SeparateMoon



7






 ティシラは途端に目を丸くして固まった。
 ヴェルトはもうこの話は終わらせたかったのだが、ジギルの言ったことがどこか胸の中で引っ掛かっていたことを思い出して黙ってしまった。
「……な」ティシラから先ほどまでの怒りは消え去っている。「何を突然……私がそんなこと……」
「おい」とヴェルトに目を合わせ。「お前がロアを最後に見たのは?」
「……城にはロアを始めとするマーベラスの魔法使いも配置されていたんだが、未知の魔士が大量に現れ壊滅寸前だと聞いて駆け付けた。そのとき既にロアは満身創痍で何もできる状態ではなかった」
「何か話したのか?」
「ロアは自分の死を受け入れていた……治癒も拒絶し、まだやることがあると言い残してその場を去った。それが私が見た彼の最期の姿だ」
「そうか。ロアはクライセンの家の庭で死んでたって言ってたよな。ロアが向かったのはそこだ。でもクライセンはそのとき行方不明だったんだよな。だったらなぜ死ぬ寸前になぜそこに向かったのか?」
「さあ……もしかしたらクライセンがいるかもしれないという一縷の望みに賭けたとか」
「いや、お前、ロアはまだやることがあると言い残したって言ったよな。ということは、確かな目的があったとしか思えない」
「なるほど……サンディル様も城にいらっしゃったはずだ。あとは……」
「あの家に誰かいるとしたらティシラだ。ロアはこいつに会いに行ったんだ」
「なぜ?」ヴェルトは眉を顰め。「二人は相反し合う同士で顔も合わせるのも憚るほど嫌悪していた。まさかロアがティシラに協力を求めたと?」
「そうだとしたらもっと早く手を打っていたはずだ」
「そういえば……クライセンはティシラに会いに行くと言ってから行方を絶った。ティシラを魔界に帰さなければいけない、もし戦闘に巻き込まれて何かあったらまた魔王が出てくるから……クライセンはティシラを説得しに向かって、その役目を果たせなかったんだ」
「だからロアはティシラの安否を確認しに行ったんだ」
「クライセンの失踪後、サンディル様がティシラと話をつけたと聞いたが」
「ティシラは帰ってなかったんだ。だからここにいる。ロアはそれを確かめたかったんだ」
「ロアがそこまでティシラに執着する理由は……」
 ヴェルトは様々な思いと記憶を整理する。当時はじっくり考えている余裕はなかった。改めて、ロアの最期の気持ちを考えた。
「魔王の脅威を排除したかった。そして、ロアはクライセンは生きていると予見していた……もし、二度と二人が会えなかったとしても、クライセンの帰る場所に恋人の死体があってはならないと……そんなことを思ったのかもしれないな」
 白熱する二人の隣で、ティシラは気まずそうに汗を流していた。
 確かにロアはティシラにとって宿敵も同然だったが、クライセンの親友でもあったのだ。ただ嫌悪や憎悪の感情だけでティシラに辛く当たっていたわけではないのだろう、というのは分かる。そうだとしてもティシラからすれば許せることではなかった。だがジギルとヴェルトには何の関係もない。これ以上憶測でロアを神格化させるのは面白くなかった。
 ヴェルトにとってもロアは大事な仲間だった。最後に見た彼は、今まで見たことがないほど狼狽しきっており、目は虚ろでまともではなかった。彼の心は折れていた。最強で完璧だと信じていたマーベラスの魔法軍は、エミーの手で時間をかけて翻弄され綻んでいった。その末に数の暴力で畳みかけられ、命を具現化したアカシック・レイは破壊され象徴であるリヴィオラを奪われ、敗北を目の当たりにし、クライセンという片腕はもがれ、どこを探しても見つからない。
 何よりも、ヴェルトも同じマーベラスだから分かる。彼の心に穴を空けたのは、レオンの変貌だ。彼は思い描いていた「皇帝陛下」ではなかった。命を預けた人は見つめる先にいなかった。その現実を受け入れ、軌道修正するには時間が足りなかったのだ。誰が悪いわけではない。戻らない歪みを戻そうと強引に捻じ曲げた、捻じ曲げざるを得なかった結果の弊害だ。ロアはもうこの世界に自分の居場所はないと悟り、踏み止まることをやめたのだろうと思う。
 ロアは残酷なほど冷静で、近寄りがたい雰囲気を纏っていた。最初はいくら魔法使いとして能力が高いと言っても、こんなに冷たい男が人の上に立っていいものなのかと疑問を抱いた。だが何度か接すればすぐに分かった。彼は守るべきものを守るために常に冷静を保っているのだと。内側には強い情熱を秘めており、その自覚があるからこそ込み上げる感情を自ら殺し続けていたのだ。だからヴェルトはロアを信頼した。そんな彼が最後に取った行動が、ずっと忌み嫌っていたティシラの元へ向かったということ。
「……ロアは、ティシラに希望を託したのか?」
 ヴェルトは亡くなった友人を思いながら、真実を知りたいと思った。
 しかし、ティシラは「はあ?」とまた気を悪くした。
「あのバカは私がクライセンと別れたかどうか確認しに来ただけよ。最後の最後まで、ほんと執念深いんだから」
「……そ、そうなのか」
 感傷に浸っているのも束の間だった。ヴェルトはこれ以上ティシラから聞きたい言葉聞けそうにないと諦めることにした。
 ジギルは違った。まともに質問してもティシラは真実を隠す。きっと後ろめたいことがあるからだ。ならば、と思う。彼女の気性の激しさを利用し刺激することにした。
「やっぱり、お前はまだ息のあるロアと会っていたんだな?}
「だったら何なのよ!」
「いくら仲が悪かったとしても死ぬ間際にわざわざ自分に会いにきた奴を無視するわけがない。お前はロアと話をしたんだ。本当は、クライセンは生きているから助けて欲しいと頼まれたんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょ! あいつは最後まで私に嘘を付きとおして追い出そうとしてたのよ。もう立ち上がりもできないほど惨めな姿を晒してでも」
「息絶える寸前でもそうだったのか……?」
 目を見開き信じられないというような表情を浮かべるジギルに、ティシラは更に苛立ちを募らせる。
「そうだって言ってるでしょ。どうして私の言うことを信じないの? 私が魔族だから? いい加減にしてよね!」
「そうだ、お前は魔族だ。普通の女じゃない。周りには誰もいない状況で、敵対していた奴を目の前にして、ここぞとばかりに復讐を……」
「復讐なんて下賤な感情、私にあるわけないじゃない!」
 わざとらしく身震いし、恐ろしい化け物を見るような目を向けるジギルに、ティシラは我慢できず怒鳴りつけた。
「どうせほっといてもすぐに死んでたわよ! ロアはクソ野郎だけど人間にしちゃかなり上質な魂を持ってた。犬死にするにはもったいないくらいのね。この私がそこまで認めたやったんだから感謝して欲しいくらいだわ!」
 そう言い捨てるティシラだったが、すぐに「しまった」と口を閉ざした。ジギルは素に戻り、代わりにヴェルトがショック状態になっていた。
「……感謝?」ヴェルトの脳裏に、嫌なイメージが浮かび上がっていた。「ということは……何か、したんだな」
 心も体も深く傷ついたロアが魔物に生き血を吸われ、魂を奪われて息絶えたとしたら、それはあまりにも残酷な事実だった。いや、とヴェルトは「最悪」を振り払った。そうだとしてもティシラは世界を救った。ロアならあの劣勢の状況にクライセン以上の戦力が現れるなら希望はあると考えるはずだ。そしてロアの信じたとおりにティシラはレオンの力になった。ロアの死は無駄ではなかった。そう思いたい……。
 放心しているヴェルトの顔の傍で、ティシラは突然指をパチパチと鳴らした。ヴェルトは夢から覚めたかのように体を揺らして瞬きを繰り返す。
「で、レオンのことだけど」
「えっ?」
「あんたの話を聞いた限りだと、レオンはジギルが嫌いなわけ?」
「…………」
「は? なに? まだ私の聞きたい? 私はこれ以上話すことないけど」
 ティシラのあまりに極端な話の逸らし方にヴェルトはまた面食らう。ジギルもあまりにあからさまな彼女の態度に呆れていた。
 だがこちらのほうが本題である。やっと三人が同じ方向を向いた。この機を逃してはいけないと、ヴェルトは気持ちを切り替えた。
「そうだな……い、いや、ジギルはレオン様が連れていらっしゃったのだ。それに、好きとか嫌いとかそういう感情はお持ちではないと思う」
「俺は別に嫌われても構わねえけど」と、ジギル。「そのほうが分かりやすいしな」
「じゃあただの嫉妬でしょ」
「は?」
「レオンはジギルの指導者としての素質に嫉妬してんのよ。私は二人にどんな才能があるのか知らないけど、レオンは自分にないものを持ってるあんたが気に入らないだけじゃないの」
「お前はレオンに会ったことあるのか」
「あるわよ。さっき話したでしょ」
「じゃあ見たんだろ? あいつの魔法使いとしての能力。世界最強だぞ」
「だったら何よ」
「あれだけの才能に恵まれて……それだけじゃねえ。血筋も地位も特別だし、外見も完璧だ。ほんの少し自分と違うところがあるってだけで俺みたいなパッとしない人間に嫉妬なんかするかよ」
「そのほんの少しがレオンにとって大事なものなんじゃないの?」
「え……」ジギルは戸惑って少し間を置き、ヴェルトに目を向けた。「レオンにとって大事なものって何なんだ?」
 ――ヴェルトはすぐに答えず、目を閉じ、ざわつく心を落ち着かせた。
(……やっぱり、レオン様はジギルに……ジギルはそのことを自覚できていないんだな)
 そして、ヴェルト自身もその事実を受け入れられずにいた。頭ではそれができたとしても、まだレオンに包み隠さず真実を告げることができないでいた。体が拒絶するのだ。「レオンがジギルに嫉妬している」なんて、あまりに不敬な言葉を声にすることができない。
 せめてジギルに自覚して欲しかった。羨望や憧れではなく、ジギルの中にある呪いのようなものを。英雄になるために生まれてきたなどと、彼自身は考えたこともないだろう。しかしどれだけ本人が否定しても、「神」によって捻じ曲げられたこの世界ではそういう筋書きなのだ。あり得ない現実を受け入れていくしか、先に進む方法はない。
「……自然と、君の周りには人が寄ってくる」
「は? それが何なんだよ。レオンだって十分指導者として信頼されてるじゃねえか」
「それは……」ヴェルトは奥歯を噛んだあと、ティシラに助けを求めた。「ティシラ、話してくれ」
「そりゃレオンは腐っても皇帝だったのよ。生まれつきね。万人が認めなくても非凡であることは間違いないでしょ」
「それで充分だろ。それに今はもう本物の英雄だ。実績がある。違うか?」
「違わないわ。でも英雄の本分って本来備わっていなきゃいけないでしょ」
「あるだろ。人類を守るために戦ったんだ。普通の精神じゃできねえよ」
「そうね。それだけ条件が揃っているのに、たった一つだけ、大事なものが欠けてると分かったとき、どんな気持ちなのか、それは想像できる?」
「……大事なもの?」
「英雄の本分よ。それがないと、ちょっと考えがズレるだけで世界を滅ぼすことができるのよ。レオンは自分にそれがないと気づいたから、自分の考えは捨てて他人の理想に従っただけなんじゃないの」
「で、でも、レオンは……」
 ジギルはっと息を飲んだ。レオンは理由を考えると人類を滅ぼしてしまうと言っていた。しかし本当は、それの何がいけないのか分からない。利益のないものを守る意味を知りたい。だからジギルに教えて欲しい、と。
「いや……俺に嫉妬してるなら、教えて欲しいなんて言わないだろ」
 ティシラには人間の複雑な感情は理解できない。目線を投げてヴェルトに交代する。
「人にはそれぞれ、できることとできないことがある。レオン様は敵である君に教えを請う勇気はお持ちだ。しかし、レオン様とて一人の人間。他人の個性や才能を認め、艶羨の情を抱かれることもある」
「やっぱりあんた面倒臭い」とティシラが割り込み。「つまり、レオンは自分にないものを知りたい、でも実際持ってる奴を目の前にすると妬ましく思ってしまうのよ。力でどうにかなるものでもないってことも分かるから尚更なんじゃないかしら」
「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ……」
「どうもできないんじゃない。たまに八つ当たりされるくらい我慢すれば?」
 ジギルは言葉を失って青ざめていた。その様子がティシラには理解できなかった。
「どうしたの?」
「だって……」ジギルは焦点の合わない目を泳がせ。「人に嫌われることはあっても、妬まれるなんてなかったし。しかも、相手は元皇帝陛下だぞ。世界最強の魔法使いだぞ。それに、俺に分かりやすい能力があるならまだしも、英雄の本分だとか、全然、どこがだよとしか思えないし……」
「あんた一応、魔薬を使う能力はあるでしょ。そのくらい自信を持てば?」
「でも魔薬がなけりゃ俺は何もできない、凡人以下の社会不適合者だぞ」
「じゃあ単純に嫌われてるんだって思っていればいいんじゃない?」
「そ、そう……なのか?」
 ジギルはヴェルトに意見を求める。ヴェルトは、ジギルがここまで戸惑っていることに戸惑った。
「できれば君に自覚して欲しかったし、君なら理解できると思っていたが……」
「ムチャ言うんじゃないわよ」ティシラがヴェルトを肘で小突いた。「まだガキなのよ」
 ヴェルトはティシラの言葉にはっとなった。狼狽するジギルの顔を、改めて見つめ直す。感情を制御せきずにいる彼は、どこにでもいるただの少年だった。知識で導き出した決断を下す度胸はあっても、経験でしか得られない心の揺らぎにはまだ耐性がなく、柔らかくて脆い。
 ヴェルトは自分の浅はかさを省みた。ジギルもまた、レオンと同じく責任を押し付けられ、これからは自ら背負おうと決意したばかりの、背伸びをしている子供に過ぎない。強い衝撃には耐えられず、誰も予測できない崩壊が起こるかもしれない。
「そのとおりだ……ジギル、今のは忘れてくれ」
「え? ああ……うん」
 ジギルは未だに困惑の色を隠せずにいる。このままではよくないと思うヴェルトも少々焦り始めた。
「私が悪かった。だから、とりあえず普通に戻ってくれないか。その状態だと余計にレオン様とのあいだに溝ができてしまう」
「う、うん……そうだな」
 まだ感情が整理できずにいるジギルに、ヴェルトは頭を抱えた。
 そのとき、ティシラが空を見上げて手をかざした。
「ああ、日が昇ってきた。太陽の光は嫌いなの。もうお開きよ」
 いつの間にかすっかり空は薄い青色に染まっていた。濃くなっている建物の影に移動するティシラとの「約束」をヴェルトは思い出した。それは、ティシラに日が沈むまで光の入らない場所を用意することだった。再建や救助活動には一切参加しない、そのことに文句は言わないことも約束させられていた。
「分かった。案内するが、その前にレオン様に一言……」
「嫌よ。用があるならそっちから来れば?」
 ヴェルトは静かに奥歯を噛む。だがもう彼女が大人しく人の言うことをきくような者ではないことは十分理解していた。ジギルにしろ、レオンへの礼節にこだっわっているのは自分だけのような……いや、どう考えても自分だけだ。レオン自身さえも必要としていない。変わらなければいけないと、ヴェルトは苦汁を飲み込みながらティシラを室内に案内した。
 ジギルは立ち去る二人を見送ってはいたが、まだ正気には戻っていないように見えた。今日はいつもと違う目線で彼を注視しようと考えながら、ヴェルトはいったん背を向けた。




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