SeparateMoon



8






 魔法使いの居住する建物の空室に向かいながら、ヴェルトは再び口を開いた。
「ティシラ、もう一つ聞きたいことがあるんだが」
 周囲はまだ眠っているようで静かだった。自然と、二人は足音を潜めていた。
「なによ」
「レオン様の精神面を支えるためには何が必要だと思う?」
「精神面?」
「今レオン様の傍に仕えることができるのは私だけだとジギルには言われたんだが……敵の攻撃から守るのは当然私の役目で、あの方のためなら自分を犠牲にすることを厭わない。だがレオン様を魔法使いとしてではなく、一人の少年として、正しい道へ導けるとは思えないんだ」
「そうね。そういうのは友達とか家族のほうがいいんじゃないの?」
「……私もそう考えていた。しかしレオン様には心の拠り所となる人物がいらっしゃらないのだ」
「恋人は? まああの様子だといなさそうだけど、身分の高い人って周りが決めた婚約者とかいるものじゃないの?」
「そのあたりは私は詳しくは知らないが、聞いたことはない。候補はいたかもしれないが」
「皇帝陛下の妻になりたい女なんて山ほどいそうだしね。ああでも生き残ってないんじゃない?」
「いたとしても……」
「そうね。もう身分とか関係ないし、その辺に適当な相手はいないの?」
「いるわけがないだろう。ただでさえ人が少ないというのに、レオン様に相応しい相手なんて」
「相応しいかどうかなんてどうでもいいの。どうせ今まで箱に入れて人付き合いも制限してたんでしょ。それなりに外見がよくて性格のいい女を近くに置いておけば自然と恋愛感情が芽生えるかもしれないじゃない。ガキ同士ってそんなものよ」
「……そんな無責任なことができるものか」
「何の責任よ。レオンが誰を好きになろうがもう自由でしょ。別に一人に絞る必要もないし、飽きたら他の女に乗り換えてもいいし」
 ヴェルトはとうとうティシラを睨みつけた。だが、自分が教育しなければいけないわけでもなく、彼女の言うとおり、責任を負うべき者は誰もいない。
「もしレオンが癖の悪い男になったとしたら、それは元々そういう性質だったのよ。今まで女を遠ざけていたから分からなかっただけで」
「ダメだ」ヴェルトは語気を強め。「今はこういう状況だが、いずれはレオン様を王とする国ができ繁栄する。それまで品位を保つ必要がある。レオン様は立派な大人になり、次の世代のためお世継ぎを……」
「その品位も過去の価値観でしょ。レオンは全部壊したかったのに、結局同じことの繰り返しじゃ犠牲が無駄になるだけよ」
「…………」
「人間らしい感情が芽生えて欲しいなら恋愛こそ手っ取り早いと思うの。あんたも経験あるなら分かると思うけど、感情と無意識に支配されて理性も理屈も欠けた状態で一人に執着する。その人のことが気になって気になって、何か嫌な思いをしていないか心配で、辛いことから守ってあげたいってそんなことばかり考えるのよ。時には夢中になり過ぎて周りが見えなくこともあって、ちょっとしたことで一喜一憂して、もう死にたいとか、殺したいとか、とんでもないことが普通に頭を過ぎるのよ。でもそれもこれも全部好きな人のため。苦しみ痛みも好きな人の存在が近い証明で、それに気づいたら何もかもが幸せに思えるの。それこそ愛ってやつじゃない?」
「……私の経験はともかく、普通はそこまで酷くない」
「は? 酷いってなに? 病気みたいに言わないでよ」
 ティシラの場合は病気どころか狂気に近いと思うが、ヴェルトはこれ以上言わなかった。
「文句ばっかりね。いい加減に今の状況を受け入れなさいよ。秩序なんてもうないの」
「そんなことはないだろう。人数が少ないとはいえ、皆、自らの苦痛に耐えながらも他を思いやっている」
「それはレオンとジギルがいるからでしょ」
「なんだって?」
「先導者であるあの二人がどっちか一人でも死んでたら、生き残りなんて手負いの獣同然で奪い合うだけよ」
「そう思うか……?」
「そうよ。あんたもレオンがいなかったらどうしたらいいか分からないでしょ。何をすべきか明確な目的があるから理性を保てているんじゃないの? ジギルがいて、レオンと協力し合っているからアンミール人はあんたたちへの憎悪を飲み込んで未来を見据えているのよ。まあ、今後人数が増えてくれば暴動が起きる可能性はあるけど、そうなったら指導者がどうするかでまた周りの意識も変わるものよ」
 何の役にも立たない自分語りを続けているかと思うと、突然まともなことを言い出すティシラにヴェルトは戸惑うばかりだった。改めて、クライセンが惚れた女性だということを思い出す。彼は運命だの赤い糸だの酔狂な理由で盲目になるほどバカではない。普段は夢見がちで破天荒ながら、いざというときの梃子でも動かぬ信念を貫く強さは心を打つものがある。クライセンの彼女に対する愛情は信頼や尊敬からくるものなのだろう。
 ヴェルトは、クライセンではなくティシラと話せてよかったと思っていた。おそらくクライセンだったら自分と同じ意見で始終していたに違いない。ティシラの意見は大胆で斬新で、ジギルとはまた違う視点を持っている。間違っていなかった。
「……だからと言って」ヴェルトは眉間に皺を寄せ。「安易にレオン様に女性を宛がうというのは反対だ」
「なんでよ」
「レオン様にも、その相手にも失礼だ。そういうのは自然に任せるべきだ」
「あっそ」ティシラは大きなため息をつく。「面白くないわね」
「それにしても、君は妙に博識だな」
「何が?」
「レオン様とジギルのことなどほとんど知らないだろうに、よく今の状況を把握しているな。クライセンとそんな話をしているのか」
「クライセンとこんなつまんない話するわけないじゃない。私は魔王の娘よ。生まれたときからずっと近くで魔界の支配者を見てきたの。人間とは違う部分はあっても、民を支配し従わせて世界を構築するやり方は変わらないでしょ。私は魔界も人間界も支配する気はないけど、自然と染み付いているだけよ」
 そんな会話をしていると頭上から声が聞こえ、二人は足を止めて傍らの建物を仰いだ。
「あら、可愛いお客さんね」二階の階段の窓から顔を出していたのはアシュリーだった。「どなた?」
 彼女と目が合い、ヴェルトは体を強張らせた。
「今そっちに行くから、待ってて」
 アシュリーは言いながら窓の淵に片足をかけ、逃げる間もなく身軽に飛び降りて二人の前に着地した。
「……アシュリー、こんな早朝に、起きていたのか」
 緊張しながらヴェルトが言うと、アシュリーは優しい微笑みを浮かべる。
「なんとなく声が聞こえて、眠りが浅かったのかしら。目が覚めたのよ」
「いつからそこにいた」
「ついさっきよ。なに? 聞かれたら困る話でもしてたの?」
「そういうわけでは……」
「ああ、もしかして……密会? だったらごめんなさいね。邪魔しちゃって」
 密会には間違いない。二人は肯定するか否定するか迷っていたが、アシュリーのからかうような目線と口調で彼女が何を言いたいのかすぐに気づいた。
 当然、ティシラは黙っていられない。
「なによその目は!」牙を剥き、目を吊り上げ。「変なこと考えるんじゃないわよ。私には相思相愛の婚約者がいるのよ。こんなどこにでもいるような軟弱な奴なんか興味ない!」
 流れ弾を受けた気分のヴェルトは眩暈を起こしたが踏み止まる。またティシラに火が付いたら面倒だ。急いでその場を取り繕った。
「アシュリー、彼女はティシラ。クライセンの恋人で、魔界の姫だ」
「へえ」アシュリーは笑顔のまま目を見開いた。「クライセンの? ああ、聞いたことあるわ。この子なのね。会えて嬉しいわ」
「国の再建についてクライセンに相談したかったが、彼は今療養中で、代わりにこの元気なティシラに来てもらったんだ」
「そうなのね」アシュリーは笑いを堪えながら。「失礼なこと言ってごめんなさい。ヴェルトを軟弱だなんて、ほんとに興味がないのね。面白い子だわ」
「そういうあんたは誰よ」
「私はアシュリー。マーベラスの魔法使いよ。ああ、元、だけど」
 ヴェルトは未だに自らを「マーベラス」とは言っても「スターブロン」と名乗らない彼女に不信感を抱く。
 注意深くアシュリーを観察しているヴェルトの様子に気づき、ティシラも二人の間にある緊張を感じ取った。
「で、あんた敵なの?」
 ティシラの空気を読まない発言に、完全に空気が張り詰めた。
 ヴェルトは彼女の考えが読めず青ざめ、アシュリーも笑うのをやめた。
「どうして?」アシュリーの口調は変わらず優しかった。「ヴェルトがそう言ったの?」
 ヴェルトはティシラにはそんな話はした覚えはなかった。違うと口を挟もうとしたが、ティシラは意外にも冷静だった。
「いいえ。あんたのことなんか何も知らない。ただ聞いただけよ。答えて」
 アシュリーはティシラの目を見つめ、彼女の表情を読もうとしていた。しかし、素直なティシラからは分かりやすい「敵意」しか感じられなかった。
「いいえ」アシュリーも落ち着いた様子で。「敵なわけないでしょう? 私はマーベラスの魔法使いだって言ったじゃない。なぜ私たちが争わなければいけないの?」
 ティシラはふうんと呟き、白む空を見上げたあと、再びアシュリーに目を向けた。
「私はね、レオンとジギルにこの世界を立て直してほしいの。だからここに来たのよ」
 驚いたのはアシュリーだけではなくヴェルトもだった。
「私はクライセンとこの世界で平和に幸せに暮らすの。そのためにはこの壊れた世界を修復してもらわないと困るの。それができるのはあの二人だけなのよ。一人でもダメ。二人とも必要。でも二人が信頼関係を築くだけでもきっと時間がかかる。それでもやってもらわないといけない。だから私にできることがあるなら手を貸してあげてもいいと思ってる。つまりね」ティシラはアシュリーを指さし。「あんたが二人の敵なら、私の敵でもあるということなの」
 数秒間、二人は見つめ合った。
 あのエミーとタイマンを張ったティシラと、伝説級の魔法使いであるアシュリーの対峙に、ヴェルトはとても口出しできなかった。その数秒が妙に長く感じ、まるで時が止まっているかのうようだった。しかし額に流れる汗の感触がその錯覚から現実に引き戻してくれた。
 緊張の糸を解くように、アシュリーがふふっと笑った。
「やだわ、敵じゃないって言ったでしょう? どうしてそんなに怖い顔するの?」
 ティシラは手を下ろし、目を伏せた。
「敵じゃないと思ったから、私のこと、教えてあげたの」
「ああ、なるほど……意外、と言ったら失礼だけど、しっかりしてるのね。心強いわ。それじゃあ私も自己紹介しないとね」
 ヴェルトははっと息を飲んだ。アシュリーのことを知るチャンスだ。このどさくさに聞きたいことを聞こうと身構えた。
 だが、ティシラは素知らぬ顔で歩き出した。
「いい。興味ないから」
 ヴェルトがショックで唖然としていると、振り返ったティシラに怒鳴りつけられた。
「早く来なさいよ! もう日が昇ってるじゃない!」
 がっくりと肩を落としたまま、ヴェルトはティシラの後に着いていった。
「話がしたいなら夜にまた呼んで」
 ティシラはアシュリーにも聞こえる程度の声で呟いた。アシュリーは聞き届けたあと笑みを浮かべたまま、その場を去っていった。

 ヴェルトは歩きながら冷や汗を拭う。
「ティシラ、どうしてアシュリーの話を聞かなかったんだ」
「自分で聞けば?」
 ティシラの一言に何も言えなかった。

 ティシラを地下の部屋に案内したあと、レオンに彼女のことを報せた。
 レオンは「そうですか」とだけ言って目も合わせなかった。
 取り付く島もないとはこのことで、ヴェルトはこの心労はまだ長く続きそうだと覚悟を決めた。



*****




 しばらくして全員が起床し、いつものようにレオンの前にジギルとヴェルト、アシュリー含めた数人が集まった。
 ジギルとヴェルトは寝不足かつ精神が不安定な状態だったが平静を装っていた。
 今日の予定を話し合ったあと、それぞれが持ち場に移動していく。
 ヴェルトが距離を置いてジギルの様子を伺うと、彼はやはり表情を強張らせているように見えた。そんなジギルが、自分からレオンに向かって近づいた。
「おい」と声をかけるとレオンが振り返る。
「ああ、あの……俺、今日、ちょっと……」
「なんですか?」
「あの、シアって分かるか? アンミールの、小さい子供」
 確か……とレオンはあの夜、眠れずに泣いていた少女のことを思い出す。
「それが何か?」
「その子が、体調悪いらしくて、看病したいんだ。今日は同行できない」
 ジギルは気持ちの整理ができずに、どうしても今日だけはレオンと一緒にいたくなかった。だから嘘をついていたのだった。一切顔を合わせないのは無理でも、極力会話をせずに済ませたかった。
「重症じゃないと思う。様子見て、よくなったら後を追うから、先に行っててくれ」
 レオンを避けるための嘘だったのだが、彼にとってあの夜のあの光景――孤独な幼い少女に頼られる「英雄」の姿は面白いものではなかった。ジギルにはそんなレオンの心情は理解できない。
「……あの少女には、世話をしている兄がいたのでは?」
「ああ、セロンか。あいつはダメだ。大人と変わらない労働力があって、俺なんかよりずっと役に立つんだ。利発で気が利くし、体力もある」
「魔薬で治すのですか?」
「まさか、そんなわけねえだろ。この辺に魔薬なんてねえし」
「では、あなたは何ができるのですか?」
「とりあえず症状を聞いて……ただ、近くに薬草ならあったって聞いた。探して、調合してみる。何があって何ができるか調べておけば、今後も使えるだろうし」
 レオンの目が更に冷たくなっていく。ジギルは彼の顔を見れずにいたため、そのことに気づかなかった。
「あ、でも調べるって言っても、図鑑がなかったな」目を泳がせながら、苦笑いを浮かべる。「残っても何もできないかもな。俺ってほんと役立たずだから……」
 レオンの「嫉妬」を異常に怖がるジギルは、自分がどれだけ無力かを主張した。見下してくれていい。そのほうがいい。卑屈になるだけで最強の魔法使いの視線から逃れられるならいくらでもバカになれる。
「でも水を飲ませてやるくらいはできるから、ほら、転んでケガしたら余計に面倒だろ。だから……」
 焦るジギルに策はなかった。
 レオンが気に入らないのは、自然に頼られ、自然に救うジギルの姿だったのだから。彼のついた嘘は余計にレオンの神経を逆撫でするだけだった。
 レオンもこれ以上ジギルを見ていたくなく、目を伏せた。
「図鑑などなくても、知識はあるのでしょう?」
「……え?」
「あなたの頭の中に」レオンは踵を返し、立ち去りながら。「私には報告だけで結構です。ご自由にどうぞ」
 いつものことなのか、また機嫌が悪くなったのか見分けがつかないジギルだったが、とりあえずレオンと距離を置けることに安堵する。おぼつかない足取りで、話を合わせるためにシアの元へ向かった。
 ヴェルトは明らかに挙動不審だったジギルにため息が出たが、二人が別行動することに彼も同じく胸を撫でおろした。





<< Back || TOP || Next >>



Copyright(c) RoicoeuR. All rights reserved.