SHANTiROSE

INNOCENT SIN-91






 水晶の中で一輪の薔薇が咲いた。
 それは薄暗い空間でほのかな光を灯し、魔法使いの瞳を照らした。
 エミーは真っ赤な薔薇を映し出した水晶をじっと見つめた。その鋭い瞳に浮かぶ表情は誰にも読めない。
「……やっぱりね。人間なんて、たった一本の筋さえ通せない意志薄弱な生き物だ。こんな弱い命が、食物連鎖の頂点に立つ資格など、ない」
 闇の中に蝋燭の炎が浮かんだ。次々に小さな炎が点灯するが、オレンジの揺らぐ光が浮かび上がるだけで、室内全体が照らされることはなかった。ただ、光の位置から、この暗闇が相当広いということは分かる。
 蝋燭の光が増えるにしたがって、エミー以外の何者かの輪郭や瞳を照らし出していく。
 エミーは水じっと佇んでいる彼らに語り掛けた。
「今から、真の自由を奪いにいく」
 背後にいる者たちは返事もせず、じっとエミーを見つめている。
 エミーは振り返り、彼らと向き合った。
「いいか、生物の本分を忘れるな。命に優劣はない。文明、矜持、規律、感性、幸福、成功、贅、財、名声……そんなものはすべて幻想だ。自らの弱さを隠すための空虚な仮面。人間の頭の中で描かれる想像に過ぎない。そんなものに囚われるから争いが起こるのだ。目の前の形あるものがすべて。一体誰がこの世界を支配するに相応しいのか、我々が神の名を借りて審判を下すときが来た」
 エミーの背後でうっすらと光を放っていた水晶の中の薔薇の花びらが、一枚一枚、ゆっくりと散り落ちていく。
 室内に並ぶ魔法使いや魔士たちは、この総力戦のときを待ち続けていた。それぞれに士気を高めていく。
 花びらの最後の一枚が落ちたとき、水晶の光も消えて周囲の闇と一体化した。
 エミーは狂気じみた瞳を輝かせ、歯を見せて笑った。
「さあ、始めようか」



*****




 尋常ではないジギルの悲鳴を聞いて、扉の前で待っていた一同は身を震わせた。
 彼のこんな声など聞いたことがないベリルが、破るようにドアを叩き開けた。
 そこには、あまりにも残酷な光景があった。
 座ったまま血塗れで仰け反る少女と、それと向き合って項垂れている少年の姿。
 それは、これから明るい未来へと少しずつ歩き出そうとしていた若者たちの夢とは真逆の、絶望を絵に描いたような惨い状態だった。
 ベリルは二人に駆け寄り、他の者もそれを追う。純粋で疑うことを知らなかった少女の口の中から顔を出す血よりも赤い薔薇は、この世のどんな花より美しく見えた。
 ベリルたちが呆然と立ち尽くす背後でカームとミランダは体が固まり、真っ青になって震え出す。遅れて込み上げた恐怖と悲しみに感情の制御ができず、ミランダは甲高い悲鳴を上げた。両手で顔を覆って倒れそうになる彼女を、カームは慌てて抱き留める。
「……な、何が起きたんですか」カームは赤く染まったイジューから目を離せず。「ジギル、君は、イジューに何をしたんですか」
 ジギルはピクリとも動かず、返事もしなかった。
 ベリルが悲しそうな表情でイジューの傍で膝を折り、見開いた目や首元を見つめ、一呼吸置いて目を伏せた。
 もう死んでいる。そういう意味だった。
 ハーキマーとメノウも近寄り、三人でゆっくりとイジューの体を横に倒していく。少し押しただけではイジューの体は楽な姿勢にはならなかった。多少無理に首や腰を曲げると、小さな体内から肉の潰れる音がする。そのたびに、口や鼻から血が溢れ出た。
 最後にイジューの足を延ばし、瞼を閉じさせる。メノウが口の中の薔薇を引きちぎり、イジューはやっと眠りの姿勢になった。
 しかし安らかとは言い難かった。体の中は薔薇の蔦や根でズタズタに切り裂かれている。短い時間とはいえ、味わった苦しみは誰の想像も及ばないほどだっただろう。
 何の罪もない少女がどうしてこんな死に方をしなければいけなかったのか――そう思うのは、カームとミランダだけだった。
「これは、印だ」
 メノウがベリルとハーキマーに、血塗れの薔薇を差し出して見せる。すると、二人は驚きもせずにうんと頷いた。
「革命が始まる」
 メノウの言葉のあと、三人は立ち上がった。
「みんな、配置について」
 ベリルが指示を出すと、二人は踵を返した。しかしすぐには立ち去らず、再度眠るイジューを振り返る。
「さよなら」
 ハーキマーが呟くと、メノウと二人で部屋を走り出て行った。
 ベリルは項垂れたままのジギルに近づき顔を覗き込む。その表情を見て彼の状態を察し、何も言わずに彼の頭を撫でて頬を寄せたあと、立ち上がった。
 次にカームとミランダに向き合い、いつもの笑顔を浮かべる。
「革命が始まるわ。もうすぐ魔力が世界に満ち溢れる。早く準備を」
 冷静に言うベリルを、カームは理解できなかった。
「準備って……なんですか」
「魔法の準備よ。あなたたちは帰るの。自分の世界に」
「そ、そんなこと、言われても……」
 カームの腕の中で震えていたミランダが、涙で濡れた顔を上げた。
「……ベリル」ミランダは涙を拭いながら。「何なの? どうしてイジューがこんなことになっているの?」
「これがエミーの残した印よ」
「印? あなたたたちは知っていたの?」
「いいえ。だけど、見たら分かる」
「……悲しくないの? エミーが、憎くないの?」
「悲しいわよ。当然でしょう」
「だったら、どうして……」
「悲しいわ。今までも何人も友達を亡くしてきた。そのたびに、自分が代わりに死にたいくらい悲しんできた。今もそう」
 ミランダは嗚咽でしゃくり上げ、何も言えなくなった。
「だけど次こそ私の番。やっと、誰かが私のために悲しんでくれるの」
「何を言って……」
「私たちはお花」ベリルは優しく目を細め。「花はいずれ散るの。今咲いている花も、これから咲く花もいつか必ず散るの」
 両手を胸に当ててほほ笑むベリルは、なぜか幸せそうに見えた。
「私たちがお花になれたのはエミーのおかげ。彼女がいなかったら私たちは生まれたことすら誰にも知られることなく、土の上で死んでいく小さな虫のままだった。だけど私たちは美しい大輪の花になって、世界を彩り風に乗って舞い踊りながら散ることができるの。私は、とても幸せよ」
 ミランダの涙が止まらなかった。それは間違っていると言いたいが言えずにいるカームの気持ちを代弁するようにミランダが必死で声を振り絞った。
「そんなの、間違ってる!」
「間違っているかどうか、あなたが決めることじゃないわ。これが私の幸せなの。あなたたちには分からない。私も、あなたたちの望む幸せが理解できない。だから、早く帰ってって言ったのよ」
 ミランダは目を見開いて息を飲んだ。
 ベリルたちのことは好きだ。ジギルも成功して欲しいと思った。みんなともっと仲良くなれる、なりたい。その気持ちは同じだと信じて疑わなかった。だけど、間違っていた。
「ミランダさん……」カームも涙を流し。「帰りましょう。僕たちの世界に。魔法の、準備を……」
 ここにいてはいけない。とても精神が持たない。
 ベリルはにこりと笑い、駆け出した。
「じゃあ、元気でね……バイバイ」
「ベリルさん」
 ベリルにカームが慌てて声をかけると、彼女は振り返った。
「……ありがとう、ございました」
 ベリルはうんと頷き、部屋を後にした。彼女の足音が遠のいていく中、ミランダはイジューから目を逸らして声を殺して泣き続けた。
 カームはミランダから離れ、ジギルに近寄った。だが、かける言葉が見つからなかった。彼が初めて、自分の意志で人を救いたいと思い行動を起こした結果がこれだなんて――惨い。と、カームは思う。
 しかしジギルが今までしたきたことを考えると、これは「報い」なのかもしれない。できることなら、初めての挫折であり、乗り越えるべき試練なのだと言ってあげたかった。彼がこの出来事を乗り越えられるのかどうかで、イジューと出会った意味が分かるのだと、そう思いたかった。
 今までの自分だったなら、こんなジギルを置いていけないと頑として留まったに違いない。だがそれはできないという答えが、カームの中にはっきりと出ていた。なぜだか分からなかった。「僕は何もできない」と、もう一人の自分が自分にしがみついて、引きずってでも連れて帰ろうとしているようだった。悔しかった。悲しかった。寂しかった。振り解いてもジギルを抱きしめたかった。だけど、何もできない。これが現実だ。
「ジギル……君が、どんな未来を選んでも、僕は、君の友達だからね」
 ずっと、ずっと。もう二度と、会えなかったとしても――。
 カームの頬を大粒の涙が伝った。



*****




 近いうちに必ず来る。何度言い聞かせていても、実際にそのときが訪れると誰も冷静ではいられない。
 そこには今まで味わったことのない恐怖が伴うからだ。
 予想も想像もしてきた。だが現実はそれを確実に上回る絶望を押し付けてくる。
 人類滅亡の幕開けなんて、人生で一度しか経験できないのだから。

 満月の夜だった。
 まだ空が藍に染まったばかりの時間、丸い月は低い位置に浮かび、今にもぶつかってきそうなほど巨大で見る者を一瞬ぞっとさせる。
 しかしその日、人々の背筋を凍らせたのは、不吉な月の下、突如地面から這い出てきた大量の茨だった。
 世界中の大地が揺れ、そして砕けて割れた。
 黒く野太い茨は意志を持って大地を破壊していく。その上にいる人間も樹も、建物も文明も、無差別に佇む場所を失い安息の地を奪われていった。



 世界の変化をすぐに察知したレオンは目を見開いた。
 彼だけではなく、傍にいる者も各地に配置されている魔法使いのすべてが同時に顔を上げる。
「始まりました」
 レオンは立ち上がり、すぐに城の屋上に向かった。いつ来てもいいようにと、動きやすい軍服を身に着けていた。
 城は騒然とし、魔法使いたちは指示されていた通りの場所に向かった。
 レオンと同じように屋上に集まってきた赤いマントを纏うマーベラスの魔法使いと、紺の軍服と剣や銃を装備した魔法軍たちは整列し指導者を迎えた。
 レオンが屋上に着いたとき、既に城下にも十万もの魔法使いたちが集まっていた。ずっと平穏だった町の中まで殺気で埋め尽くされていた。
「世界の秩序は失われます」
 レオンの声は、すべての魔法使いの片耳に装着された小さな水晶のピアスを通して届いていた。
「敵は地面を這う根です。地面に埋められたすべての球根の命を断ち切ることが勝利条件。私の魔法とロアの持つ流星導が敵の命を絶ちます。その間、他の魔法使いたちは地上で暴れる茨と魔士、式兵を倒し続けてください」
 それだけ言うとレオンは屋上から飛び降り、迎えに来た鷲の背に乗ってすぐに小さくなっていった。
 ロアや他の魔法使いたちもすぐにあとを追い、それぞれの配置に向かっていく。
 エミーの狙いはリヴィオラだ。城にはアンバーとハーロウを始めとする百名ほどのマーベラスの魔法使いと、それに従う二万近い軍が残った。



 レオンの向かった先に、一つの町を破壊しながら暴れている茨の塊があった。
 魔法使いたちが戦っているが、斬っても燃やしても茨は沸くように増え、更に魔士が攻撃を仕掛けてくる。
 終わりの見えない破壊行為に心が折れかけたとき、上空からレオンが現れた。
 それを追ってきた魔法使いが茨と魔士から彼を守るため、盾となる。
 レオンは周囲に一切目を向けず、茨の中心に手をかざした。手のひらから発せられた真っ赤な光が茨を掻き分け、地面に吸い込まれていく。すると間もなく、茨の動きが止まり、枯れ始めた。
 地面の奥の球根を「殺した」のだった。
 逃げ遅れた人々と魔法使いたちは感嘆の声を上げる。魔士たちはすぐに地面に潜り姿を消していった。
 レオンは顔色一つ変えずに状況を探った。
「これはまだ、茶番です」
 魔士たちは驚きもせず迅速に撤退した。彼らにとっては想定内のことであり、むしろレオンたちの動きを観察している可能性がある。
「何にせよ、球根の数を減らすしか私たちにできることはありません」
 レオンは再び鷲を呼び、背に乗って飛び立った。


 他の場所でも、ロアがレオンと同じように球根を一つ殺していた。
 流星導を茨の中心に刺すと赤い光が地中に流れ込み、奥深くに埋まっている球根の命を奪う。
 これを延々と続けていればいつか終わる。
 そう言ってしまえば簡単なようだが、それで終わるとは思えなかった。


 球根の命が二つの力によって消滅していく様子を、エミーは暗い部屋で観察していた。水晶を通して戦況を見つめている。
「へえ、エヴァーツの魔法が、二つ、か。レオンの複製でも作ったか」
 エミーは不適な笑みを浮かべたあと、目を閉じた。
「しかし、大した問題ではない……」水晶に両手を乗せ、背後の魔士に命令を出す。「出撃だ」



 シルオーラの城の上空には複数の鷲が飛び交い、その背中には警戒した魔法使いが乗っていた。
 彼らが注意を払っていたのは地上だった。
 まだ目視できる位置に茨も魔士の姿もなかった。当然である。城には常に高等魔法使いが常駐しているのだ。どれだけ魔薬を駆使しても魔法が未熟なアンミール人に彼らに気取られずに近づいて球根を植えることはできない。
 しかしいつどんな手段でリヴィオラを狙ってくるか分からない。スカルディアの考えることはランドール人の常識から外れているのだから。
 その予感は現実となる。
 空を飛ぶ鷲が高い声を上げた。魔法使いたちは一斉に夜空を見上げる。
 紙に描いた星空を、鋭い爪が引き裂いた、ように見えた。
 幻ではなかった。空の下にいた者すべてに見えていたから。
 破れた隙間が、瞬きをした。瞼を開いた巨大な瞳は地上を見下ろした。
 瞳はエミーのものだった。光彩の奥から、複数の魔士が雨粒のように落ちてきた。魔法使いの誰もが戦慄する。その魔士たちの背中には、大きな黒い羽が生えていたからだった。飛行する魔士が完成していたのだ。エミーはその事実を一切表に出さなかった。このときのために。
 飛行する魔士の存在を知らずにいたランドール人は空からの攻撃への警戒が薄かった。
 城の上空から魔士を一斉に送り込み、リヴィオラを奪うのがエミーの目的だった。そのためにエミーは密かに空に異空間を作り、そこに飛行型の魔士を待機させていたのだった。それを今解放し、一万に近い魔士たちは命を惜しまずにリヴィオラに向かって突き進んでくる。
 鷲に乗った魔法使いたちは驚きながらも体制を整え、魔士を撃退していく。だが魔法使いたちも次々に傷つき、命を落とし、数を減らしていった。
 城にいたマーベラスの魔法使いたちは足元に魔法陣を描き、それに乗って上空の敵に向かっていった。
 夜空に浮かぶ瞳が、ゆっくりと瞬きするたびに飛行型の魔士が飛び出してくる。彼らの手や口の中には紫の球根があった。
 長いあいだ高貴で美しくあり続けていた城が、あっという間に地獄と化した。死を恐れずに襲ってくる魔士と、心の準備のなかった魔法使いたちが衝突し、そこに理性はなく、どちらのものとも区別がつかないほど体が千切れ血肉が城に降り注いだ。
 すべての魔士を輩出したあと、空から見下ろしていた巨大な瞳は瞼を下ろして消え去っていた。
 とうとう、一人の魔士が魔法軍の攻撃をすり抜けリヴィオラに近づいた。
 上空で応戦していたアンバーとハーロウがすぐに魔士を追い、強力な魔法弾を放つ。地上から放たれる弓矢や魔法銃のすべてを、魔士は避けもせずに受けて体がバラバラになっていく。首だけになった魔士は最後の力を振り絞り、リヴィオラを包む銀の籠に食いつき牙を立てた。
 魔士の口の奥から、咥えていた球根が転がり出てきた。
 それは籠の隙間に落ち、リヴィオラの魔力に反応した根が触手のように延びて石にしがみついた。
 この世界を構築するほどの魔力を得た球根は、爆発するかのように茨を噴出し、銀の籠を捻り壊しあっというまにリヴィオラを包み込んだ。



 レオンの心臓が大きく脈打った。
 魔力が、世界に満ち溢れる――文字通り、地面から見えない熱が沸きあがってきているようだった。聖なる光が地上を覆っていく。
 リヴィオラを包んだ茨の根は止まることなく成長し続け、城を破壊しながら地面に潜り、どこまでも広がっていった。その根から送り込まれる魔力に反応した球根が次々と根を延ばし、世界中の地中を埋め尽くしていく。
 今まで地中で黙って眠っていた球根は、リヴィオラから送られてくる魔力を吸収してみるみる太い根を延ばし広げていった。そうして命を宿した根はまるで人体の血管のように、大地を魔力で満たしていく。源は無限の魔力を持つリヴィオラだ。地上にいる命のすべてに、止まることのない生命力を与えていった。
 無限の魔力を手に入れた魔法使いたちは、今までにないほど自分の力が漲ってくる感覚に感動さえ覚えていた。
 これなら、魔法に長けたランドール人のほうが有利なのではないか。そう考えた魔法使いもいたが、レオンが否定する。
「無限の魔力を使えるのはスカルディアも同じです。魔士は肉体が滅ぶまで疲れを知らず、茨も式兵も無限に生まれます。我々の目標はすべての球根を殺すこと。それまで、どうか戦い抜いてください」
 レオンの言葉を聞いた魔法使いたちは果てしない戦いが始まったことを実感し、青ざめた。
 魔力がどれだけあってもそれに耐えられる肉体の強弱は人それぞれだ。いくら逃げ続けたとしても、弱い者から体力が尽きて倒れていく。望まない者にも強制的に魔力が浴びせられ、体力を削られていくのだ。
 人類がどれだけ生き残れるのか、レオンとロアに賭けられた。
 次の目標に向かうため、レオンは足元に魔法陣を描き、浮き上がった光の文字に乗り飛び立った。もう鷲に乗る必要はなかった。魔力を節約する理由がなくなったからだ。
 水晶のピアスから、城にいるラムウェンドの声が届いた。
『レオン様……ザイン様が……』
 弱々しい声だった。城が襲われている。寝たきりのザインが危険な状態にあるのだろう。
 レオンは父の姿を思い出した。悲しくないわけではなかった。だが――。
「父はもう目覚めません。そのまま眠らせてあげてください」
『そ、そんな……』
 言いたいことが山ほどありそうなラムウェンドだったが、すぐに言葉が出ず、レオンは待たずに通信を切った。
 魔力の満ち溢れる絶望の空の下、レオンは誰にも聞こえない声で呟いた。
「……さようなら」
 その瞬間、ふっと糸が切れたような感覚が脳裏を駆け抜けていった。ザインが事切れたのかもしれないと思う。すべてをレオンに託し、思い残すことなく。
 それが思い込みなのかどうか、真実はどっちでもよかった。
 体中に漲る魔力が心地いい。そこらの人間とは違い、レオンほどの魔法使いならいくらでも魔力を吸収し操ることができるのだから。
 星が散りばめる夜空を見上げ、風を受けながら冷たい空気を吸うと自然と口角が上がった。
 この世のすべての命は自分の手の中にあるような気分だった。
 クライセンの言った通りだと思う。この世界の誰も自分を責めない。裁けない。自分の好きなように世界を変えていけばいい。
 今ならクライセンが自らを「世界最高位の魔法使い」だと自負した気持ちが理解できる。とても気分がいい。彼もこれと同じものを味わっていたのだ。
 自分の望みを叶えるためには、障害物を取り除かなければいけない。
 クライセンもそれを乗り越えて自信を得た。レオンも確かな経験と実績を身に着けたいと思う。
 視界の先に一つの山ほどの茨の塊が見えた。レオンは迷わずにその頂上に向かい、両手の指を絡ませて呪文を唱える。右手から真っ赤な光の刃が飛び出し、茨の山を切り裂いた。茨は熱湯をかけられた蛆虫の集まりのように醜く蠢き、レオンに道を開けていく。底に辿りつくまで、少しの時間を要した。やっと見えた割れた地面ごとレオンは破戒し、球根の命を奪って茨の山を消滅させた。
 小柄な少年の背中が大きく見えても、もう驚く者はいなかった。レオンを守らなければいけない。どれだけの犠牲が出ようと、彼だけでも生き残ってもらえばこの世界は存続する。そう確信した魔法使いたちは、言葉ではなく心からの忠誠を彼に誓った。





   

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