SHANTiROSE

INNOCENT SIN-98






 リヴィオラが破壊されると世界中に変化が起きた。
 今まで無限の魔力に生かされていたものが次々と力を失くし枯れ始めていく。
 魔薬の眠る城跡を囲っていた大きな草花たちも、同じように色を失いはらはらと土に返っていった。
 この草花はかつての魔法使い、かつての人間――ジギルの大切な家族だったものたちだ。草花の壁に守られていたジギルは世界の変化に気づき、はっと息を飲んだ。
 世界を包んでいた無限の魔力が失われていく。地下で騒いでいた魔薬たちも落ち着きを取り戻したように元の状態に戻っていった。
 次に地面が激しく揺れる。地中に張り巡らされていた紫の球根が、急速に枯れていく様子が地面にまで伝わっていたのだった。
 その揺れで、地上に散らばり重なり合う遺体や瓦礫が更に混ざり合っていき、すべてを区別することができなくなった。そしてこの世界から、人間が誇る命への尊厳や愛情は失われた。
 受け継ぐものも、守っていきたいものも何も残らなかった。
 生き残った生物たちは、何も変わらない空を仰ぎ、原始に返った世界に立ち尽くしていた。
 ジギルのいた城跡も、草花と共に崩れ落ちていった。
 屋上にいた彼は抵抗する気も起きず、瓦礫に巻き込まれていく。
 ジギルを探していたモーリスも屋上近くにおり、彼も同じように足場を失って建物と一緒に地面に落ちていった。
 しばらく地響きは続き、かろうじて立っていられたものも倒れていく。ジギルが守りたかった洛陽線の村も半壊していった。
 何もかもが終わった。
 じっと頭を抱えて揺れの収まりに耐えていたモーリスは、周囲が静かになったのを確認し、体に積もった塵や埃を払いながら立ち上がった。周囲を見回したあと、足場の悪い瓦礫の上を徘徊し始めた。
「……ジギル」見える範囲に人の姿はなかった。「ジギル!」
 モーリスはジギルを探した。彼は屋上にいた。自分と同じように足場を失って倒れているだけだと信じ、何度も名を呼んだ。
 ジギルがいた辺りの瓦礫をどけていくと、彼を見つけた。
「ジギル! 大丈夫か!」
 返事はないが、手の指が僅かに動いた。生きている。モーリスは必死で瓦礫をどけ、ジギルを引っ張り出した。
 ジギルは咳込み、茫然自失の状態だったが、大きなけがはなさそうだった。
「ジギル……無事でよかった」
 俯いたままの彼にモーリスがそっと手を差し伸べると、ジギルはそれを叩き払った。
「よくねえよ……」ジギルは掠れた声で。「どうして死なせてくれないんだよ」
 ジギルの心痛は、きっとモーリスが思う以上のものなのだと思う。慰めの言葉も出てこなかった。今はそっとしておくべきかと考えていると、瓦礫を踏む足音が聞こえた。
 いつの間にそこにいたのか分からなかった。
 黒髪に青い目の、凛とした少年がゆっくりと歩み寄ってきていた。
 ランドールの魔法使いであることは確かだった。少年は無表情でジギルの傍に立ち、恐ろしいほど冷たい目で彼を見下ろした。
「起きなさい」
 聞いたことのない声にも、ジギルは反応しなかった。
 少年、レオンは腰を折り、片手でジギルの首根っこを乱暴に掴んで持ち上げた。
「何だよ……!」
 ジギルは暴れて手を振り払い、やっと彼に顔を向けた。そして、信じられないかのように何度も瞬きを繰り返した。
「……レオンか」
 モーリスはその名を聞いて縮み上がった。
 ジギルは姿勢を変えて瓦礫の上に座り込み、自虐的な笑みを浮かべる。
「何しに来た。俺を捕えて罰しにきたのか? なら早くやってくれ。俺はどんな罰も受け入れる。好きなだけ、切り刻んでくれ」
 レオンはジギルの言葉に驚きも動揺もせず、静かに話を始めた。
「なぜ私があなたを捕えて罰を与えなければならないのでしょう」
「はあ?」
「見てください」
 レオンはすべてが破壊された地上を見渡した。
「何もありません。秩序も、法も、常識も良識も。善も悪も、正義もすべてがなくなりました。あなたの罪とは一体何なのでしょう。それを決めて裁き罰する者は、一体どこにいるのでしょう」
「何言ってんだよ。これだよ」ジギルはレオンの目線の先を指さし。「世界がこうなったのは俺のせいだ。革命を起こしたのはエミーでも、その土台を作ったのは俺なんだ。俺のせいで、人が、数えきれないほど死んだ!」
「ええ。そうですね。数えきれません。なので正確ではありませんが、全人口の九割ほどが亡くなったと予想しています」
「……九割だって?」ジギルは拳を握り。「立派な人類滅亡じゃねえかよ。俺のせいで、こうなったんだ」
「エミーの革命は成功と言ってもいいでしょう」
「エミーは?」
「死にました」
「そうか……じゃあ、あとは俺だけだな」
「死なせませんよ」レオンはジギルを見下ろし。「私はこれからすべての責任を取るため、新しい国を作ります」
「……責任って、何だよ」
「リヴィオラを破壊しました。もうこの世の生物に無限の魔力は与えられません。原始の石は私が支配し管理しなければならないのです」
「…………」
「私は王になります。国を創るため、あなたの力が必要なのです」
「なに言ってるんだよ……俺は、人類を滅ぼした大罪人なんだぞ!」
「いい加減に理解してください。今まだ、この世界に罪はありません」
「そんなのどうでもいんだよ! 俺は後先考えずに自分の娯楽を優先し、大量の人間を無差別に虐殺した。大切な家族や友人を騙して、最後まで俺みたいな悪人を信用したまま死んでいったんだ! 俺がどれだけ残酷か、知能のない虫だって分かることだろ!」
「知能のない虫がどう思うかなんて知りません。私たちは人間です。私たちが罪ではないと言えば罪ではないのです」
「ふざけんな!」
「人間は、今までずっとそうしてきました」
「それは……」
 言い返すことができず、ジギルは再び意気消沈した。レオンはそんな彼の隣に片膝をついて腰を落とした。
「アカシアの魔法のことは聞いていますね? この世界は歪み、捩じれていて、もう修復は不可能。不自然に生まれた私はそのことに気づいていたんです。だからエミーの革命に、無意識のところで賛同していたのだと思います」
「……不自然に生まれたのは、俺も同じだ。俺も、こうなることを望んでいたのか?」
「あなたは違う。あなたはアカシアが世界につけた小さな傷の自然治癒の副産物です。生まれるはずだった大罪人がモデルだったが、この世界には必要なかった。だからあなたは生まれ持った力を持て余していただけのこと」
「だから……」
「だから」レオンはジギルの髪を掴み、彼の陰鬱な顔を持ち上げた。「今度はその力を私のために使いなさい」
 そう命令するレオンの声には、逆らい難い迫力があった。
「もう一度言います。私は王になります。私は世界最強の魔法使い。しかし人の心というものが理解できません。備わっていないからです。私もあなたも、本来は生まれてくるべきではなかった人間。人々に愛され、そして愛したあなたは私の対となる存在です。私にないものを持っているあなたがいないと、私はいずれこの世界を完全に破壊することになるでしょう」
「な、なんでだよ」
「極論を言えば、人間など滅んでもいい。むしろ人間は自然界の害虫だとしか思えないからです」
「お前、それ……危険すぎるだろ」
「危険すぎるのかどうかも私には分かりません。だから止める人が欲しいのです。どうあれば国を創り治めることができるのか、愛という感情を育むことができるのか教えて欲しいのです。そのうえで、あなたが救世主なのか悪人なのかどうかは、これから、私が決めます。本当に裁いて欲しいと思うなら、古い常識は捨てて私に従ってください」
「どうして、お前は愛情を知りたいんだ」
「知りたいからです。利益を伴わないのに守らなければいけないという感情を。それが現実にどんな影響を及ぼすのか、興味があるからです」
 ジギルは身勝手で理不尽なレオンの言い分に呆気に取られる。
 高等魔法使いの中でも最高位に君臨する者とは思えない発言と考え方だった。だがそれも人間に根付いていた「常識」の一つ。今後、不要な知識となるのかもしれない。
(それでも……きっと、俺は……一生、忘れない)
 ジギルに選択肢はなかった。嫌だと言ってもレオンは無理に連れていくだろう。頼られたら、ジギルは何もせずにはいられない性分なのだから。
「あ、あの……」近くで話を聞いていたモーリスが、恐る恐る口を挟んだ。「ジギルは、どこに連れていかれるのでしょう」
 レオンはジギルから手を離し、縮こまっているモーリスに目線を移した。
「あなたは?」
「し、失礼しました。私はモーリス。洛陽線の村の長でして……」
「聞いたことがあります。ジギルの父親のような……」
 レオンがアンバーから聞いた話を思い出していると、モーリスは慌てて顔を上げる。
「いえ……」
 ジギルは村でみんなから尊敬されていた先生で、彼自身は自分のお節介に迷惑していたことを伝えようとしたとき、ジギルがそれを否定した。
「――オヤジだよ」
 モーリスは驚いて言葉を失い、レオンは首を傾げた。
「オヤジとは?」
「は?」
「どういう意味ですか?」
「ああクソ、父親のことだよ。そんなもん説明させんな。育ちのいいお坊ちゃんはめんどくせえな」
「父親がいたのですか?」
「血は繋がっていない」
 モーリスと目を合わせようとしないジギルだったが、モーリスは一人、何も言わずに涙ぐんでいた。
 ジギルはずっとそう思っていたが、どこかで見下していた彼をそう認めることができなかった。しかし大事な友人たちを目の目で、あっという間に失ってしまった今、これから世界がどうなっていくのか予想もできない今こそ、二度と同じことを繰り返さないために伝えておきたいと切に願った。
 その思いはモーリスに届いた。これで彼は今までジギルを信頼してきたことを後悔せずにいられる。
 やっと二人の間にあった壁がなくなった。そんな目に見えない感情には一切気づかず、レオンは表情を変えなかった。
「血縁がない? では養子なのですか?」
「…………」
「それともあなたの国では血縁関係ではない者と親子になるために、縁組ではない他の方法があるのですか?」
 ジギルは眉間に皺をよせ、口をきくのも面倒臭さそうにレオンを睨みつけた。
「あなたの国にそんな制度があるという話は聞いたことがありません」レオンはまったく意に介さず。「だとしたらあなた方の関係はせいぜい友人、といったところではないのでしょうか」
「……じゃあそれでいいよ。勝手にそう思っててくれ」
「そうはいきません。とても興味があります。あなた方が親子関係だと証明できるものは何なのでしょうか」
「うるせえな!」ジギルはとうとう大きな声を上げる。「これがお前の中で欠損している情ってやつだよ。そのうち説明するから、今はもう黙れ!」
「そうですか……」
 何も言わず俯いて涙を拭っているモーリスの様子から、レオンは「これが愛情というものなのか」と、今はそれで納得することにした。だがやはり、探してみても自分の中に似たような感情は見つからなかった。
「モーリスさん、と仰いましたね」
 レオンから自分の名前を言われ、モ−リスは体中を揺らして目を見開いた。
「さきほどの質問の返答です。ジギルは私と共に国を創っていきます。なので彼はここにはいられません。どこを本拠地にするかはまだ不明です。しばらくは寝る間もないほど多忙になることでしょう……ですが、彼の故郷は変わりません。それだけ、覚えておいてください」
 モーリスは感動で体が震え出し、新たに生まれた「二人の王」に深く頭を下げた。

 レオンは空の先の、更に遠くを見つめた。
(もう一人の、世界最強の魔法使い……)クライセンのことを思い出しながら。(あなたはどうやって世界を守りますか?)
 彼がどこに向かい誰と会い、何を犠牲にするのか、もうレオンには知る術がなかった。
 だけど、なんとかなるような気がしていた。
 レオンは次に、アカシアと会ったときのことを思い出した。
 あのとき、彼に一つの願いを託した。アカシアは笑っていた。好奇心の塊である少年そのものの悪い顔で。しかし、彼はただの少年ではない。天使の世界を統べる王だ。今頃、楽しそうに悪戯に励んでいることだろうと思う。
 レオンも自然と微笑んでいた。
 彼と同じ位置に立ち並んだジギルは、いつまでも失ったものへの悲しみが消えなかった。これからもずっと、死者を悼む気持ちを忘れずに生きていくと決意し、故郷から旅立った。





   

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