MurderousWorld
29-DoubleCrosser




 デスナイトは五つの管轄に分かれ、その頂点にはそれぞれ一人ずつ一級者がいる。その下の二級者は一級者自身が選んだ者で揃えられているが、更に階級を持たない下層の人材まで把握するのは難しかった。そこは管理職である司令官に任せてあり、任務の最終的責任は一級者が負うと決められている。
 その一級者が殉職したとなると、穴埋めとなる次の一級者を決めなければいけない。ほとんどは一級者が一番信頼していた二級者が昇格することになるのだが、その基準は曖昧なものだった。故に、人事の変動には誰もがそれぞれの期待や不安を抱く。
 そのことは決定するまで決して外部に漏らしてはいけない機密扱いとなるが、この時期は誰もが落ち着きを失う。現に今も組織内は騒然としていた。


 ルークスは突然聞かされたブラッド死亡の知らせを信じることができなかった。気をしっかり持とうとするが、その心中は今まで感じたことのない震えのようなものに襲われていた。
 早足で廊下を通過し、ノースの司令室へ向かった。入室の許可のある者しか中には入れないのだが、ルークスは箍を外してドアを何度も殴りつけた。
「おい。開けろ」
 開けろと言ってすぐに開けてもらえないことは百も承知だった。しかし彼はじっとしていられる心理状態ではない。
「聞きたいことがあるんだ。開けろ」
 何度ドアを叩いても、拳の色が変わり始めるまで叩き続けても黒い鉄のドアはピクリともしなかった。
「ランの居所を教えてくれ。それだけでいい。頼む、開けてくれ」
 手の節が赤く染まり、床にも血が落ちていた。次第にルークスは叩く速度を落とし、唇を噛んで頭を垂れる。


 その日は仕事にならず、ルークスは一人で自宅へ戻った。組織内ではブラッドの噂話があることもないことも飛び交い、口を閉ざしている者も複雑な心情を隠しきれていなかった。その重い空気が嘘やデタラメではないことを裏付けている。それでも、ルークスはどうしても納得がいかなかった。
 いつ誰がどこで死んでもおかしくないと分かっているはずだった。しかし、彼は、ブラッドだけはそう簡単にどうこうなるなんて想像さえしていなかった。それが思い込みなのも分かっている。ブラッドがどれだけ変人でどれだけ特殊な力を持っていたとしても、彼だってただの人間なのだから。そう自分に言い聞かせようとするが、やはりやり切れずに、ルークスは明かりも点けずに寝室のベッドにうつ伏せになった。
 つっぷして喚き回ろうかとまで思うほど思い詰めていたルークスは、何かおかしなものを感じて反射的に顔を上げた。暗闇の中で大きな丸い目が、不気味に光っていた。しかも、枕のすぐ横で、彼のすぐ目の前で。
 ルークスは悲鳴を上げて後ずさった。転ばんばかりに寝室の入り口に走り、明かりを点ける。その不審物の正体は、枕もとで膝を抱えてルークスを見つめている妖精・ポーディの伝言屋だった。ルークスは呼吸を整えながらゆっくりそれに近づく。組織で教えてもらったことがあり、伝言屋のことは知っている。小さな子供くらいの大きさに褐色の肌と赤いチョッキ、実際目にするのは初めてだった。
「な、なんで……」
 戸惑いながら伝言屋に近づくと、それはゆっくり口を開いた。
「騒ぐな」
 ルークスは眉を寄せる。もしかして、と紡がれる言葉に耳を傾けた。
「これは起こるべくして起こった現実だ。まだ終わっていない。時を待て」
 伝言屋はそれだけ言うと、透明になって消えていった。ルークスは体の力を抜いてベッドに腰を下ろし、伝えられた言葉の意味を考えた。
 これがランの伝言だということはすぐに勘付いた。やはり、ブラッドはもういないということを認めるしかないと思う。理由を、一体何が起こったのかを知りたかった。ルークスは深く瞼を閉じる。
 起こるべきして起こった現実? 終わっていない? どういうことなのだろう。だが今はまだ「騒ぐな」「時を待て」という言葉に従うしかない。待てばいいのだろうか。待てばいつか教えてもらえるのだろうか。不安は募った。それでもどうすることもできなかった。
 必ずここへおいで――そうブラッドに言われた。それが最後だったなんて。もしかすると彼自身はこのことを予感していたのではないかと思う。あのとき浮かべた彼の不思議な表情の意味が、今やっと、いや、今更になって気づいた自分を責めた。もっと深読みしていれば、またいつか会えるなんて悠長に構えてなんかいなかったと深く後悔していた。
 おそらくランはルークスがこうなることを分かって、誰にも言わずに伝言をくれたのだろう。今はその気遣いだけが救いだった。ランを信じて、黙って時を待とう。ルークスは内から込み上げる危険な衝動を必死で抑え、「考えるな」と何度も何度も呟いた。


 その頃、司令官と一級者が会議室に集まっていた。次の第四管轄の一級者を決めるためだった。数人の候補者の名は上がっており、それ自体は決定までに時間は掛からないものと思われた。
 しかし、問題があった。その場に集まるべき人数は九人。なのに指定の時間が過ぎてもそこには八人しか現れなかった。欠けていたのはランだった。緊急のため、よほどの理由がない限り出席が強要される大事な会議だった。司令官たちは担当者のノースになぜ彼が来ないのか、その理由を問い詰めていた。三人の一級者は黙って、少し目線を下げて着席していた。
「本当に知らないんだ」ノースは困り果てた様子で。「何も聞いていないし、連絡もない。何かしら動きがない限りこれ以上私を責めても無駄だ。分かってくれ」
 もうしばらくすると組織の取り締まりやその関係者が到着することになっている。司令官たちは苛立っていた。
「一級者が行方不明だなんて、危険極まりないことだ」
「しかもこんな大事なときに。一体どうするつもりなんだ」
 ノースは深いため息をつくしかなかった。
「できることがあるとすれば、片っ端から探すことだけだ。それで納得してくれるなら今から私の管轄の人材を全部呼び出して動かすが?」
「そんなことをしたら我々の失態が外部にまで漏れることになる」
「じゃあどうしろと言うんだ」
 司令官たちが騒いでいる間に、グラスが小声で呟く。
「ブラッドは?」
 隣にいたナユタが目も合わせずに答えた。
「木っ端微塵だと」
「それは、奴らしい死に様だな」
「あいつのマゾっぷりには、最後まで呆れさせられたね」
 サクラは開口せずに耳だけを傾けていた。


*****



 その日はまともな会議にならず、本部の一室は夜遅くまで明かりが灯っていた。取り締まり関係者には慌てて電話を入れ、話し合いはキャンセルさせることになった。ランを知る口の堅い者にできる範囲で聞いて回ったりもしたのだが手がかりさえ掴めないままだった。誰も隠している様子がなく、ランは完全に一人で失踪したのだと判断された。理由は分からないが、このタイミングである。ブラッドに関係していることは間違いないと思われた。
 何にせよ、ランがいなくなった理由が判明しないことには話は進まない。新しい一級者を決めるには、必ずしもランの意見が必要ではなかったのだが、彼が行方不明であるという事実が大きな問題となっていた。
 日付が変わる時間になった頃、このまま話し合っていても埒があかないと今日は解散することになった。
 先に席を立ったのは一級者三人だった。その後に司令官たちも動いたが、ノースはランのことを調べると専用の司令室へ戻り、ラグアもブラッドの残したものを整理するためにとすぐには帰らなかった。


 ラグアも自分の司令室に戻って一人、椅子に深く腰掛けた。遠くを見つめて思い耽る。
 そうしているうちに時間はすぐに流れていた。結局は何も手に付かないまま、コートを羽織って本部を後にした。
 駐車場のある広い地下は暗く、人の気配もなかった。残業が珍しくないラグアはこの冷たい空気に慣れていた。無機質な靴の音だけが響く、重苦しい空間の中にある愛車の元へ迷わずに進んだ。
 その足がふと止まる。物音も気配もなかったのだが、地下を支える大きな柱の影から現れた彼の姿に驚かずにはいられなかったからだ。問題の渦中にあるランがそこに居たのだ。こんなにもすぐ近くに。何よりも彼の行動のすべてが理解できなかった。ラグアは見開いた目を、いつもの鋭いそれに戻して彼に向き合った。
「君のことはよく知らないが」その低い声は、僅かに鉄の壁にこだました。「こんなに幼稚なことをして周囲を騒がすほど愚かではないと思っていたのだがな」
 ランはラグアから目を離さずに数歩寄った。その腰には愛用の大きな剣が下がっていた。
「いなくなるのは、一級者一人じゃない」
 ランはゆっくりと言葉を綴った。ラグアの胸中は穏やかさを失い始める。
「確実に、もう一人消える。何度も上部にご足労させるのも気が引けたんでな、ちょっと引き伸ばさせてもらった」
「……どういう意味だ」
「これはゼロの呪いだ」ランは皮肉に口の端を上げた。「ブラッドが任務を遂行したことには何の文句もない。あいつらしい仕事を為したと思う。だがな……」
 ランから放たれる凄まじい怨恨の思いと気迫にラグアは押され、足を引きそうになった。しかし、踏みとどまる。
「お前のやり方だけは許せない」
「何を言っているんだ……私は」
「確かにお前の指示はすべてをうまく運ばせた。技術か、職人技だと言ってもいいかもな。組織だけじゃない。結果的に一つの国を救い、核戦争というえげつない危険を回避した……問題は、商売敵を利用してまで、すべての責任をブラッドに押し付けたことだ」
 ラグアはじっと聞き入っていた。しかしその拳は、自然と堅く握られていた。
「他に方法があったはずだ。それなのに、お前は手間隙かけて一番楽な手段を選んだ。そもそもお前があの仕事を受けさえしなければこんなことにはならなかった」
「……あれは、ブラッドがやると言ったんだ」
「嘘つけ」ランは素早く言い捨てる。「金がないから食扶持を排除するだと? 冒険屋雇う余裕があるならまだ他にやることはあるだろうが。まあ、やったことは仕方ない。だがその後のことをまったく予想できなかったはずがないだろう。なあ、遣り手のラグア司令官様が」
「…………」
「最初から、そのつもりだったんじゃないのか?」
「……違う」
「何が違う? もう言い訳しても無駄だ。俺は証拠を掴んだんだよ」
「証拠だと?」
「お前のスパイ、今日殺しただろ?」
「!」
「忙しくて確認しなかっただろうが、やったのは俺だ」
 ラグアは息を飲んだ。
「スパイ殺しを頼んだ殺し屋も、まとめて俺が殺してきた。知っていることを全部白状させてな」
 ランは上着のポケットから何かを取り出してラグアに投げつけた。それはラグアの胸元に当たり、床に落ちる。確認すると、引き千切られて少し時間の経った人間の手首だった。その中指には、ラグアには見覚えのある小さな刺青が入っていた。間違いなく、ラグアが頼んだ組織外部の殺し屋のものだった。
「まだ言い訳したいか?」
 ランは顎を上げてラグアを煽る。ラグアはしばらく沈黙した。床に転がる手首を見つめたまま、静かに呼吸を整える。
「……いいや」
 上げたラグアの目の色が、確実に変わっていた。開き直りに似た、すべての事実を認める覚悟を決めたものだった。
「君の言う通りだ。それで、何が望みかね」
 ランの腹も据わっている。ラグアが逃げないことも十分に予測していた。
「俺の手で、殺させろ」
「……理由は?」
「裏切り者への報復だ」
「君にそれを行う権利があるのか?」
「それはないな。だからこうして人のいないところで話をしてるんじゃないか」
「それは正当な理由にならない。私が死ねばいずれ原因は突き止められる。最終的に裏切り者となるのは君の方だ。あまり利口なやり方とは思えないな」
「それでいい。言っただろう? もう一人、一級者が消えると」
「……私を殺すことに命を懸けるということか」
「ゼロの呪いの意味がやっと分かった。どうせならやりたいことをやって死ぬ」
「ゼロの、呪いか」ラグアは目を細めた。「行った者に訪れる変化。私がブラッドに与えた仕事は、それを暗示していたのだろうな。そんなものを信じるつもりはなかったが、どうやら、これが現実ということか」
 ランは心の中で戦闘開始の準備を始める。呼吸を深くし、全身の神経を研ぎ澄ました。
 だが、それを遮るようにラグアは口を開いた。
「しかし、君のやっていることには納得がいかないな。運命とは見えない形で訪れるものであり、君のように自ら作るものではない。君は神にでもなったつもりなのか?」
「なんだと……」
 ランの心が揺れた。これはラグアの作戦だと警戒を強める。
「ゼロの呪いが死であると決まっているわけではない。君に訪れる変化とは、また別のものなのかもしれないよ。どうして、敢えて死のうとしているんだ」
「お前みたいなゴミを見逃したまま生きるくらいなら死んだほうがマシってだけだ」
「君は、そうやっていつも逃げ道を作ってきていたのか?」
「……逃げ道、だと?」
 ランの声がくぐもった。グラスの目に僅かながら怪しい光が灯る。
「勇ましいようだが、本当は怖いだけじゃないのか。ブラッドに呪いが降りかかった。そのことで自分も近いうちにそうなるのではないかという不安が生まれた。だからその運命に逆らおうと、自ら行動を起こすことで呪いの効力を誤魔化そうとしているのではないのかな」
「それは」
「――違うよ」
 二人は同時に同じ方向に意識を飛ばした。二人だけだったはずの緊迫していた空間に、それ以外の者が侵入してきた。ランの言葉の続きを代弁した者が暗闇から歩み寄ってきた。
「……ノース」
 どうしてここに。まさか彼がここに来るなんて想像もしていなかったランは驚くしかなかった。しかし、なぜかノースの存在に違和感はなかった。改めて、冷静に考える時間があれば想像できていたのかもしれないと思う。彼は、本人が思う以上にランのことを熟知しているからだ。
 戸惑うランには挨拶もなく、ノースはラグアを真っ直ぐに見つめた。
「ランは何かを恐れて逃げているんじゃない。ただ、自分にしかできないことに堂々と向き合っているだけだよ」
 ラグアは物静かに彼に目線を返した。ノースは戦意の欠片もない上品な笑顔を浮かべる。
「ランは出し惜しみが好きな根性曲がりだがね、自分の出る幕とそうでないところを弁えることのできる勇気のある男だ。ただ呪いが怖いだけならゼロなんて起こさなかった。ただ友への同情だけなら、もっと早く止めることもできたはず。だけどそれはしなかった。そして、今こうして君に牙を向けることこそが、呪いを受けたランにしかできない行動だということだ」
 ラグアも釣られるように薄く微笑んだ。
「司令官を殺すことが、冒険屋のトップ立つ者のすることだと言うのか」
「ランは君に相応しい制裁を与えることを目的としている。そこに立場は関係ない。ラグア、本当はもう分かっているのだろう? ランを止める手段などないことを」
 ラグアは笑みを消し、ランに目線を戻した。ランはずっとラグアを睨み付けていた。もうそこに迷いはなかった。
「余計なことは言わなくていい。邪魔をしたいなら消えてくれ。俺はあんたまで殺したくない」
「怖いことを言うんじゃないよ。私は邪魔などするつもりはない」
 ラグアは目じりを揺らし、再びノースに顔を向ける。もうそこには何の余裕もなかった。
「ノース、お前は一体、何をしにここに来たんだ」
「もちろん、君たちの決闘を見届けるためだよ」
「決闘、だと?」
 その言葉に、ランも反応して耳を揺らした。
「ラン、君ほど優秀な部下を失うのは、今まで感じたことがないほど残念で堪らないよ」
 二人は同時に肩を揺らした。
「君が勝っても負けても、その地位は自動的に失われる。君はそのつもりでここにいるのだろう?」
「……ああ」
「だったら、私は司令官として君たちの決闘に立ち合わせてもらう。ラグアが勝てば、ランの席は空き、その後釜を決める。ランが勝てば司令官の一人が消え、またその後継者を話し合う必要がある。同時にランには上司殺害の責任を負ってもらわなければいけないからね。どちらにしても二人は今までのままではいられなくなる。これは組織にとって一大事だ。ブラッドの後釜どころでは済まない。そんな大事なことをただの男同士の喧嘩で片付けられるはずがない。だから私が立ち会うのだ。どうだろう。私では不満かね」
 ランは何も言い返すつもりはなかった。ノースの介入は予定外だったが、彼の言葉に間違いはなかった。どんな結果が出ても自分はただでは済まないのだから。
 ラグアが頷くにはまだ条件が足りなかった。反論しようとしたそのとき、今度は複数の足音が闇に響いてきた。ランは一度身構えた体の力を抜いた。現れたのは、見慣れた戦友、グラスとサクラとナユタの三人だった。



   




Copyright(c) RoicoeuR. All rights reserved.