみてはどうだろう」
 二人は足を止めないまま会話する。
「どうして?」
「クライセン様以外となら会っても問題ないんだろう? 彼の世界のことがこちらに影響を与えているならもっと詳しく聞いたほうがいいんじゃないのか」
「そうね。確かにとても興味深いわ。この世界にはない知識や魔法を得ることができるかもしれないものね。でも余計なことまで知ってしまいそうで、私は怖い」
「余計なこと?」
「私たちが宙に浮いたような気分になったのは、ドッペルゲンガーの存在によってこちらの世界のほうが、アカシアが後から作り出した『偽物』だと感じたからでしょう。事実だとしても、そんなこと知る必要はなかったじゃない。いいえ、知らないほうがよかったと私は思ってるわ」
 アンバーは言葉を失って唇を噛んだ。彼女の言うとおり、知ったことによって心が揺れているのだ。だが本当に知らないほうがよかったのだろうか? 知らなければ、このままエミーにいいように翻弄されていただけではないのだろうかという疑問も晴れない。
 ハーロウは足を止め、苛立ちを隠せずにいるアンバーを見つめた。
「知る必要のないことを知ることも、知ったあとに知らなければよかったという気持ちも、人間特有の矛盾した行為よ。答えなんか求めなくていい。矛盾しているんだから、突き詰めないで」
 アンバーと付き合いの長いハーロウは、彼の心情を察して、なんとかしたいと思っていた。
「それより、あなたには相談したいことがあったのよ」
「相談?」
「ドッペルゲンガーよりも、会って話してみたい人がいるの。あなたの考えを聞かせてくれる?」



 大地の表面上ではとくに変化はないまま、地平線に太陽が沈んでいった。
 レオンは自室で一人、紫に染まった空を眺めていた。ラムウェンドはレオンの身の回りの世話を一通り終わったあと、退室していった。
 レオンは未だに事の大きさを把握しきれていない自分が歯痒くて仕方がなかった。クライセンの言った「戦う理由」が見つからなかったのだ。
(人類を救うため? 立派な目的です。だけど、それが私の本意なんでしょうか? 人類を救うというのは英雄になりたいと同義。人類の脅威をせん滅し世界最強の魔法使いとなり、人々に称えられる……そんな力が自分にあるのなら、きっと誰もが夢見る輝かしい未来なのでしょう)
 レオンは一際大きく輝く一番星を見つめて、ふっと笑った。
(……その夢は、私はもう、生まれながらに手にしてしまっている)
 レオンは、ザインの息子として生まれただけでこの完璧な国の頂点に立った。今更、名誉も権利も財産も、欲しいものなど何もない。
 虚しい、と思う。
 恵まれていることに不満はない。この世のすべてに感謝して生きてきた。その豊かな感情は一度たりとも忘れたことはなかった。しかしこの人類滅亡の危機を前にして、これほど他人事のように思えてしまう自分が情けなくて、悔しかった。
(もしかして私は……)
 決して口に出してはいけないことを、レオンは心の中で呟いてみる。
(別にこの世界がどうなってもいいとでも、思っているのでしょうか)
 恐ろしい――溢れるほどの愛情に包まれて生きてきた自分が、まさか醜悪なほど薄情な人間だなんて思いたくもないし、思ってはいけないと強く頭を横に振る。
(違う。これは逃げだ。私は逃げ道を探そうとしているだけ。家族同然の彼らを見捨ててただ眺めているだけなんて、そんな残酷なことをできるほど私は強くない)
 レオンは少し部屋を無意味に歩き、大きく息を吐いた。
 このままでは埒があかない。そう思ったレオンは部屋を出た。



 レオンが向かったのは西の客室、クライセンのいる部屋だった。
 ドアの前には警備兵が一人。レオンを見ると姿勢を正して一礼した。
「あの、まだ中にクライセン様はいらっしゃいますか」
「はい。とくに異状はありません」
 レオンはドアをノックし、返事を待つ。しかし返事はない。まだ寝ているかもしれないが、どうしても話がしたいレオンは失礼しますと言いながらドアを開けた。
 室内は真っ暗で、空気も冷たい。レオンはすぐに違和感を抱いた。広い部屋に人が一人寝ているだけとはいえ、長い間使われていないような重い静寂が漂っている。レオンは暗い室内に入りベッドを覗いた。
 やはり、そこには折り目がついたままの布団がきれいに整えられているだけで、一度でも人が入った様子はなかった。
 レオンはその場で立ち尽くし、目を左右に動かして何かを探っていた。
 彼は間違いなくここにいるはず――なぜかレオンは確信していた。
 一度早足で部屋を出てドアを閉じる。
「どうなさいました?」
 そう尋ねる警備兵に、レオンは「クライセン様は確かにここにいらっしゃるんですよね?」と聞き返す。兵は戸惑いながら「はい」と頷いた。
 レオンはドアに片手を当て、目を閉じた。兵は首を傾げながらも一歩下がって何も言わない。数秒、奇妙な時間が過ぎたあと、風もないのにレオンの黒髪の毛先がふわりと揺れた。
 レオンが再びドアを開けると中から穏やかな明かりが漏れる。兵はあれっと目を丸くしたが、なんの説明もせずにレオンは入室しドアを閉めた。
 同じ部屋なのに、先ほどとは明らかに空気が違っていた。テーブルの上にはお茶を飲んだあとのカップや、手の付けられていない新鮮なフルーツが盛られた皿がある。ドレッサーの傍の帽子掛けに、この世界にはない真っ黒のマントがかけてあった。その横を素通りしレオンがベッドに向かうと、そこには確かにクライセンが布団に潜って眠っていた。
「あの……」
 声をかけても返事はなかった。肩に手を当てて揺らすと、クライセンはやっと瞼を揺らし、レオンに顔を向ける。寝ぼけた顔で上体を起こし、髪をかき上げながら辺りを見回していた。
「お休みとのころ、すみません」レオンは緊張した表情で。「どうしてもお話したく、魔法は解かせてもらいました」
 クライセンは、そういえば別の世界に迷い込んでいたことを思い出し、ああ、と声を漏らした。
「魔法って? 何かあった?」
「理由は存じませんが、部屋に誰も入ってこられないように魔法をかけていらっしゃいましたよね」
「え? そうだったっけ?」
「無意識だったのですか?」
「そうかも」
 クライセンは背伸びをしたあと、レオンを見つめて苦笑いを浮かべた。
「一人になりたいときや、熟睡しているときにたまにそういう現象が起きる――見つかって、魔法を解かれたのは初めてだよ」
 やっぱりこの世界は居心地が悪い、と言いながらクライセンはベッドから降りてソファに向かった。レオンもあとに続き、ソファの向かいの椅子に腰かける。
「で、会議は? 終わった?」
「今回は状況を報告しただけです。これからのことを考えなくてはいけないのですが……頭の中がまとまらなくて」
「それで、気晴らしに私のところに来たわけか」
「気晴らしというわけでは……」
 レオンは否定できなかった。気晴らしかもしれない、が、それだけではないと気を持ち直す。
「もう少し、尋ねたいことがあります。あなたは、一人でここへいらっしゃったのでしょうか」
「いいや。あと二人いた」
「その方たちは、今どこに?」
「あー……」クライセンは嫌なことを思い出す。「そういえば、スカルディアに捕まったんだったな」
「え? 助けなくていいんですか?」
「まあ、彼らならなんとかしてる気がする」
 ヴェルトの話では、二、三人の魔法使いがウェンドーラの屋敷の近くで消えたということだった。きっとその二人が連れ去られた様子だったのだろう。
「その人たちも高等な魔法使いで、頼りになるのでしょうか」
「全然。そもそも私とはほぼ他人だ」
「じゃあ、どうして……」
「勝手に着いてきただけ。彼らのことは後回しだよ。本人たちにもそう言ってある」
「その人たちが、別次元との接触について、エミーに話したという可能性はありますか?」
「さあね」
「拷問を受けたり、殺されている可能性もあるのでは……」
「そうだとしたら気の毒だが、まだ私自身が戻る手段を得ていない。彼らのことはそれからだ」
「戻る手段とは……」
「もちろん、自分の世界にだよ。そのことで、私からも君に相談したいことがある」
「私に?」
「君は星が見える。動かすことはできるか?」
 レオンは質問の意味が分からず、唖然となった。
「……何を仰っているのでしょう」
「ああ、まだか」
「まだ?」
「ザインがその方法を知っている。君はそれを受け継ぐんだ。その魔法を使えば人間でも天使の世界に行ける」
「…………」
「おそらくザインは、君にそれを教えるために生き永らえているんじゃないかな」
「えっと、あの……なんの話、でしょうか」





   

Copyright RoicoeuR. All rights reserved.