SeparateMoon
16
夜が深まった頃、体力の尽きたジギルは切り株を背もたれに放心していた。
酸欠で頭痛がする。目元は浮腫み、長い緊張状態が続いたため首から腰のあたりまで筋肉痛のような痛みを感じる。
思考力もあまり残っていないというのに、まだ漏れるように涙が流れた。
ジギルはそれを拭わず、独り言のように呟いた。
「……悪かった」
隣の切り株に腰を下ろしていたユリナが、顔を向けた。
「ん? 何か言った?」
「こんなことに、付き合わせて……」
「謝るなんて意外」ユリナはいつもの笑顔を浮かべ。「頼んでないって言わないんだ」
ジギルはからかってくる彼女に腹を立てる元気もなかった。
まだ出会ったばかりで素性も分からない者に醜態を晒した。どうして、とは思わなかった。こうなったきっかけはユリナにあったからだ。言う必要はないと思っていたジギルだったが、ユリナ自身はそれに気づいていた。
「ねえ、君の言う大切な人って、私に似てたの?」
ジギルは肩を揺らす。また、心臓が脈打った。
「……なんで?」
「私と目が合ってから、様子が変わったからさ。もしかして女の子だったのかなあって」
すぐに返事をしないジギルの様子に、ユリナは深読みして目を細めた。
「またまた意外。普通に人と会話のできない君が、女の子を思ってそんなに悲しむなんて」
ジギルにその意味は、すぐには理解できなかった。またからかわれていることにも気づかず、腫れた目で遠くを見つめた。
「家族って言ってたけど、幼馴染? 恋人だったの? それ未満?」
いつものジギルならムキになって否定しているところだが、今は難しいことは考えられない。ぼんやりしたまま、ボソボソと感情を漏らした。
「……イジューは子供だ。あんな死に方をしていい奴じゃなかった」
質問には答えられていないが「子供」という言葉で「思っていたのとは違うのかもしれない」とユリナは思う。
「ベリル、ハーキマー……メノウ……」
「ん?」
「みんな、あんな場所で、死を約束されていたってのに、笑ってた」
「……一人じゃないんだ」
思いに耽るジギルの頬を、また涙が伝う。もう泣きたくないのに体が言うことを聞かない。
「どいつもこいつも寄って集って……煩わしくて仕方がなかった。いくら突き放しても、全然堪えねえで、まるで人の心を見透かしたように、俺の好きなものも嫌いなものも押し付けてきて、俺の反応を見て、一喜一憂してた」
ジギルは裾で顔を拭き、深く息を吐いた。隣でユリナは首を捻っていた。
「ボロ、君さ……どんなところで生活してたの?」
「どんなって……」
「王様か何か? 全然そうは見えないけど」
「そりゃそうだろ。今の俺がボロ雑巾なら、昔はただの雑巾みたいなものだった」
「じゃあなんで女の子に囲まれて愛されちゃってるみたいな環境にいたの?」
「……何の話だよ」
「だって、それだけ聞くと、まるでハーレムみたいだよ」
ジギルはまた息を吐く。
「家族だって言っただろ。たまたまそいつらと生活圏が近かっただけだ。俺のいたところは大所帯で、男も女も、化け物も、なんでもいた」
「はあ」それでもユリナはまだ首を傾げていた。「それでもあんまり想像できないなあ。化け物って何?」
「俺たちはお前ら魔法使いと対立してた。化け物と一緒に暮らすくらい、普通にあったんだよ」
「俺たちって?」
「……革命軍」
「ああ、そういうことか」
白々しい、とジギルは思う。
本当の気持ちを吐き出させてくれたユリナには感謝している。心を癒すのも治癒の魔法使いだから得意なのだろう。自分を最低な人間だと言ってくれて、嬉しかった。役立たずで、死んだ者を救うことはできないと言ってもらえて、安堵した。彼女と出会いに意味があったのなら、この世への未練を断ち切ってくれたことだったと思う。
もう十分だ。気が済んだ。もう、終わりにしたい。
「なあ……俺を殺してくれないか?」
「え? なに、突然」
「お前ならできるだろ? 簡単に」
「そうだけど」
もうジギルから悲しみの感情は消えていた。
「俺の名は、ジギル……革命軍のリーダーだったんだ」
「…………」
「俺を殺して、死体を、レオンに届けてくれ。それで、お前がもう一人の英雄になるんだ。きっとそのほうが、世界はいいほうに進む。『物語』は、面白くなる……」
そう言いながら、ジギルは瞼を落とした。
ユリナは続きを待っていたが、沈黙するジギルに目線を向けた。
「おーい」
声をかけてみても、微動だにしない。近寄って顔を覗き込むと、ジギルは寝落ちしていた。
さすがに限界だったようだ。一日中何も食べず、あれだけ泣けば無理もない。ユリナは肩を揺らして大きなため息をついた。
泥のように眠っていたジギルが目を覚ましたのは、次の日の夜だった。灯りのない室内は暗く、自分が何をしていたのか、ここがどこなのかも分からず混乱した。慌てて体を起こそうとしたが、体が石のように重く小さな悲鳴を上げてしまった。
自分の状況を把握したいのに、うまく目が開かない。ジギルは目の周囲がヒリついていることで、昨夜何があったのかを思い出した。
あれからどうなった? 自分はいつ眠ってしまったのだろう?
ここは、覚えがある。窓の隙間から差し込む薄い月明かり、体を包む少し埃臭い布団。先日まで使っていた個室だ。ということは、ユリナがここまで運んでくれたということだと思う。
(……どこまで話したんだっけ)
感情的になり、おかしなことを言っていた。
(いや……そんなことより……)
ユリナに慰められながら大泣きしたという恥ずかしい事実を思い出し、暗がりの中で赤面した。
助けられたことは感謝したい。しかし、ユリナは危険だ。どこまでも心に入り込んでくる。それに、どんな顔をして彼女と会えばいいか分からない。
(確か……俺の名前も、革命軍のことも……レオンのことも、喋ってしまった気がする)
それを聞いてユリナが何を思ったかは分からない。殺すならその場でできたはずだが、意識朦朧だった者の言葉ゆえに信じていない可能性が高い。いや、あの辺りはもう夢だったかもしれない。そうであって欲しい。ジギルは頭を抱えて唸り声をあげた。
そこに、大きな音を立ててドアが開いた。気配も足音もなく、あまりにも突然だったためジギルは悲鳴を上げそうになった。
誰であっても会いたくなかったジギルは、急いで布団に潜った。
「おい、起きてるんだろ」
カロンだ。ジギルの心臓が跳ねる。ユリナであっても気まずいが、彼はもっと気まずい。絶対に怒っている。
カロンはまた叩きつけるようにドアを閉め、近づいてきた。手に持っていたランタンを床に置き、ジギルの横に胡坐をかいた。
「お前はどれだけユリナに迷惑かけるつもりだ」
言われて当然だとジギルは思う。
「あの手この手で気を引こうとしてんじゃねえよ。お前もあのクズどもとも同じだな」
それは誤解だと胸中で叫ぶ。「あのクズども」とはユリナに集っていた男たちのことだ。それだけは訂正したかった。
不本意だったことを説明しようと、思い切って起きようとしたとき、カロンから布団の中に手を突っ込んできてジギルの胸倉を掴み上げた。
「雑魚のボロ雑巾が、調子に乗るな」
カロンの力は強く、息苦しい。本気だ。本気で怒っている。弁解などできそうになかった。
「あれは俺の女だ」カロンはジギルを引き寄せ、鋭い目で睨みつけた。「ユリナには俺が必要なんだ。お前らみたいなクズが馴れ馴れしくしていい女じゃねえんだよ」
返事をしたくても声を出せずにいるジギルを、カロンは投げ捨てるように手を離した。ジギルは床に伏せ、激しく咳き込んだ。
「俺はユリナがケガ人を治療したいっていうから付き合ってるだけだ。クズがどうなってもどうでもいいんだよ。二度と舐めた真似はするな。分かったな、ボロ」カロンはジギルに一言も喋らせないまま。「あと、ユリナは面食いだ。よく覚えとけ」
そう言い残し、ランタンを置いて出ていった。
ジギルは呼吸を整えながら布団の上に座り直す。
(……何なんだあいつは。一方的すぎるだろ)
言い訳したかったが、よく考えたら言い訳などなかった。何もおかしなことはなかったとはいえ、自分の恋人が他の男と深夜まで二人っきりだったのだ。心中穏やかではないことは確かだろう。
ただただ疲れ切ったジギルの枕元に、何かが置いてある。暗くて気づかなかったが、ランタンの薄明かりに照らされたそれは水の入ったコップだった。
体が重いだけではない。酷く喉が渇いている。当然だ。気を失うほど号泣し、今まで意識がなかったのだから。
ジギルはそれを手に取り、一気に飲み干した。まだ足りないが、どこに行けば水がもらえるのかを考えるのも億劫だった。
コップの隣には、小さな器に少しの食べ物が置いてあった。乾燥させた肉や果物のようだ。ジギルはそれには手を付けず、再び横になった。
情けない、とつくづく思う。
だけどもう突っ張る必要はない。自分は無能の役立たずで、まともに人と会話もできない落ちこぼれだと認めた。認めることができた。
カロンに誤解を解く必要もない。ボロ雑巾でもクズでもなんでもいい。
(あれ……俺のこと、まだボロって言ってたな)
ゆっくりと、体の力が抜けていく。
(ユリナから、何も聞いてねえのか……?)
やはりユリナは信じていないのかもしれない。
また眠気に襲われながら、微睡んでいく。
(あのクソ野郎……なんで灯りを置いていったんだろう)
もしかして、水と食べ物を摂ったかどうかの確認のために来たのかもしれない。そのついでに暴言を吐いていったとしても、責める気は起きない。
(俺がクズなのは確かだし……あいつ、そんなに、悪い奴じゃないのかもしれないな)
少しくらい食べたほうがいいかと思い、枕元の器に手を伸ばす。目を閉じたまま探っていると、コップが手に当たった。その感触に違和感を抱き、手を止めた。
飲み干したはずなのに、コップに重みがあった。空っぽなら倒れているはず……なのだが、中身を確かめようとする前に、意識が落ちた。
深夜、ジギルは人の気配で現実に引き戻されたが、寝ぼける間もなく、目を見開く。
「……うわっ!」
目の前にユリナの顔があったからだった。
「あ、起きた」ユリナはジギルの額に手をあてながら。「騒がないで。体に悪いところがないか確認したくて。すぐ終わるから」
「だ、だ、だからって、こんな時間に……」
「君、ずっと寝てるんだもん。どこか痛いところはない?」
ジギルは慌てて上半身を起こし、ユリナの手を振り払った。
「ない……! ないから、早く出ていけ」
「本当? あれから何も食べてないんでしょう? 良くなるものもならないよ」
「分かったから……疲れてるだけだから。頼むから出て行ってくれ」
ジギルは両手を床について後退りした。
「なんで逃げるの」
「なんでって……」
カロンが怖い。
それに、彼女に会ったら何を話せばいいのかも迷っているままだった。こんな無防備なところに乗り込んでこられたら警戒すらできやしない。
「……お前、他の奴にもこんなことしてるのか?」
「こんなこと?」
「夜中に、寝てる男に……」
ジギルが口籠ると、ユリナは一瞬真顔になったあと、笑い出した。
「そっかあ、なるほどね」不適に、目を細め。「照れてるんだ」
「ち、ちが……!」
ジギルの顔が耳まで真っ赤に染まっていく。
「なんでそんなに緊張するの。女の子に囲まれてたんじゃないの? 二人っきりで話すことくらいあったんでしょ?」
そんなことは日常的だった。世話役だった彼女たちには看病してもらったこともある。なんならエミーとはよく密室で話し合った。だけどこんなに緊張したことはなかった。
(違う違う……あの頃とは状況が違う。カロンだよ。あいつが変なことを言うから……)
ああそうだ、と思う。そもそも近くに恋人がいるのにこんなに奔放な行動をとるユリナもおかしい。自分が怒られる筋合いは――。
ジギルが心の中で言い訳を並べていると、ユリナが両手両膝を床につけて近寄ってきた。ジギルの心臓が縮みあがった。さらに後退りするが、室内は狭く、すぐ壁に背が当たった。
「いいから、じっとして」
ユリナは追い詰められた彼に這い寄り、鼻の先が当たりそうな距離からじっと目を見つめた。
ジギルは体が固まって、逃げたいのに逃げられなかった。昨夜と同じだ。見えない力に拘束される。それは魔法ではなかった。無意識のところにある、自らの意志。
心臓の痛みが限界を迎えそうになったとき、ジギルの脳裏にまた過去の映像が蘇った。
似た経験をしたことがある。あのときは、唇が触れ合った。
感触までも蘇るほど衝撃的な一瞬だった。
疎い彼でも恋愛の存在くらいは知っている。それをしていた人間も見てきた。しかしジギルには他人のために自らを擦り減らす、無駄な時間にしか思えなかった。
今際の際で起こしたハーキマーの行動の理由は今も分からない。
(でも……)
今ジギルが感じているこの息苦しさ、恐怖、不安、焦り、そして同時に混在する未来への希望や期待。胸の奥が痛いのに、不思議とこのまま続いて欲しい。もっと、もっともっと、いっそ擦り切れて潰れるほどの、痛みの限界を知りたいと思う。
(この感情が、あいつが語った夢だったのか……?)
ジギルはユリナから目を離せないでいるのに、心はここになかった。ユリナは彼の心の変化を見抜いていた。ジギルの頬に片手をあてると、彼は意識を引き戻されてはっと息を飲んだ。
「また泣いてる」
「……え?」
体に自由が戻ったジギルが瞬きすると、涙の粒が頬に落ちた。
「まあ、でも」ユリナはジギルから離れて座り直した。「体はもう大丈夫。心のほうはまだ要注意かな」
「どうして……」
ジギルは慌てて涙を拭う。無自覚だったため、困惑していた。
「落ち込んでるだけならいいんだけど、君みたいな状態だと突然わけの分からない行動を取るかもしれないからね。でもね、いつか必ずなんとかなるから。それまでは好きなだけ悩んでいればいいよ」
(いつか……必ず……)
何を根拠に、と思い、ジギルは項垂れた。
「じゃあ私はもう行くけど、一つだけ」ユリナは人差し指を立て。「治療に夜も昼もないから。私をはしたない女なんて思ったなら、一生反省してね」
ジギルはギクリと体を揺らした。
彼女はただ自分を心配しているだけだ。失礼極まりないことをした。いや、絶対に分かっていてわざとやっていただろうとも思う。だけどそうさせたのは自分なのも間違いない。
「ご、ごめん……なさい」
ジギルが呟くと、ユリナは微笑んで腰を上げた。
「心の傷に大きいも小さいもないんだけど、君のはなんか違いそうだね。私の見てきた人にはいないタイプだ。それに、昨日の話もまだ途中だったし」
ユリナはドアを開けて肩越しに振り返る。
「また今度ゆっくりお話ししようね――おやすみ。ジギル」
ドアは閉じられ、ユリナの足音が遠ざかっていく。
薄明りと静寂だけが残った狭い部屋の中、ジギルは青ざめ、冷や汗を流していた。
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