SHANTiROSEINNOCENT SIN-80ドアがノックされ、クライセンが返事をすると全く予想していなかった人物が入室してきた。 ハーロウだった。彼女は室内にレオンの姿を見てえっと短い声を上げた。 「レオン様……なぜ……」 レオンの様子がおかしいことは聞いていた。話のとおり、彼はにこりともせずに無表情でハーロウを見つめていた。 「あなたこそ、なぜここに?」 レオンが冷たく言うと、ハーロウは慌てて頭の中を整理する。彼女が城に戻ってまっすぐここに向かったのは、クライセンに仲間が無事であることを伝えるためだった。帰りを迎えてくれたアンバーから秘密裏にアカシア召喚の魔法が行われていることを聞き、彼がいついなくなるか分からないと思い急いで来たのだった。 レオンはまだ行方不明だという情報も聞いていたハーロウは、自分の処分は彼の帰りのあとになるのだから、今のうちにと考えた。だがレオンはそこにいた。アンバーが知らないということは、おそらく彼はクライセン以外と誰とも会っていないのだろう。レオンが皇帝陛下を辞めると言い残して、どこへ、どのくらい時間出かけていたのか、そもそも本当に出かけていたのかどうかも分からない。ハーロウは今自分が何をすべきか迷って息を飲んだ。 戸惑う彼女の態度を察し、レオンは目を伏せた。 「クライセン様にお話しがあるのですね。私のことはお構いなく……それとも、私は席を外したほうがいいですか?」 「い、いえ……」 やはり今までのレオンとは違う。ハーロウは、本来なら真っ先に彼の前に跪いて頭を下げなければいけないのに、レオンがそれをさせてくれない。 マーベラスの魔法使いはレオンを唯一神として信仰し、彼に対する思いも態度も統一され刷り込まれている。クライセンは、いつもと違うレオンを前に、壊れた人形のように身動きできずにいる彼女を見てこの世界の秩序を理解した。 このままでは話が進まない。クライセンが声をかけるとハーロウははっと我に返った。 「何の用?」 「……え、あの」 ハーロウはまだレオンのことが気になり、すぐに言葉が出てこない。 「もういいから。そこにいるのはただの少年だ。皇帝陛下への礼節はあとにして、とりあえず話をしてくれ」 ハーロウ自身もこんなことは初めてで、自分で自分の動揺が理解できなかった。だがこのままではいけないと、呼吸を整え、心を落ち着けた。 「……失礼しました」ハーロウはやっとまともに話を始めた。「クライセン様、要件から申し上げます。あなたのご友人であるお二人の無事を確認いたしましたこと、ご報告いたします」 「え?」意外な話に、クライセンは素直に驚いた。「カームとミランダか? どこにいたんだ?」 レオンも顔を向けて彼女の報告に興味を示していた。ここから先は誰よりも先にレオンに伝えなければいけないことなのだが、ハーロウは順番が違うと承知のうえ、続けた。 「洛陽線の村でお会いいたしました」 レオンは「なぜ」と口をついて出そうになったが、今彼女はクライセンと話をしている。そう思い、視線を外して静かに耳を傾けた。 「洛陽線の村と言えば、スカルディアの根城の隣か。二人は無事だったのか?」 「ええ、詳しくは聞いていませんが、とくに怪我などされている様子はありませんでした」 「そうか。ならよかった。で、二人は何か言っていた?」 「ただ、自分たちの無事をクライセン様に伝えて欲しいと……」 「それだけ?」 「はい」 「意外だな。連れていってほしいとは言われなかった?」 「最初は、一人だけでもと相談をされましたが、二人で話し合いをされた結果、今はその場に留まることを選択されました」 「どうして? まさかこの世界に残るつもりか?」 「そこまでは存じませんが……」 「その場に留まるということは、何か目的があるということなのか? 無事を伝えて欲しいというのは残りたいわけでもなさそうだけど……」 クライセンはあまりに少ない情報に頭を痛めた。 ハーロウがどこから説明すべきか悩んでいると、レオンが痺れを切らしたように再度顔を向けた。 「私に気を使わなくて結構です。必要なら、あなたがなぜ洛陽線に向かったのか、そこで誰と何を交わしたのか、お話しください」 ハーロウは体をびくりと揺らし、青ざめながら唇を噛んだ。 「あなたがどこで何をしようと、私はどうこう言うつもりはありませんし、今はそんな権利はありませんので、どうぞご安心ください」 突き放すような言い方に、ハーロウは胸を痛める。 自分の知っているレオンではない――罰を受けることも革命軍と戦うことも何も怖くないというのに、この国のあり方すべてが幻だったような錯覚を覚え、目眩を起こしそうだった。 「は、はい……」それでも気を強く持ち、話を続けた。「すべてお話します。私はジギルという少年がどんな人物なのか知りたく、以前洛陽線の村を担当していたアンバーに相談をいたしました。そしてジギルに直接接触しようとするより、彼を慕っている村人から話を聞いたほうが早いと教えてもらい……」 「それで、独断で洛陽線に向かったということですか」 「はい……もちろん処罰は覚悟の上です。それと、アンバーはただ知っていることを話してくれただけで、当然私を止めようとしました。それを振り切って、私は行動を起こしました」 「洛陽線で何があったのかを聞かせてもらえますか」 ハーロウは額に滲んだ汗も拭わず、レオンの言葉に従う。 「……私は、ジギルにとって父親のような存在であるモーリスという人物に声をかけました。彼はすぐに反応しました。ずっとジギルを、心配していたのです。モーリスはジギルを自宅へ呼んでくれました。最初は二人で話をしてもらいました。ジギルは……決して悪人ではなく、自分のしていることに疑問を抱き、どこかで、この力で人を救えないかと、迷っていたのです」 ハーロウは無意識に瞳を震わせ、潤ませていた。 「だけどそれをエミーが許さなかった。彼女は狡猾です。多感で繊細な少年の心理を読み取り、言葉巧みに操っていたのです。だけどジギルは賢く、エミーに従いながらも心の底にある厚い情を捨て去ることはできなかった。二人はずっと、互いを利用し、それを分かっていながら、核心には触れないままの関係を続けていたのです」 「その関係が」クライセンは自然と声を出していた。「変わろうとしているのか」 ハーロウは頷き、そのまま顔を隠すように項垂れていた。 その様子で、彼女が何かを言うべきかどうか迷っていることが読み取れた。ハーロウの肩が揺れている。迷っているのではなく、勇気を振り絞っているように見えた。 これを口に出せばランドール人の信念に亀裂が走る。言わないという選択もあったが、それでもレオンへの忠誠心は変わらない。ハーロウはそれを伝えるため、顔を上げた。 「……ジギルは、魔士の力を無効化する薬を開発していました」 その言葉に一番驚いたのは、他でもないレオンだった。 「ジギルが世界を救う運命を背負っている」という事実が、憶測ではなく既に形になりかけていることを知り、さすがのクライセンも汗を流す。 「ジギルは、エミーにも、身近な親しい者にも誰にも言わず……そして自分が何をすべきなのか、なぜ自分にこんな力があるのかと、一人で苦悩していたのです」 レオンは自然と眉を寄せていた。 「クライセン様のご友人は、きっと、そんな彼に心を動かされたのではないかと、思っております」 自分も同じ思いを抱いたから――ハーロウの人としての感情は二人にも伝わっていた。 もう誤魔化しはきかないところまで「物語」は進んでいる。世界は捩じれたままで、解くことはできない。 「では、あなたは」レオンが静かにハーロウを見つめた。「私が世界を滅ぼす運命にあることも知ったのですね」 ハーロウは一瞬息が止まった。そうだとしても何も変わらない。そう言いたいが、言えばレオンが「世界を滅ぼす悪魔」であると認めることになる。 「ならばご理解いただけますよね」レオンは目を細めてほほ笑む。「私が皇帝陛下を辞めた理由を」 ハーロウは全身の震えを抑え、膝を折って跪いた。 「……それでも、私は、いえ、私たちは、レオン様を敬愛いたします」 「なぜ? あなたたちが命を懸けても守りたいものは、清廉潔白で神々しい、高潔な心を持つ魔法使いでしょう? ただ英雄の血が流れるだけの冷酷な人形ではないはず」 「冷酷な人形だなんて……そんなことは、一度も……」 「誰が思わなくても、現実、そうなんです。私には愛がない。この世界の何にも、理由のない情を抱くことができないのです。ずっと人形だと言われ続けてきました。その通りでした。私は心のない、ただの肉の塊だったのです」 ハーロウの瞳から、涙が零れ落ちた。悲しい。レオンが人形だという事実ではなく、そんな悲しい言葉を彼の口から聞かされた事実が悲しくて仕方なかった。 「だけどジギルは違います。彼は自分の運命や才能など知らないのに、誰に邪魔されても、持って生まれた力を生かし、大切なものを守ろうと足掻いていた。まさに英雄です。人間に共通する、理想的な英雄像です。正直、妬ましいとさえ思います――私が、そうありたかったと」 身動きが取れず、涙を拭うことができずにいるハーロウの足元に、いくつもの滴が落ちている。それでも彼女はレオンに頭を下げることをやめなかった。 部外者であるクライセンには、やはりレオンが反抗期の少年にしか見えなかった。これ以上介入して彼を変えることには抵抗があったが、今レオンと対等に話ができるのは自分だけ。これ以上高圧的な態度で女性を泣かす彼を見過ごすことはできない。 「レオン」 クライセンが呼ぶと、レオンは忌々しそうな目を向けた。しかしその瞳の奥には、何でもいい、大事なことを教えて欲しい、この内に渦巻く理不尽への怒りを静めて欲しいという焦燥感が燻っている。 自分にもこんな時代があった。そう思うと可愛く思える。だがレオンには大人に甘えて悩み、無責任に他人を傷つけていられる時間は少ない。本人が何を望んでも、彼が世界最高位の魔法使いであることに変わりはないのだから。 「アカシアが変えられるのは過去だけだ。未来は、誰も知らない」 レオンの青い目が揺れた。 ザインの息子が世界を滅ぼすという未来予知は消されたが、遅れてレオン本人に引き継がれた。逃れられない運命だと思った。しかし、ザインはそれを知ったから道を変えた。ならば、レオンも変えることができるのかもしれない。 「だけど」それでもレオンに迷いはなくならなかった。「ジギルは……」 「どの未来予知にもジギルは存在していない」クライセンは素早く遮り。「彼がどんな役目を持っているのかも、誰も知らない。もしかしたらそれだけの力を持っていながら何もできないのかもしれないだろう。実際、エミーはジギルを潰すと言ったそうだね」 その言葉に耳を疑ったのはハーロウだった。立場を忘れ、涙で濡れた顔を上げる。 「それは殺すという意味だったのか?」 「いえ、エミーは自分の手で殺すことはできないと言っていました」 「そうか。彼女もあれで情が深いからね」クライセンは口の端を上げ。「まあ、だからこそ相手をよく知り、彼が身動きできなくなるようなやり方で『潰す』んだろうね。それでジギルが死んだり再起不能になるなら、彼はそれだけの存在だったということ。会ったこともない者に妙な対抗心を持つ必要はない。君はまず、自分の望む未来を想像するんだ」 「……あの」ハーロウが手で顔を拭いながら、ゆっくりと腰を上げた。「ジギルを、潰す、とは……?」 クライセンとレオンは茫然とするハーロウに目線を向けた。 「……エミーが、そう言ったのですか?」 「そうです」とレオンが答える。 「ジギルは、それを知っているのですか?」 「さあ……それはあなたのほうが分かるのではありませんか? ジギルにエミーと対立しているような様子はなかったのでしょうか」 ハーロウは目を泳がせ、自分が見たジギルの様子を思い起こした。 「いいえ……魔薬の無効化は、エミーへの裏切り……だから悩んでいるようなことを言っていました。おそらく、ジギルは、何も知らない」 「エミーのことだ」とクライセン。「ジギルがそうすることを見越していたんだろうな。敢えて暴かず、彼が一番堪えるやり方で報復するつもりなんだろう」 「どういうことですか?」 「さあね。私もエミーのことを全部知ってるわけじゃないから、これ以上は分からないよ。ジギルと敵対はしない、だけど邪魔になるなら潰す。エミーなら一人の少年をいいように操るなんて容易いだろう」 レオンは改めてジギルの存在意義を考えた。 人類の未来の鍵を握るのは、自分でもなくエミーでもなく、彼だった。それがやっと分かったところで、ジギルは何かしらの形で力を奪われることになる。 「エミーは、なぜ私にそのことを告げたのでしょう。もしかしてこちらを惑わす罠なのでは」 「それはないと思う。エミーは強敵だが安直なところがある。力がすべてだ。運命なんか覆すほどの大きな力こそが最強だと考えている。もうその準備はできた。だからジギルがこれからどうなるのかなんて些末なことなんだろうね」 「では……結局、彼は、救世主ではなかったということでしょうか」 「どうかな。でも、運命なんてそんなものだよ」クライセンは鼻で笑い。「この世界は、世界そのものが違和感を抱いて、歪みを無意識に修正しようとしてるみたいだけど、一度ついた傷ってのは完全には消えないものなんだ」 「どんなに、小さな傷でも?」 「そうだよ。完全に消えたように見えても一度ついた傷は『修復』されたに過ぎない。時間を戻したように、なかったことになるわけじゃないんだ。イラバロスが見るはずだった予見が消えた。たったそれだけで世界は全く違う方向に進んでいる。本来ならジギルが君を倒して世界を救う英雄になるという分かりやすい物語になるはずだったかもしれない。だけどジギルはエミーと出会い、エミーに潰される。なぜそんな筋書になったのか。それは、世界がいくら歪みを『修復』しても元には戻らないからだ――もういい加減に分かるだろう? エミーは人類を滅ぼす。そんな彼女に対抗できるほどの力を持っているのは、あとは君だけなんだ」 クライセンは立ち上がり、ドアにつま先を向けた。 「少年らしい葛藤に悩むのは結構だが、今そうしていることが賢明なのかどうか、英雄の息子としてそのくらいの判断はできるだろう?」 もう行かなければいけないと、クライセンは態度で示した。 レオンの返事を待たず、棒立ちしているハーロウの隣を横切りドアに向かった。 レオンは面白くなさそうな表情を浮かべたあと、早足で彼と同じように退室していった。 二人は廊下を歩きながら、顔を合わせることなく会話した。 「そういえば、あなたのご友人はどうなさるおつもりでしょうか」 「ああ」クライセンは思い出したように。「君に頼んでいいかな」 「私に?」 「アストロ・ゲートを開く手段も継承したんだろう? その術式をどうにしかして二人に教えて欲しい」 「教えてどうするんですか」 「とりあえず私にできる最低限のことだ」 「あなたがゲートを開くんですか?」 「いいや。術式さえあれば最低限、帰る手段は確保できる。魔法を試みるも、この世界に残るも、あとは彼らの好きにすればいいんだから」 「……シルオーラの血族のみに継承される特別な魔法なのですけど」 「血族というより、ほかに使える人がいないのと、使い道がないから特別なだけだろう。術式が分かったところで広まることはないよ」 「だったら教えても意味はないのでは」 「意味をなすかなさないかは本人たち次第だ」 「……分かりました。私はそのお二人の名前も顔も存じませんが、頭の片隅に留めておきます」 「助かるよ」 レオンは大雑把なクライセンの言い草にため息が出た。 Copyright RoicoeuR. 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