MurderousWorld
06-Unripe




 ブラッドはロビーを出て、受け取ってもらえなかった袋を手にトボトボと廊下を歩いた。
 最近は何をやってもどうもうまくいかないなどと考えながらため息をつく。ギグへの義理にしろランへのプレゼントにしろ、相手にとって良かれと思ってやったことだから尚更気分は落ち込んだ。しかし、そういうことも今に始まったことではない。自分はいつもどこかズレている気がするのだ。花火のことも、珍しいものだし、喜んでもらえることしか想像してなかったが、やはり冷静になってみると相手が相手である。少々幼稚だったろうかと改めて恥ずかしくなった。そうなると、組織内でこれを好んでくれそうな人はいなさそうだと思う。一人で遊ぶのも虚しい。だが捨てるのはさすがに勿体ないので、いつか役に立つ機会がくることを願って封印しておくことに決めた。
 しかし、ブラッドが浮かれていた原因は他にもあった。うまくいかないことも多いが、世の中のそんなに捨てたものではないと思う。そのことを思い出し、ブラッドは笑顔に戻った。
 ふと、足を止める。その「他のいいこと」の根源である「彼」を廊下の先に発見したのだ。
 組織の建物は巨大だが、そのほとんどが黒光りした厚い壁で区切られており、窓はほとんどない。そんな中で娯楽施設であるロビーと本館を繋ぐこの渡り廊下は等間隔に大きな窓が並び、昼間は太陽、夜は月光が惜しみなく注いでくる数少ない場所の一つだった。
「彼」は明るい太陽の光を浴びながら、一人でタバコを咥えて壁に寄りかかっていた。絵に描いたかのような美しい姿は、淡い陽射しが彼を更に凡人離れさせて見せる。
 見間違えようがない。あのとき倉庫で会った少年だ。明るい場所で見ると、闇の中の彼よりは印象が悪くなかった。
 本館は限られた場所でしか喫煙はできない。この渡り廊下も本来は禁煙なのだが、ロビーが近いために匂いが染み付いており、ルーズな冒険屋はこの場で火を灯すことに抵抗を感じなかったため、しばしば吸殻が落ちていることがあった。
 ブラッドは、少年に挑発されたことも、敵意を向けられたことも忘れているわけではなかった。しかし恨んでもいない。まるで友達のように彼に近寄った。
「ここは禁煙だよ」
 声をかけられ、少年は顔を向ける。ブラッドの姿を見て少々驚いたのは彼の方だった。注意をされてもタバコを消す素振りさえ見せないが、少年は背を伸ばしてブラッドを睨み付けた。対して、ブラッドは無邪気な笑顔を返す。
「さては、友達がいないんだろう」馴れ馴れしく肩を叩き。「だからロビーには行きたくないんだ。まあ、その顔と性格じゃ無理もない。ここは男しかいないからね。君を好きになる人は皆無。実は寂しいんじゃないのか?」
 少年は戸惑っていた。ブラッドのことを微妙に根に持っていたため、彼の軽い態度に拍子抜けしていたのだ。
「いい話があるんだ。あれから、エイダがフィアに謝りに行ったんだよ。そのときに、必死になりすぎたエイダはずっと言えなかった気持ちをつい告白してしまったらしいんだ。そしたら、なんと、フィアは前向きに検討したいって言ってくれたらしいんだ」
「……え」
「君のお陰だよ。フィアは金銭をせびることもなく、彼女の店は飲み屋街で遅くまで営業してるから、エイダみたいなのが通ってくれると怖い人が絡んでこなくて助かるとも言ってたんだって。エイダは好きな人に自分の外見も腕も必要とされて本当に喜んでた。」
 少年は、まさかこんな展開になるとはと反応に困るしかなかった。エイダやフィアのことなどあまり記憶に残っていなかったし、特に嬉しくも悔しくもない。困惑する少年に構わず、ブラッドは喋り続けた。
「すっかり浮かれて、君がきっかけを作ってくれたんだって感謝までしてたよ。まったく、あのとき殴らせなくてよかったよ。今度会わせてあげるからね。きっと何かお礼をしてくれるはずだよ。あれだけ美形を嫌ってたあいつがさ、ま、ただの僻みなんだけど、僕でさえ因縁つけられたことがあったほどだよ。なのに、人って変わるものだね。これで前よりは扱いやすくなるかもしれないから僕も助かるよ」
 少年は煙を吐きながら、低い声で呟いた。
「何がそんなに嬉しいんだ?」
「え?」
「他人の幸せを、本気で喜んでいるのか?」
 そう問われ、逆にブラッドの方が疑問を抱く。
「当たり前じゃないか。周りが不幸だったら自分も悲しいだろ?」
「ふうん」少年は、ふっと鼻で笑う。「じゃあ、どうして人を殺せる?」
 ブラッドは、途端に石のように固まった。そこに表情はなく、だが悲壮感のようなものを漂わせる。それが何を意味するものなのか、少年には分からない。矛盾に答えられず言葉を失ったのかと思ったが、極自然に細めたブラッドの優しい瞳に、一瞬、飲みこまれそうになった。
「それは、今の君には教えられない」
「……何?」
「誰もが通り、乗り越えなければいけない道だから。君にはまだ、その答えを僕の口から聞く権利が、ない」
 少年は眉を寄せる。彼にはただ、ブラッドは答えられずに逃げているだけだとしか思えなかった。そのくせ、人を見下したような言い草。少年にはどうしてもブラッドが頼りない軟弱な男にしか思えない。だが、無意識に悔しい、負けたくないという対抗心があり、その理由までは考えようとしていなかった。
 その話はそこまでと、ブラッドはすぐに元の様子に戻る。
「そうだ、君の名前は?」
 少年ははっと息を吸った。どうも調子が狂う。なぜかブラッドの「断定的」な言葉には返すものが出てこないのだ。理由の分からない圧力に押し黙らされ、当然少年は面白くない。
「もう決まっただろう? あ、僕はブラッド。友達にもらった名前だ」
 今回は惜しみなくその名を告げた。少年に反応はない。おそらくまだ一級者の名前は聞いていのだと判断した。
 少年は無表情で答える。
「……ルークス。自分でつけた名だ」
「へえ、いい名前だね。由来はある?」
「……初めて殺した男の名前」
 ルークスは短くなったタバコを床に落とし、踏み潰した。
「そいつは、俺の名付け親だった」
 途端に重くなった空気の中、ブラッドは様々な思いを巡らせた。一体、その恵まれた体と精神で今まで何をし、何を考えてきたのだろう。そして背負う運命が彼に何を架せ、これからどんな道を歩いていくのか。ブラッドは「ルークス」に興味を抱かずにはいられなかった。
「どうして、冒険屋に?」
「好きなだけ人を殺せるから」
「…………」
「責められず、裁かれず、金も貰える。俺の天職だと思った」
 天職――人を殺すために生まれてきた者などいるのだろうか。ブラッドには否定はできなかった。そうしなければ生きていけない者も、この時代には少なくない。殺される側は、そうしなければ生きていけないならば殺す側が死ねばいいと言う。それも間違ってはいないと思う。
 この答えの出ない命のやり取りについて、ルークスはまだ深く考えたことも、考えざるを得ない状況に陥ったこともないからそういうことが軽々しく言えるのだろう。
 彼はなぜ人を殺したのだろう。人を殺したとき、何を考えるのだろう。ブラッドは、ルークスが殺しの天才かどうかは分からないが、少なくとも「冒険屋」という職に就くことは天に決められ、そして来るべきしてここに来たのだと思った。きっと彼には、有能かつ何かに共鳴するような上司が付くような気がする。
 彼には彼にしかできない大業が必ずある。今までの経験を通して、ブラッドはルークスの未来を垣間見た。確かに、と笑みを浮かべた。これは将来有望である。何をしでかしてくれるのか、それをこの目で見ることはないのかもしれないが、楽しみなのは間違いなかった。
 好きにはなれないが興味深い人材だ。この場所で出会う相手や交わす会話の中で何を学び、それを経てどんな大人になるのか。おそらく彼が今まで出会ったことがないであろう、自分より遥かに強く、経験豊富な「殺し屋」たちにどんな目に遭わされるのか。見ものだとしか言いようがなかった。
 自然と目を輝かせてしまっていたブラッドに、ルークスは再び戸惑う。
「なんだよ」新しいタバコに火をつけながら、「気持ち悪いな」
「えっ」
「その顔、気持ち悪い」
 ルークスに顔のことは言われたくなかった。今ここで目上の者への正しい口の利き方を叩き込んでやりたいが、まだその役目を担う者は決まっていないし、それが自分になるとは限らない。なったとしてもさすがに今すぐではないはず。
 それに、そのときはもう自分はここにはいないのかもしれない。
 そうだとしら残念な気持ちもあるが、もし縁があればこれからの楽しみの一つにしたいと思う。
 いまだニヤついているブラッドを不審に思いながら、ルークスは何かに気づいて目を左右に揺らした。そしてブラッドが片手に提げている袋で目線を止めた。
「それ、何?」
 ブラッドは緩んだままの表情で、花火の入った袋を抱えた。
「あ、これ?」何かを期待しながら。「気になる?」
「火薬の匂いがする」
「そう。君は鼻もいいんだね。僕が作った花火なんだ。花火は好き?」
 ルークスは冷たい表情を変えない。それは、先ほど突き放されたランに向けられたものと同じ感情の表れだった。それに気づかずブラッドは、もしかすると早速引き取り手が見つかったのかもしれないと心躍った。
 しかし、その期待はあっさりと切り捨てられる。
「別に」
 ルークスは一言呟き、吸いかけのタバコを袋に向かって指先で弾く。
「……っ! バカ!」
 ブラッドは慌ててタバコを除け、袋を背中に隠した。もう笑顔など浮かべられていられなくなった。
「危ないな! 爆発したら大変なことになるぞ!」
 掴みどころのないブラッドの態度に、ルークスはやっと笑った。
「あんた、面白いね」ブラッドに背を向け、ゆっくりと戸に向かう。「ここには殺し以外の娯楽があるのかもしれないな」
 子供の言葉とは思えない台詞を言い残し、ルークスはその場を立ち去った。
 ブラッドはふと、彼は今組織でどんな生活を送っているのだろうと、親心のようなものを抱いた。とても悩みを抱えているような態度ではないが、虐められないだろうか、何か困ったことはないだろうかなどと、余計な心配をする。
 きっと、彼が見せた純粋な笑顔がブラッドの情に触れたのだと思う。誰もが羨むようでいて、その分辛いこともあるはずだ。その弱さを、ルークスは誰に見せるのだろう。これからずっと見せないまま、弱みがあることも知らないまま成長していくのかもしれない。
 エイダに会わせると言った。近いうちにまた彼に近づく機会はある。そのときにもう少し話を聞いてみたいと、ブラッドはルークスの広い背中を見送った。



   




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