MurderousWorld
17-Escape




「子供だからって関係ない。どいつもこいつも俺の敵だ。この世界には俺の味方なんてどこにもいない。全部、全部敵なんだ、だから全部殺してやるって決めたんだよ」
 ブラッドは言葉を失った。ただの生意気な子供だと思っていたルークスにも考えがあったことを知り、今まで彼を見下していた自分に気づくと同時、胸をきつく締め付けられた。
「……全部が敵だなんて、そんなことはないよ」
「……ああ?」
「少なくとも、君の名付け親は君を愛してた。君を守ることで今まで犯してきた罪を償ったんだ」
「……何言ってんだよ」
「君の名づけ親――『ルークス』は、最後に君に出会えてよかったと思ってる。人を守ることは殺すよりずっと難しい。だけど『ルークス』は君を守った。だから君はその名前をもらったんじゃないのか」
「違う! 忘れないためだ。あの時の悔しさを、惨めさを忘れないように、誰にも、何ものにも惑わされないように、一人で生き抜いていくための呪われた言葉なんだ」
「でも、そんな風に生きて、君は何を成し遂げれば終わると思っている?」
「なんだと?」
「人は生まれた瞬間に死へ歩み続けている。死は恐れるに足りないものだ。なのになぜ人は死を恐れるのか、それは、場所も時間も選べずに大事なものを残していかなければいけないからなんだ。取り戻せない悔いというのは、肉体が伴う痛みや苦しみなどとは比べ物にならない。だから生きているうちに何かを為そうとする。君は何を求めている?」
「そんなの、知らねえよ」ルークスは息を荒げていた。「この世のすべてが恨めしいんだ。全部壊してしまいたい、全部殺してやりたい。その欲求が俺を生かしているだけ。別に何も欲しくないし、手に入れたいなんて思わない。死ぬまで奪い続ける。それだけが俺の生きている理由だ」
「そんな……」
「うるさい! 気に入らないなら、俺が間違ってると思うなら殺せよ。お前なら俺を殺すことなんか簡単だろ? 俺はお前の説教なんか聞かないからな。どうしても許せないなら、殺せばいい!」
 ルークスはすべての感情を吐き出すように、天に向かって吠えた。
「お前も同じだ。俺の敵だ。殺せ、殺せよ!」
 見た目に惑わされ、精神の幼い彼を追い詰めてしまったことを、ブラッドは後悔していた。子供の「殺す」や「死ね」など、本気であるはずがないのに、真に受けてしまった自分を恥じる。これでは、エイダを失った悲しみの単なる八つ当たりでしかない。
 不幸な環境と、恵まれた肉体。ルークスにとってはどちらも重く、放棄したいがためにずっと逃げ続けてきたのだろう。彼は強くなんかない。逃げることしか知らず、逃げるための手段を極めようとしているだけなのだ。
 立ち向かう力を持っていることにも気づかず、彼はどこまで逃げるつもりなのだろう。そうではない方法があったとしても、いくら言葉で説明しても受け入れてくれるとは思えない。ブラッドは改めて、ルークスの間にある距離がこんなにも大きいものであるということを痛感していた。
 昂ぶった気持ちを抑える時間を必要とし、ブラッドはリビングを出た。


*****



 数時間、二人はそれぞれに静かに過ごしていた。ルークスはリビングで顔を落とし、腫れた目を時折擦りながら呆然としていた。次第に、本心を他人にぶちまけてしまったことを恥ずかしく思い、後悔の念が押し寄せてきた。
 組織に入ることで、やっと自分の居場所ができると思っていた矢先にこれだ。どうしてうまくいかないのか、彼には理由が分からなかった。これからどうすればいいのかという不安に包まれる。ブラッドとどういう顔をして接すればいいのか分からない。このまま出ていこうかと考えていると、ブラッドが引きこもっている寝室から物音が聞こえた。耳を澄ますと、声が聞こえた。電話で誰かと話をしているようだ。
 ブラッドはベッドに寝そべったまま、ランからの連絡を受け取っていた。
 ランの声も低い。エイダのことを聞いたのだろう。そのことには触れてこないが、彼なりに気遣っているのだと思う。
「うん、分かった。明日本部に行くよ。午前中には向かうから」
 ランから決定的な言葉はなかった。ブラッドも、今は落ち着いて考えることができない。仕事に私情を持ち込むことには抵抗はあったが、いずれにしても電話で済ませられる内容ではない。今はそれでいいと思うことにした。
「ところで、新人はどうした」
 ランは余談のつもりで出した会話だったが、それも今のブラッドにはいい話ではなかった。
「……まだいるみたいだけど」天井を見つめていた目を、落とし。「もう僕には関係ないよ」
 扉の前で聞き耳を立ててしまっていたルークスは、自分のことだと分かった。それがブラッドの答えだと受け入れ、なぜか、酷く心が痛んだ。
 呆れたのか、面倒臭いと思われたのか、いずれにせよ見捨てられたのだと思う。自分ならきっと誰からも求められ、どこからも欲しがられるものだと思い込んでいた。だけど、結果は無残なものだった。
 ルークスは急に自分に自信がなくなった。立ち向かうことも逃げることも、もう何もかもが嫌になってしまう。こんな気持ちは初めてだった。もどかしさのやり場が分からず、自分の髪の毛を乱暴に掴み、深く瞼を落とす。
 ルークスが力なく立ち尽くしているとき、ドアの向こうでベッドの軋む音がした。ブラッドが出てくると気配を感じ、はっと顔を上げる。だがルークスがどうしようか考える間もなく、ブラッドはドアを開け、突っ立っていた彼と対面する。
「あ」
 ルークスがそこにいるなんて予想もしていなかったブラッドは一瞬驚きを見せたが、すぐに表情を消して目を伏せる。そしてそのまま何を言わずに彼の横を素通りした。
「お、おい」
 戸惑いながらルークスが声をかけるが、ブラッドは背を向けたままだった。
「別に、ここにいたいなら勝手にいてもいいけど」
「……けど?」
「僕には干渉しないでくれ。それが約束。どんな理由があれ、僕に迷惑がかかった時点で追い出すから。力尽くでもね」
 ブラッドはそう言い捨て、再び足を進めた。
 取り残された感が否めないルークスは言葉を失う。マヌケで優しいというイメージしかなかったブラッドにこうも冷たくされることは、誰に突き放されるよりも重く感じた。
 闘争心を失くしたルークスは、改めてブラッドの背中を見つめた。なぜか、今までよりもずっと遠くに見えた。どれだけ必死に走っても届かない。そんな気がした。
 なぜだろう。ブラッドとはつい昨日、一緒に語り合いながら酒を交わした。彼から何度も笑顔を押し付けられた。そのときは鬱陶しいと本気で思っていたのに、今は、そのすべてが嘘に思える。しかし、かける言葉を探すうちに、自分が一体どうしたいのかという明確な答えを出していないことに気づく。
 ブラッドと仲良くしたいのか、今までのように優しく笑って欲しいのか――違う。そんなに単純なことではない。そんなものを求めても何も変わらない。自分はまだ何もしていない。始まってもいないのだ。そのきっかけを掴みたい。そして、本能でブラッドに力があることを感じ取り、どこかで彼に頼っていたことも、悔しいが認めるしかなかった。
 ブラッドは、珍しく子供らしい表情を浮かべているルークスには見向きもしないままキッチンへ姿を消した。明かりを点けてガチャガチャと物音を立てている。
 行き場も目的も失ったルークスは、やはり戦場へ行こうと思った。どうなっても構わない。死ねばそこまで。生き残れば正式に組織に入り、そこでまた考えればいい。そう思って、ブラッドに話をしようと顔を上げる。
 それとほとんど同時、キッチンからブラッドの悲鳴が聞こえた。
「?」
 何事だろうと肩を揺らすルークスに、怒りの表情を浮かべたブラッドが駆け寄ってきた。
「ルークス! 君は、勝手に何をやってるんだ」
 さっきの冷たいブラッドよりは人間らしく見えるが、こんなに怒っている彼を知らない。ルークスは一歩足を引く。
「……は? な、何が」
「何がじゃないよ! 鍋の中にあったカレー、食べただろう。しかも、全部!」
「……え、ああ。うん」
「うんじゃない! 酷いよ、あれは僕がいろんなスパイスとかを勉強してブレンドして、食材も手間隙惜しまずに現地からいいものを仕入れて、一生懸命作ったもので……君たちと飲みに行った後ならいい具合になっているだろうって思って寝かせてたものだったんだぞ!」
「…………」
「楽しみに取っておいたのに! しかも、なんで二日分全部完食なんだよ。せめて残しておくのが礼儀だろう」
「いや、腹減ってたし、そんなに大事なものだったなんて知らなかったし……」
 ブラッドは怒りで涙さえ浮かべ始める。体を震わせて睨み付ける彼が、怖くはなかったが、どう対応するべきなのかまったく思いつかない。
「えっと、悪かった」何も考えないまま。「ああ、でも……そんなに期待するほどうまくもなかったから……」
 ルークスなりの気休めのつもりだった。しかし、その余計な一言はブラッドに止めを刺す結果となった。
「……出て行け! もう許さない!」
「え……!」
 どうしてそこまで怒っているのか理解できないうちに、ルークスはブラッドに掴みかかられ、抵抗する隙も与えられない。
「ちょ、ちょっと」
「うるさい! 君みたいなドロボーに居られたら迷惑だ。もう二度と来るな!」
「なんだよ、そんなに大事なものなら鍵でもかけとけばいいだろ!」
「じゃあ鍵つきの鍋を持ってこい!」
 言葉通り、ルークスは力尽くで叩き出されてしまった。冗談かと思ったが、どうやら本気だったようだ。
 玄関の外に放り出されて、ドアには乱暴に鍵がかけられる。
 ルークスは開いた口が塞がらなかった。
(……何なんだよ、あいつは)
 理解できないのは自分だけではないはず。それだけは確信があった。
(悟ったかのような意味深な言葉を吐くかと思えば、子供みたいにじゃれついてきたり、女みたいに突然ヒステリー起こしたり……変な病気でも持っているのか? それとも何かに取り憑かれているんじゃないのか)
 余計なお世話なのは承知で、一回病院に行ったほうがいいんじゃないかと心配になる。
 考えても分からないものは分からないのだが、謎は深まるばかりだった。



   




Copyright(c) RoicoeuR. All rights reserved.