MurderousWorld
13-Enpty




「全部てめえのせいなんじゃねえか!」
 ルークスは今までの態度を一転させ、立ち上がってブラッドに怒りをぶつけた。ブラッドは言い訳することもできずに、ものを投げつけてくるルークスから枕で身を守った。
「ご、ごめん」
「ごめんで済むか! なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよ。ああクソ、背中も腹もムカつくほど痛てえよ! なんだあのクソ犬は。どう考えても悪いのは俺じゃなくてブラッドだろ。頭おかしいんじゃないのか。あのサルにしろ、本能のままに行動しやがって、理性も知性もない畜生そのものじゃねえか。あれで大人かよ」
 ブラッドは、ルークスの剣幕に押されて縮こまっていたが、とりあえず思ったよりも元気そうだという部分だけには安心した。
「そ、そうだ、エイダは?」
 一体何がどうしてこうなったのか、ブラッドは聞きたかったが、その話題は余計にルークスを怒らせることになる。
「ああ?」
「いや、あの……エイダは先に帰ったのかな、と。なんでそのときに、君も一緒に帰らなかったのかなあ?」
 ルークスの顔がゆっくりと赤くなっていく。ブラッドには分かった。それが、耐えられない怒りを沸々と湧かせている表れだということを。
「!」
 ルークスは糸が切れたかのようにブラッドに襲い掛かってきた。ブラッドは枕を投げ捨てて素早くベッドから降り、壁に背中をつける。歯を剥きだしてブラッドを睨み付けるルークスの姿は、まるで飢えた野獣が餌を奪い合うときの極限状態のように見えた。
「……あのサルはなあ、何にも言わないで、黙って一人で、帰りやがったんだよ」
「え……」
 ルークスは説明するだけでも腹立たしく、言葉を搾り出すのに一つひとつ力んでしまっていた。
「それで、なんだかよく分からねえけど、てめえは泥酔してるし……」
「そ、それは」ブラッドは必死で笑顔を作った。「そんなのほっといて帰ればよかったのに。でも、心配してくれたのかな。君は本当は優しいんだね。でも、そのせいで迷惑かけ……っ!」
 ブラッドの顔めがけて目覚まし時計が飛んできた。頭を抱えて避けたが、時計は壁に激突して粉砕してしまった。
「……てめえも畜生と同じだ」ルークスは鬼のような顔になっている。「俺は何度も逃げようとしたんだよ。なのに蹴るは抱きつくは、この俺にゲロまでかけやがって……何が優しいだ。仮に優しかったとしてもな、てめえの暴挙は菩薩だって許してくれねえぞ。何度殺してやろうかと思ったことか」
「う、嘘……そんなこと、僕が……?」
「でもな、やっと分かったよ」ルークスは必死で呼吸を整える。「てめえが一級者だったとはな……適わないと認めるのは悔しいが、それが分かっていれば俺だってもっと警戒してたさ。なのに、なんだよ、まるで女子供みたいなアホの振りして、俺を騙すつもりだったのか。俺を騙して、何がしたいんだよ。恨みでもあるのか」
 女子供、アホ振り……そんなつもりのまったくないブラッドは少々気に障ったが、ルークスの怒りとは比べ物にならない。彼を宥めるほうが先決である。
「そ、そんなものないよ。ほんとに、君と話してみたかっただけだよ。悪気はなかったんだ。まさかこんなことになるなんて、何も考えてなかった」
「考えろよ!」
 ブラッドの言い訳はルークスの神経を更に逆撫でする。きっと今は何を言っても無駄なのだろうと思う。
「クソが。気分も悪いし体も痛い」ルークスは眉を寄せてベッドに仰向けになった。「少し休む。お前はどっか行け。顔も見たくない」
 声を落としたルークスの様子を、ブラッドは恐る恐る覗きこんだ。
「……大丈夫?」
 怒りで暴れているとは言え、あれだけランにいたぶられたのだ。普通の人間ならまともでいられるはずがない。しかしルークスは一度閉じた目をかっと開き、血走ったそれでブラッドを一瞥した。
「大丈夫なわけないだろ」
「そ、そうですね」
「いいから、お前はなんとかしろ」
「なんとかって……」
「なんでちょっと遅刻したくらいで死ねとまで言われないといけない? よく分からないけど、戦争に行けばいいんだろ?」
「……ど、どういうこと?」
「あの犬が言ってただろう。戦争で生き残れば認められるって……やってやるよ。認めさせてやろうじゃねえか」
 ブラッドは息を飲んだ。まだルークスは諦めてなどいないのだ。だが、そんなに単純なことではない。彼は、前に言ってたように「好きなだけ人が殺せる」などと思っているのではないだろうか。その程度の考えでは、この世界ではやっていけない。
「……死ぬかもしれないよ」
「構うものか」ルークスは迷いなく言い切る。「俺は別に死ぬことなんか怖くない。ただ、このまま見下されているのだけは許せないんだ。何がなんでも俺の存在を認めさせてやる。そうすれば後はどうなったっていい」
「でも、仮に生き残っても、組織で役に立てるのかどうかは、また別のことだし」
「……なに?」ルークスは体を起こす。「どういうことだ」
「僕たちは人を殺すこともあるし、殺せと命令されることもある。でも、それにはすべて理由があるんだ。嫌いだからとか腹いせだとか、そんなことで戦っている者はいない。確かに今回のことは生き残れば違う見方をされるかもしれないけど、一番きついのはその後。その覚悟が、君にはあるのか」
 ルークスは目線を落とした。何か考えてはいるようだが、決して穏やかな表情ではなかった。今の彼を納得させる言葉はないのかもしれないが、ブラッドはルークスを戦場に送ることに抵抗があった。なまじ力があるからだ。彼なら生き残ることができるのかもしれないが、今のままではいつか確実に潰される。ブラッドにはそれが分かる。それがルークスに架せられた運命だったとしても、ここで足止めされていることには必ず意味があると、ブラッドはそう思っていた。ルークスは頭は悪くない。戦闘のセンスもあると思う。うまくやればきっと何かの役に立つ力を手に入れることができるはず。だから、ブラッドはこのまま見送ることができなかった。
 だが、ルークスには余計なお世話だった。髪を揺らし、再びブラッドを睨み付ける。
「……うるせえな。女みたいにグチグチと。そんなんだからモテねえんだろうが」
 ブラッドの心に、見えない刃物が突き刺さった。痛くて、涙が出そうになる。
「な、なんだよ……人が心配して……」
「黙れ。『私はあなたのことを心配しているの』。それ、俺がヤリ捨ててきた女が縋りながら吐く台詞と同じだぜ。男に言われたのは初めてだが、やっぱ気色悪さは抜群だな。鳥肌が立つ」
 続けて、ブラッドは頭を金槌でめった打ちにされた、ような気がした。
「生憎、俺は男に憎まれる以上に女に好かれる。お前なんかに気遣われなくても持ち腐れるほど間に合ってるんだよ。自分が特別だなんて思うな。お前なんか、俺に取っては女ほどにも使い道がない役立たずだ。女は全身全霊で俺の気分をよくしてくれるが、お前にはその価値さえない。一級だろうがなんだろうがな、何もできないなら出しゃばるんじゃねえよ」
 ブラッドは顔を赤くして震えていた。悲しいやら悔しいやらで言葉が出てこなかった。ルークスは素知らぬ顔で、彼に背を向けてベッドに横になった。
「それに、俺は他に行くところもないし、やることもないんだ。何もしないならこのまま死ぬのも同じこと。絶対に認めさせる。もしデスナイトに入れなくても他の組織に行って、いつか嫌がらせでも復讐でもなんでもしてやる。そして、敵に回したことを後悔させてやるんだ。それをやり遂げるまで、俺は諦めないからな」
 そういい捨て、ルークスは目を閉じて大人しくなった。もうこれ以上言葉の暴力は受けないで済みそうだが、ブラッドの痛手は大きかった。その場にガクリと崩れ落ちる。
 確かに自分のせいでルークスは酷い目に合った。それは認めるが、与えられた報復は、ブラッドにとって過剰だとしか思えなかった。酷い。まだこれから組織で罰を受けなければいけないのに、弱りきったブラッドは耐えられないかもしれないと不安になった。
 しかし、今はいつまでもいじけて落ち込んでもいられない。ブラッドは目を擦りながら座りなおして壁にもたれかかった。
 これ以上ルークスには何を言っても聞かないと思う。何よりも、言えば言うほどまた残酷に切り返されるのがブラッドは怖かったのだ。子供のくせに、と喉まで出掛かっていたが、それさえも自爆しそうで、熱さを我慢してぐっと飲み込む。
 ブラッドは頭を垂れ、自分がやるべきことを整理した。まずは本部へ行き、ランや司令官に会って話をしなければいけない。そのときに自分への処分も言い渡されることになるだろう。そして、ルークスをどうするか。どうやら彼は今からでも任務を受けるつもりでいる。そうでなければ他の組織へ行くというのも本音なのだろう。
 どこにも行くところがない。何もしないなら死ぬのと同じこと――その言葉はブラッドには痛いほど理解できた。自分もそうだったからだ。きっと組織にいる者、いや、この世界の冒険屋のほとんどがそうなのだろうと思う。
 行き場のない若者の駆け込み寺として、毎年数え切れないほどの人材が拾われる。しかし実際に生き残っていけるのはほんの一握りなのである。今回の運試しに借り出された新人たちは、そもそもこんな扱いを受けた時点で運がいいとは思えなかった。彼らは何も知らないまま、名前も存在も認知されないまま、戦場に転がる死体の一つとなってしまうのだろう。
 可哀想だが、これが今の現実だった。救ってやることができない以上、ブラッドは見て見ない振りをするしかない。その中で、ルークスという少年はまだ希望があると思っていた。何の因果か、紆余曲折しながらもまだ自分の手の内にいるのだ。死なせたくない。こんな生意気な子供と敵対するのもごめんだ。
 彼の納得のいくまでやらせよう。組織と話し合い、ルークスの希望を通させることくらいは自分にできるはずと、ブラッドは覚悟を決めて腰を上げた。



   




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