MurderousWorld
19-Esolution




 ルークスはブラッドに連れられ、行き先も分からないまま彼の後についてきていた。
「そういうことだから」ブラッドは歩きながら簡単に説明する。「しばらくどこかで待っててくれ」
「どこかって?」
「どこでもいいよ。本部内にいてもいいし、外に行ってもいいし。たぶんそんなに時間は掛からないと思う。会議が終わったら連絡するから」
「ほんとに? また忘れるんじゃないのか」
「忘れないから。どっちにしても会議に君は参加できないんだ」
「会議って何の会議だよ」
「それは極秘。いいからもうついてくるな」
「はいはい。了解」
 ルークスは渋々足を止める。振り向きもせずに廊下を進んでいくブラッドの背中を黙って見送った。


*****



 昼も過ぎ、ブラッドとの話し合いは終了し、ランはまた会議室に残ったまま頭を抱えていた。ブラッドが出ていった後、いろんなものと一人で葛藤しているところにグラスが訪れた。グラスはランの向かいの椅子に腰掛けて、彼の心中を察した。
「……ゼロか」
 呟くグラスに、ランは遠い目をしたまま応える。
「誰に聞いた」
「サイ」グラスの司令官である。「ブラッドはともかく、お前まで噛むとはと、驚いていた」
「そうだろうな」
「どうして受ける? ブラッドがやりたいならやらせておけばいいだろう」
「俺の仕事だ。他人に始末させたら、今までの努力が全部無駄になる」
 投げやりな態度のランに、グラスはため息をついた。
「だったらお前がやればいい」
「それは……」ランはやっとグラスに目を向けた。「一人でやるのはさすがに恥ずかしい」
 その言葉に、グラスは一瞬思考が止まってしまったが、すぐに「なるほど」と納得した。
「だが、これでいいのかもしれないな」ランは少し肩の力を抜いた。「ブラッドの言うとおり、確かにこのままではいい結果は得られない。それを分かっていても、契約が成立しない限り俺が動くことはできないんだ。分かる奴はブラッドのバカに付き合わされたとでも思ってくれるだろうしな」
「そうだな。それに」グラスは少し笑い。「ゼロであればなんとかなるとは言っても、ゼロを可能にできるのはお前とブラッドだけ……一部の者は笑うかもしれないが、人は奇跡でも起きたと恐れるのかもしれないな」
 何かを含んだようなグラスの呟きの意味を、ランはしばらく考えた。
「大げさな言い方をするなよ。ゼロはあくまで『ゼロ』だ。すべてを無に返すだけ」
「お前は自分が当事者だからそんなに軽い言い方ができるんだ。物事を無に返す行為は本来、人のなすべきことではない。だからこそゼロは災害、もしくは天災とも呼ばれる。その存在さえ忘れかけられている今、行えば組織の価値も変わることになるだろう」
 グラスの口調は厳しいものになっていた。ランはそんな彼の態度に違和感を抱く。
「ふん。だから何だと言うんだ。反対したいならすればいいが、その理由も聞かせてもらおうか」
「いや……」グラスは声を落とした。「そうじゃない。お前の仕事に口出しするつもりはないが、ただ……デスナイト特有の戦術、ゼロを行った者には、何かしらの変化が訪れるという迷信があるのは知っているだろう? 信じている者はおろか、そのことを知っている者さえ少ないが、ゼロ戦術を身につけたお前が何の覚悟もないとは思えない」
「迷信だ」ランは早口で遮る。「下らない。そんなものを信じるなんてどうかしてるぞ」
「死んでいるんだ」
 グラスは彼以上に感情を昂ぶらせ、つい大きな声を出す。しかし、すぐに冷静を取り戻した。
「過去にゼロを行った者は、そのときは面白おかしく祭り上げられ、組織からも密かに称えられていた。しかし、その後には必ず死が訪れているんだ。それも、不自然ではなく、なんらかの理由によってだ」
「不自然でないなら問題ないだろう。そもそも冒険屋なんかやってればいつ死んでもおかしくないんだ。そんな迷信だの呪いだの言ってたら限がない」
「そうじゃない。お前なら俺の言ってる意味くらい分かるはずだ」
「分かるものか。そんなものにビビるくらいなら辞めてしまえばいい」
「なら、はっきり言ってやる。問題はお前じゃない。ブラッドだ」
 ランは息を飲んだ。どこかで感じていながら、考えまいと思っていたことだった。グラスは彼の表情の変化を読み取り、声を落として続ける。
「どうしてこの時期に、しかもお前の管轄で、お前だけではなくあいつがゼロを行うことになるんだ」
 グラスの口調はまるで責めているようだった。それはラン自身が無意識のところで気にしていたことだったからだ。それでもランは認めようとはしなかった。
「……偶然だ」
 そんな彼の態度にグラスは苛立ちを隠せない。
「ゼロを否定するつもりはない。確かに、あれはただの戦術の一つに過ぎないのだから。だが、この流れが自然過ぎて、逆に不自然にさえ思う。お前はそうは思わないのか」
 国王の出し渋りによるアステリアの長期戦、新人の運試しというノースの悪ふざけ、そして、ブラッドの失態。
「ブラッドの処分など、本当なら大したものではなかったはずだ。それを、たまたま関わってしまったあいつはゼロという提案をし、自ら足を突っ込んできたんだ。ゼロを知る者はきっと内心騒いだに違いない。俺も、そして、お前もだ。そうだろう?」
 ランは目を伏せた。グラスの言おうとしていることは分かっているのだ。そう考えている者が自分だけではないことを知り、心が痛んだ。
 そしてグラスは、決定的な言葉を小さな声で呟いた。
「……ブラッドは、消される」
 ランは動かなかった。しかし、閉ざした口中で静かに牙を噛み締めていた。
「ゼロは直接関係なく、別の理由でな」グラスはふと遠くへ目線を移した。「不思議なことだ。ブラッドのことは、少し前に、俺は偶然に耳にしただけのこと。まさかと思っていたのだが、こんな形で決定付けられるとは」
 ラン片手で顔を覆いながら、眉間に皺を寄せた。
「……決定付けられてなんかいないだろう」
「呪われたゼロの言葉を聞いたときに、俺は真っ先にそのことを思い浮かべた。やはりとしか思えなかったんだ」
「下らないと、何度言わせる。呪いなんか存在しない。過去にゼロを行った者に変化が訪れたことはただの偶然だ。逆に変化の起きた者のすべてがゼロを行ったとでも言うのか。この世界ではいつ何が起こるか分からないんだ。ゼロを行おうがどうしようが、いずれ変化は起こる。それとこれとは関係ない」
「確かにゼロと変化の関連性はない。偶然なのかもしれない。いや、偶然である可能性が高い。だが、予測ができるのであれば、それを防ぐ方法は、どこにもないのだろうか……?」
 グラスは、遠まわしにブラッドを助ける方法がないのか、と伝えようとしているのだ。
 答えは、ない。だからこそ見て見ぬ振りをし、何も知らないままでいようとしていたのだ。それはランとグラスだけではなかった。同じ立場にあるサクラとナユタも胸に秘めている。そして、ブラッド本人もまた、怯えもせずにそのときを黙って待っているのだと思う。
 同情だけではなかった。いつ、誰がどんな形でブラッドに理不尽な制裁を下すのか、まだ分からないのだ。
「証拠がないだろう」ランは言い捨てる。「それとも、お前はブラッドがゼロを降りれば解決するとでも思っているのか。それでいいなら俺からあいつを降ろすまでだ」
「違う。これは運命のようなものだ。今更あいつをゼロから降ろしたところで現状は変わらない。もうブラッドはゼロを行うと決めた。同時に変化が訪れることが示唆されたのだ。これは暗示だ。止める方法はない」
「じゃあどうしろと言うんだ。止めようがないなら今までどおり黙っているしかないだろう」
「そうだ。今は動きようがない。ただ、忘れるな。変化は、お前にも訪れるということを」
 ランの目が揺れた。グラスは俯いたままの彼を見つめた。
「それが『死』とは限らない」
「……どうしてそう思う?」
「二人が同時にゼロを行うからだ。異例なことだ。もちろん、お前も死ぬ可能性はある。ただし違う形で。だがそれだけではないような気がするんだ。予感では、ブラッドに起こる変化に関わるのではないかと、俺はそう思う」
 ランは言葉を失う。グラスの言っている意味は分かる。しかし、何もかもが「予測」に過ぎないのだ。きっとグラスは心配しているのだと思う。ランとブラッドの身だけではなく、二人もの一級者に変化があったときの組織や自分たちに降りかかる「衝撃」を。
 ランも承知していた。信じまいとしたかったのだが、グラスがそれを許してくれそうにない。彼とはいつの日にか、組織内では兄弟のような付き合いになっている。厳格で繊細な部分を持つグラスに、厚情を秘め一本筋の通ったランは周囲から似て非なるものと称され、お互いに無視できない存在にあった。こうして時折、二人で語り合う時間を自然と要し、それぞれの欠点を補い合うことで目に見えないバランスを取り続けてきた。
 今回も例外ではないと、ランは心に留め置く。
『T-0』は誰も関与できない。しかし、組織に何かしらの影響を与えるのは間違いないことなのだ。
「……今は何もできない」
 ランはグラスに目を合わせないまま、席を立った。
「ただ、お前の忠告を覚えておくことはできる」



   




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