SHANTiROSEINNOCENT SIN-79塞ぎこむジギルにかける言葉も見つからないでいると、玄関からノックが聞こえた。 モーリスは我に返ったように顔を上げ、ハーロウと目を合わせた。 「こんばんは」 聞こえてきた声は聞き慣れない少年の声だった。 「カームです。ジギル君はいますか?」 モーリスはその礼儀正しい言葉遣いでカームのことを思い出した。ただの村人なら用件だけ聞くか後にしてもらうこともできる。 (カーム……確か、彼は……) 別の世界から来た少年だったはず。モーリスがすぐに返事をしない代わりに、ジギルが息を吐きながら顔を上げた。 「あのー」カームは再度ノックし。「モーリスさんのお宅で間違いありませんか? ジギルがここにいると聞いてきました」 ジギルは何も言わずに席を立ち、誰とも目を合わせず玄関に向かった。 ドアが開くと、いつもに増して暗い表情をしたジギルが顔を見せた。 「あ、ジギル」カームは彼を見てほっと胸を撫で下ろした。「よかった。家を間違ったんじゃないかと思ったよ。ベリルさんに道を教えてもらったんだ。地図を書いてって言ったんだけど、すぐ分かるから早く行きなさいって突っぱねられたんだよ。初めての場所なのに、大雑把だよね」 何しに来たのか聞かなければ本題に入らないのだろうかとジギルがうんざりしていると、彼の背後にいたミランダの姿が目に入った。 更に、もう一人――イジューだった。イジューはミランダの影に隠れて俯いていた。 ジギルの目線に気づいたカームは、自然と声を落とした。 「イジューを連れてきたよ」 ジギルは何も言わずにドアを開けたまま背を向け、室内に戻っていく。「来い」という意味だ。カームはミランダに目配せし、イジューを連れて家の中に入っていった。 「お邪魔します……」 カームが奥に向かって声をかけながらジギルの後を追った。ミランダに肩を抱かれてイジューも歩を進める。 廊下の先のドアの向こうに明かりが見えた。ジギルはそこへ向かい、三人も着いていく。 リビングに入り、そこにいた人物を前に足が止まった。 身なりをきちっと整えた美しい女性がいたからだ。村人にも、魔士にも見えない。どう見ても身分の高い魔法使いである。 カームとミランダは同時に「まさか」と思うが、言葉にはしなかった。 知らない女性を見てまたミランダの影に隠れたイジューに気づき、モーリスが急いで駆け寄ってきた。 「ああ、イジュー。よく来てくれたね」 イジューはやっとミランダから離れ、モーリスに向き合った。 「……ごめんなさい」 イジューがごく自然に言葉を発する様子を見てモーリスは体を揺らした。ずっと優しかった彼にまるで化け物を見るような目を向けられ、イジューは目に涙を溜める。モーリスはただ驚いただけだと自分に言い聞かせ、落ち着いて少女の頭を撫でた。 「あ、あの」カームが皆の顔色を窺いながら。「イジューは、自分から出てきたんですよ。やっぱり、ちゃんと話をしないとって、自分で考えて行動したんです」 だから、怒らないでやって欲しい。そうカームは伝えた。 「普通ならベリルさんたちが連れてくるはずなんでしょうが、スカルディアの魔法使いがぞろぞろ村を歩くのは避けたいってことで、僕たちが来ました。最初はミランダさんだけで大丈夫っておっしゃってたんですが、この時間ですし、女性だけなのも心配だったので、僕も着いてきた次第です」 カームは緊張で無駄話が止まらなかった。だが誰も反応しないため、とうとうカームはこの空気に耐えられなくなる。 「あの……」カームは目を泳がせ。「失礼でなければ……そちらの、美しい女性を、紹介してもえませんか……?」 気になって当然のことだった。ジギルは黙って椅子に腰かけた。カームは更に気まずくなるが、ハーロウがにこりとほほ笑んだ。 「美しい女性って、私のことかしら?」 「え? あ、はい」カームは無理に笑い。「もちろんです。あなたほど美しい女性はなかなかいません。どうしても気になって、尋ねずにはいられないほどきれいです」 「ありがとう。私はハーロウ。マーベラスの魔法使いよ」 カームとミランダはどこかでそうじゃないかと感じていたとはいえ、実際確信すると戦慄が走って驚愕の表情を隠せなかった。イジューも体を縮め、青ざめている。 「ど、どうして」カームは何も動じないジギルに近づき。「ジギル、どういうこと? ここでなんの話をしていたの?」 黙っているジギルの態度に耐えられず、カームはとうとう笑顔を消した。 「まさか……君は、マーベラスと内通していたの?」 ジギルはやっと体を傾け、カームを睨みつけた。 「そう思うか?」 「お、思わないよ……! だから分からないんだよ。ねえ、教えてくれないの? 僕には関係ないの? 知らないままでいいの? 僕は、君を信じていていいの?」 うろたえるカームに対し、ジギルは口を噤んだままだった。このままでは埒があかないと、ハーロウが優しく答えた。 「信じて大丈夫よ。彼とは初対面。私が勝手に来たの」 「……え」カームは大きく肩を揺らし。「そ、そうなんですね」 「ええ、大丈夫よ……ジギルは、信じても大丈夫」 独り言のように呟くハーロウの声も表情も、柔らかいものだった。どこか寂しそうな色も感じ取ったカームは、その儚い美しさにため息を漏らす。 きっとハーロウは女性特有の本能で、ジギルの本質にある、冷静且つ情熱的な心を見極めたのだと思う。 殺し合っている敵にさえそう思わせるジギルは、やはり特別な存在なんだとカームは改めて敬意の念を抱く。と、同時、この地味で無愛想な少年にそんな魅力があることを妬まずにはいられなかった。 (ジギル、また、君は……女性を虜にして……) カームが泣きたい気持ちを堪えていると、ハーロウはすっと席を立った。 「もう帰るわ。あなたたちとは二度と会うことはないでしょう」 「え、あの」カームが慌てて一歩前に出て。「ここで、なんの話をされたのでしょうか……」 「大した話はしていないわ。ただ、ジギルという少年がどういう人物なのか、私が知りたかっただけなの。もう十分よ」 ハーロウは挨拶をして立ち去ろうと、一同の顔を見ていった。その中で、ふと違和感を抱き目を止める。視線の先にはミランダがいた。 「あなた……」 ミランダは見られていることに気づき、汗を流す。 「混血種なの? 珍しいわね……あなたの両親は名のある方?」 答えたくないミランダの代わりに、カームがあっと短い声を上げて割り込んできた。 「彼女はこの世界の住人ではないんです」 「え?」 「あ、僕もでした。僕たち二人は別の世界線から迷い込んで……」 「もしかして、あなたたちもドッペルゲンガーなの?」 カームとミランダは顔を見合わせた。ドッペルゲンガーといえば、クライセンだ。 「クライセン様をご存知で? マーベラスのではなく、別の世界から迷い込んできたクライセン様です」 「ええ。あなたたち、彼と関係があるの?」 「はい。僕たち、クライセン様と一緒にこの世界に来て、はぐれてしまったんです」 ハーロウは、ウェンドーラの森の近くで二人の人物がスカルディアにさらわれたという報告を思い出した。この二人のことだったのだろう。 「こんなところでマーベラスの魔法使いに出会えるなんて、幸運です」カームはすかさず。「あの、彼女だけでも、保護してクライセン様のところに連れていってもらえませんか?」 「ちょっと」ミランダが慌てて。「どうして私だけなのよ」 「え? だって、この方だって急に言われても困るでしょう。だからせめてミランダさんだけでもと思って」 「ダメだって言ったでしょう。あなたが行かないなら私も残る」 「え……」 突然やってきて突然揉め出す二人に一同は呆気に取られていた。しかし思いがけないチャンスに時間がないと焦っている二人に周りは見えない。そこに、ハーロウが待ったをかけた。 「二人とも落ち着いて。あなたたちは帰り方が分からなくて困っているってこと?」 カームがはいと頷く。 「そう……でも簡単に連れていくことはできないわ。私がここに来たことは軍の命令ではなく、私個人が勝手に行動しただけ。罰を受けて当然の行為なの。なのに正体不明のアンミール人を連れて帰るなんて、あなたたちまで投獄されてしまうかもしれないわ」 「と、投獄?」とカームが目を見開く。 「え? どういうこと? あなたたちまでって、あなたもってこと?」とミランダは一歩前に出た。 「ええ」ハーロウは落ち着いた様子で。「と言っても例えばの話よ。投獄より厳しい罰を受けるかもしれないし、軽いかもしれない。城も今いろいろと大変みたいだから、もしかしたら私のことなんて構っていられないかもしれないけど」 「え、え? 待ってください」とカーム。「どうしてそんなことになるんですか? あなたは国の命令に反してここにいらっしゃるということですか? あなたはマーベラスの魔法使いで、精鋭の軍人なのでしょう? どうしてそんなことを……」 これはまた面倒臭いことを言い出しそうだと察したミランダが素早くカームを遮った。 「ごめんなさい。無理は言わないわ。ただ、可能であればクライセンに私たちの無事を伝えていただけないかしら」 「ええ、そのくらいなら……でも約束はできないわ。少しでも自由な時間があれば、努力してみるとしか」 「十分よ。それだけでクライセンはきっと何か考えてくれるはず。伝わらなかったなら……それはそれで何とかするわ。だからどうか、あなたは危険なことはしないで」 「ミランダさん」カームも前に出て。「それでいいんですか? だってあなたは……」 「カームは黙って!」ミランダはカームを睨みつけ。「私もこのおかしな出来事の、神の悪戯の当該者なの。巻き込まれたなんて思ってない。自分から望んでここに来たの。もし帰れないならここが私の死に場所なの。もう覚悟を決めたのよ」 カームは呆気に取られた。何も言えず、息を飲む。 「たぶん、誰かの影に隠れて、しがみついて、ここでの出来事から目を背けて逃げるのが最善じゃないと思うの。先にわがままを言ったのは私だけど……取り消させてくれないかしら」 「は、はい……」 やっと静かになったところでハーロウがほほ笑んだ。 「あなたたちの伝言は預かったわ……世界の終末が訪れているのだもの。無理してでも、必ず伝えるから」 世界の終末、という言葉に緊張が走った。ジギルも僅かに体を揺らす。 「じゃあ私は行くわ。最後に、あなたたちと人として話ができたこと、よかったと思ってる」 ハーロウが目を閉じると淡い金の光に包まれる。来たときと同じように、小さな光の蝶になり、室内を旋回した。 (ジギル……もし私が種族も立場もすべてを捨てて、あなたたちと同じただの人間なれるなら聞いて欲しいことがある) それは言葉にも音にもならず、誰にも伝わらなかった。 (どうか、世界を、レオン様を救って……) 光の鱗粉が消え去ったあと、室内に張り詰めていた緊張の糸が解けた。 ミランダは複雑な表情を浮かべている。強がっただけじゃないのだろうかと心配になったカームだったが、もう何も言わなかった。 一同に漂う気まずい空気に気づいたミランダが無理に場を繕った。 「あ、あの……騒いでごめんなさい。もう終わったから……イジュー、話をして」 部屋の隅で小さくなっていたイジューははっと顔を上げて震え出した。怯える少女を手助けするため、モーリスが小さな背中に手を当ててジギルの傍に連れていった。 「ジギル、イジューに話してやってくれ」 ジギルはやっと振り向き、疲れ切った目をイジューに向けた。 「なあ、イジュー、お前は魔士になって、何をする気なんだ?」 「え……」 イジューは言われて初めて自分が「魔士」になったことを自覚した。 「さっきの魔法使いと戦うのか? 角の生えた化け物たちと並んで、殺し合いに身を投じるつもりなのか?」 イジューは目を泳がせながら困惑していた。 ジギルの言うことはもっともだった。魔薬を使った人間は魔士として身を削って人を殺し建物を破壊する兵器となる。イジューも同じだ。他の人と何も違うことはない。 なぜ今まで自分もそうだと考えなかったのだろう。イジューは自分のしたことを初めて恐ろしいと思った。 「わ、私は……」イジューは目を真っ赤にさせ。「ジギルの……傍に、いたかっただけ」 絶望で見開いた目から大粒の涙が零れた。 「足りないものが、薬で、埋められたら、何か役に、立てると、思った……」 「役に立つ?」ジギルは冷たかった。「だから、敵を殺すってことなのか?」 「違う……」 「違わねえだろ。魔薬を使う者には何も惜しまずに命を捨てて戦えと約束させてる。例外はない」 「……エミーさんは、そんなこと、言わなかった」 「俺なら言ってる」 イジューは涙で顔をぐしゃぐしゃにしてその場に座り込んだ。 「私……どうしたらいいの? もっと、魔薬を使って、強くなって、人を、殺さなきゃいけないの?」 拭っても拭っても涙が止まらない。 「私は、人と、お話しするために、人を殺さなきゃ、いけないの……?」 ただ声が聞きたかった。他の人と同じように、顔を見て会話をしたかった。そのために化け物になりたかったのかと問われると、「いいえ」だった。だがエミーの甘い言葉にはしゃいで、一人でいいことをしたと浮かれていた。イジューはそんな自分が憎いほど強い後悔に苛まれていた。 「ジギル……もういいだろ」 イジューにもらい泣きをしていたカームが堪らず口を挟む。 「そんな小さな子に人を殺せだなんて、酷すぎるよ。何も知らなかったんだ。イジューはただ、君の声が聞きたかっただけなんだよ」 泣き伏せるイジューを黙って見下ろしているジギルに苛立ち、カームは彼に駆け寄った。 「ねえ、助けてあげてよ。人を殺すとか以前に、イジューはこのままだと……早死にしてしまうんだろう?」 カームは彼を追い込むため、残酷な事実を告げた。 イジューとモーリスは耳を疑う。 「魔薬はその人の生命力を削って体内に強い力を作り出している。イジューの場合は耳が聞こえて言葉を喋るだけで通常の何倍も寿命を消耗しているんだ。革命軍として戦うと約束した人にはそのことも伝えているはず。だけどイジューは知らなかった。そんなのフェアじゃないよ。猶予を、選択肢を与えてあげて」 イジューは自分の体の中で何が起きているのかを想像し、全身に寒気を感じた。 「ねえ、君ならできるだろう? 黙ってないで、何とか言ってよ」 「うるさい!」 ジギルは突如怒鳴り、カームを一瞥した。 「おい、イジュー」 呼ばれ、イジューは真っ青な顔でジギルを見つめた。 「お前はどうしたいんだ」 「私……」 「どうせこの世界は終わる。生き残れるかも分からない。だから短い時間をそのままで過ごしたいか? それとも、元に戻って、人間らしく死にたいか?」 「私……」 「今ここで決めろ。答えないなら俺は何もしない」 「ま、待って……元に、戻るって……また、声、聞こえなく、なるの?」 「そうだ」 「できるの……?」 「できるかは問題じゃない。やるかやらないかだ。決めろ」 イジューは再び涙を流し始めた。胸を押さえ、嗚咽を上げる。またあの無音の世界に戻らなければいけないと思うと恐ろしかった。今のまま短い人生を送ることもできるかもしれないが、きっと、そのときが来たら後悔する――今と同じように。 「……戻っても、変わらない?」 「何がだよ」 「今までどおり、私の、先生で、いてくれる?」 「は?」 「お仕事が、終わったら、また、村に帰ってきて……ずっと、傍に、いてくれる?」 辛い恋を選んだ少女の精一杯の告白だった。ずっと同じではいられないことを知らないほど彼女は幼い。それでも、また昔の平和な日常は戻ると信じて疑うことができなかった。 切ない、とカームはもらい泣きが止まらなかった。 しかしジギルにはやはり理解できない。 「俺はこれからもっと忙しくなる。お前ばっかり構っていられねえよ」 カームは当然、ミランダもモーリスも体を強張らせた。 「ジギル!」カームは彼の肩を掴んで責め立てる。「どうしてそんな酷いこと言うの。先のことなんか分からないんだから、この場は前向きな言葉をかけて励ましてあげてよ!」 「そんなことして何になるんだよ」ジギルは手を振り払い。「革命がどうなろうと、俺は今後、もっと魔薬の研究をしなくちゃいけないんだろうが!」 「……え?」 「お前らがやれって言ったんだろ」ジギルは拳を握り。「おそらく、俺はエミーの手から離れた……俺から得るものはもうないはずだ。革命の仕上げはエミーがやる。そのあと、もし生き残れたのなら……俺は、魔薬の武器ではない使い方を、勉強する」 室内の空気が軽くなった。カームの涙も止まり、イジューは顔を上げた。 「それって……」ミランダが呟く。「もしかして、いつか、寿命を削ることなくイジューの耳が聞こえるように、なるかもしれないの?」 ジギルは返事をしなかった。その理由は確実ではないからであり、可能性はあるという意味だと取れた。 カームは割れるような笑顔を浮かべ、ジギルに抱き着いた。 「凄い! ジギル、君が本気を出せば何でも思い通りになるよ。ねえ、本当だよ。君は天才なんだから!」 「クソ……離せ!」 ジギルは本気で嫌がり、強めにカームを突き放した。 「もしかするとランドール人の魔法より素晴らしい力が生まれるのかもしれない。この世界の未来は、明るい光に照らされたんだね!」 カームは両手を広げてくるくると回って喜びを表現した。そんな彼は大袈裟なようで、明るい未来への希望はモーリスもイジューも同じくらい胸に抱いていた。ミランダも自然と、笑みを零していた。 Copyright RoicoeuR. 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