MurderousWorld
18-Alteration




 次の日の朝。ブラッドはランとの約束通り、午前中にデスナイト本部に到着できるように家を出た。用意を済ませ、玄関のドアを出て愛車のジープに向かう。
 無理やり追い出したルークスのことは、気にならないわけではなかったが、あまり考えないことにした。それよりもと、これから手がける仕事に集中しなければと気分を入れ替える。入れ替え、ようとした。
 車に鍵を差込み、回そうとしたそのとき、車内の異変に気づく。後部座席に見慣れた男が膝を折って寝転がっている。
 ルークスだ。帰るのが億劫だったのか、それともまだ用があるのかは分からないが、車内で夜を過ごしたようだ。
 まさか、とブラッドは後部のドアに素早く目線を移す。
「あ!」
 嫌な予感は当たり、鍵穴は無残に傷だらけになっていた。ブラッドがつい出してしまった大きな声でルークスは目を覚ます。ブラッドに向けた寝ぼけた表情は、鍵を壊して車を宿代わりにしたことなど悪びれる様子もなかった。ブラッドは不機嫌そうに運転席に乗り込む。背を向け、エンジンをかけながら。
「……車の鍵を壊すくらいなら、家に入ればよかったのに」
 ルークスは悠長にあくびをしながら体を起こす。
「勝手にあがったら不法侵入だろ?」
「ピッキングも立派な犯罪だよ」ため息をついて。「インターホンでも鳴らしてくれれば入れたんだけどね。何も言わないから大人しくどこかに行ったんだと思ってた」
 ブラッドは車を発進させ、本部に向かう。
「自分で追い出しておいて、何言ってんの」
 ルークスがふんと鼻で笑うと、ブラッドも同じことをして返した。
「小さな子供にお仕置きしただけだよ。素直になれば暖かい布団で眠れたのに」
「あ、そ。どうでもいいけどね。それよりさ、本部に行くんだろ? 俺も連れてけよ」
「なんのために?」
「大体あんたのせいで仕事をハブられたんだ。責任取ってくれるんじゃないのかよ」
「君に迷惑かけたことは悪いと思ってる。でも、自分のミスの尻拭いは別の形でやることにしたんだ」
「別の形って?」
「君には関係ないよ」
「ふうん」ルークスは背伸びをしながら。「とりあえず、このまま連れてってくれよ。そのくらいはいいだろ?」
「……いいけど、本部に行ってどうするの?」
「さあ。そのときに考える」
 それから二人の会話は続かなかった。気まずい、というのが正直な気持ちだった。
 昨夜ルークスはつい感情的になってみっともない姿を晒してしまい、ブラッドはそれに対してどう応えればいいのか分からないままだった。ただ、できることならなかったことにしてしまいたいという思いは共通していた。
 だからもう考えなくてもいいように、忙しくしようとブラッドは思う。そうでなくても、自分がこれから取り組もうとしていることは組織の名前を賭けた大仕事なのだ。それに、根拠はなかったが、ルークスがそう簡単に死ぬとも思えない。今後も関わりを持つのかどうかは分からないが、彼のことは後回しにしようと考えていた。
 ルークスは、ブラッドの気持ちが理解できずにいたままだったが、彼は彼で気にしないように努めていた。ルークスには何の力もないのは事実だったのだから。組織に足を踏み入れてからは更に身動きが取れない状態に追い詰められてしまっていることを認めるしかなかった。なぜなら、一人だったのならば何の規制も秩序もなく、好きなようにしていられるからだ。必要なものはどこからか奪えば事足りる。人が恋しければ町に出ればいい。凶暴な衝動に駆られたときは、人知れず誰かを傷つければいいのだから。しかし、今はそれができなかった。
 してはいけない、行動すれば罰せられる。恐れるべきは暴力などではなく、目に見えない、逆らえない圧力。無闇に欲しがった結果、損をするのは自分だということをルークスの若い脳はどこかで計算し始めていた。
 その意識を、この短い時間で植え付けたのはブラッドだった。エイダとの間にあった確固たる上下関係。核心に触れたときに見せる、ぞっとするほどの冷たい感情。ルークスはそれを見逃してなどいなかった。確実に「情報」として自分の中に吸収していたのだ。だが、まだ足りない。まだ浅い。きっと組織は、世界の厳しさはこんなものではないはず。
 ルークスは昨日一晩、そんなことを考えていた。知りたいと、強く思った。きっと今はまだブラッドに教えろと言っても教えてくれないのだろう。いや、ブラッドである必要はない。一級者は五人いると聞いた。もう一人はランと呼ばれた獣人。他にも三人いる。機会は必ずある。それを掴めるのかどうかが彼にとっては運試しだった。
 ルークスが実際見た二人は、それぞれ性質に違いはあれど、冷静に見直せばどちらの圧力も同じレベルである。あんなものがあと三人も存在し、それを育て、支配する組織の大きさは計り知れない。ガキだ子供だと言われても、今は言い返す気が起きなかった。
 今までは自分を過大評価していた。その自信は、不幸な境遇を乗り越えてきたから培うことができた特別なものだと信じて疑わなかった。しかし、そのすべてが下らないと、ルークスは気づき始めていた。
 諦めるものか――その思いは、言葉は同じでも今まで強く思い続けてきたものとはまったく違うものへと変化させようとしていた。それを自覚することでルークスは逃げることをやめ、本当に意味での「強者」への道を見出し始めていた。


*****



 本部に到着し、二人は車を降りて分厚い扉を潜った。
 まだ午前中というのもあり、エントランスを行き交う人の姿は少なかった。真っ直ぐに突っ切るブラッドの後をルークスは黙って追い、その突き当たりにあるカード式のロックで施錠されたドアに向かい合った。ブラッドは慣れた手つきで内ポケットからキーカードを取り出すが、鍵を解除する寸前で手を止め、振り向く。
「どこまで着いてくるつもり?」
 ルークスは目を数回左右に揺らした後、首を傾げる。
「どこにいって誰と話せばいいのかくらいは教えてくれよ」
 ルークスの気持ちも分かる。それに今ここで口論しても仕方ないと思い、先へ進むことにした。


 ドアの向こうは長い廊下になっていた。空間は無駄に広く、綺麗に整えられているが、ここから先は完全に外部からの光を遮断された造りになっている。廊下を進みながら、ブラッドが口を開く。
「カードは持ってないの?」
「ああ、あるよ。まだ仮みたいだけど。でも家に置いてきた」
「肌身離さず持ち歩けって言われなかったのか」
「言われたけど、忘れてた」
 そんなに大事なことを、と言おうとしたが、それを遮ってルークスは続けた。
「飲みに行った後、帰るつもりだったからな。これからは用心して持ち歩くようにするよ」
 ブラッドは口を閉じて、出そうとした言葉を飲み込んだ。ルークスの予定を狂わせたのは自分だということを思い出す。今は厳しく注意できる立場ではなかった。気を取り直して話題を変える。
「……まあ、とりあえず、担当の司令官に会わせてあげるから」
「あ、マジ? 担当ってあのおっさん?」
「そういう失礼なことを言うなら今すぐつまみ出すよ」
「悪い。名前なんだっけ。あの司令官も怖かったな。ニコニコして腹の中じゃなに考えてるか分からないってタイプだな」
「ノース司令官だ。ちゃんと敬語も使いなよ」
「慣れてないけど努力はするよ。ていうかさ、司令官ってことはお前の上司だよな。司令官は一級者より強いのか? それともただの管理職?」
「……司令官は全員、過去に一級者として功績を残してる人だよ。だから現場のこともよく分かってる。その上で人を管理する能力に長けた人が選抜されてるんだ。とにかく、失礼だけはないように。見て話すだけでいろんなことを見透かして、小細工も話術も通用しない本当に怖い人だから」
「へえ、それは凄いな」
 分かっているのかいないのか。ブラッドは不安になるが、ここまで来てルークスを無視することも、今の短い時間で彼の態度を根底から改めさせることも不可能である。もしルークスがとんでもないことをしてしまったとしても、それは自分のせいではないと、きっとノースなら分かってくれるはずと思うことにした。


 いくつか角を曲がり、ブラッドはルークスに廊下で待つように指示して小さな部屋に入った。室内に設置されている内線電話でノースに確認を取っていたのだ。
 しかしノースは、ルークスについてはあまり真剣に受け合ってくれなかった。
「……え、そんな」
 ブラッドは困ったような声を出す。
「アステリアに行きたいと、本人が希望しているんだろう? じゃあ行かせればいいじゃないか」
「それはそうなんですけど」
 どうやって? という質問を言葉にするのを戸惑ううちに、ノースから切り出す。
「本人が納得するならそれでいいじゃないか。向かう手段は何でも構わない。君に任せるよ」
 それは暗に「勝手に連れていけ」ということだった。つまり、ルークスにかかる費用はすべてブラッドの負担ということになる。それが嫌なら「捨ててこい」。
「でも……『T-0』を行うとしたら、ランがなんと言うか」
「それは二人で話し合いなさい。それに、ゼロについては私は指示しないし、できない」
「そうですが……あの」
「なんだ」
「ゼロを行うことで新人の行く末が変わってしまうと思うのですが、それについては、いかがなさるおつもりでしょうか」
「それは運に任せるまで。全員死んでも、逆に生き残っても私は結果を受け入れるよ。ゼロという特殊な現象が起こることは私の知るところではないのだから」
「……そうですね」
 そこで会話は終了した。ブラッドは荷物が増えたと思い、ドアの外で待つルークスの元へ、重い足を運んだ。



   




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