22




 才戯が目覚めて安心したのも束の間、蒼雫に上から見下ろされている三人は息を飲んだ。
 まずは事実を確認する必要がある。少々疲れた永霞は用意されていた座布団を整え、大人しくそれに座った。那智も彼女の真似をし、真ん中に才戯を座らせる。才戯は頭の傷を撫でながら、蒼雫に向かって横柄に胡坐をかいた。
「才戯、状況は分かっているのか?」
 永霞が尋ねると、才戯は誤魔化すように何度も首を傾げていたが、永霞に耳を引っ張られて悲鳴を上げた。
「返事をしなさい」
「ああ、分かってるよ」
 永霞は間を置き、心の準備を整えて、改めて、ゆっくりと才戯に問う。
「お前は……夜な夜な、私たちに隠れて、ここに通っていたのか?」
 蒼雫を含め、永霞も那智もじっと才戯を見つめる。
 重苦しい重圧を感じながら才戯も少し間を置く。どう考えても逃げられるとは思えない。
 才戯は、仕方なさそうに頷いた。
 一同に衝撃が走る。永霞と那智は青ざめ、蒼雫のこめかみが痙攣した。
 永霞は声を震わせ、質問を続ける。
「なぜだ。何のためにそんなことをした……ここに来て、一体何をしていたのだ」
 才戯はばつが悪そうに顔を逸らすが、嘘をつく理由もなく、答えた。
「樹燐に会うためだよ」
 蒼雫の冷たい目が、ピクリと揺れる。それを敏感に察知したのは、永霞と那智だった。
「ど、どういうことだ」永霞は蒼雫と目を合わせられなかった。「どうして蒼雫の娘と会うようになったのだ。どうやってここに移動していたというのだ。頼むから、正直に答えなさい」
 永霞はそう言いながら縋るように才戯の肩を揺らす。だが直後に、肩を掴んだ手に力を入れ、才戯を強く睨み付けた。
「いや、正直にだぞ。『バカ正直』にではないからな。嘘はつくな。だが余計なことも言うな。分かったな」
「わ、分かったよ」
「いいか、才戯……お前は私や那智、誰にも知らせずに己で決めて行動したのだ。しかし今のお前は自分だけで責任を取れるほどの力はない。それは認めるんだ。だから潔く、そして誠意を見せろ。でなければ、お前だけではない。たくさんの者に不幸が訪れる。真剣に、今の状況に向き合いなさい。いいな」
 今までにないほどの迫真の表情で言い聞かせる永霞に才戯は圧され、反抗的な目つきを改めた。
「分かった。話す」才戯は蒼雫に向き直り。「最初は、あのときだ。山に行ったとき……崖に落ちて、どうしたらいいか分からなくて、山を下りてずっと歩いてたんだ」
 そうして才戯はことの成り行きを、思いだしながら話し出した。

 匂いを辿ると、庭があり、そこに樹燐がいた。そのときは彼女が誰か知らなかった。道に迷ったと言うと山へ戻る術をかけられ、それきりだったことを才戯は話した。
 あの数時間のあいだにそんなことがあり、何も気づかなかった永霞と那智は落胆していた。才戯は頑丈なのが取り柄だ。普通の子なら怪我はともかく、精神的に参ってしまうだろうが、彼ならすぐに忘れても不思議ではなかった。だから才戯が無事だっただけで安堵し、彼の中に起きていた変化など考えもしていなかった。
「そう……」蒼雫がため息交じりに口を開く。「事故なら仕方ないわね……でも、問題はそこから先よ」
 彼女の言うとおりだった。そこで終わっていればただの事故で済んだこと。だが、終わったどころか、事件の始まりでしかなかったのだった。
「そこから先は……」才戯は何から説明したらいいか分からず、困惑したまま続けた。「俺はまた会いたかったけど、名前も何も知らなくて悩んでた。そしたら鎖真が近くに来てたから、あいつに聞こうと思ってその辺をうろついてたんだ」
「鎖真?」永霞が素早く反応する。「まさか、あの男がお前に手を貸したのか?」
「いや、違う違う」才戯は慌てて首を横に振る。「結局鎖真とは話せなかった。でも、別の武神が来て、協力するからって言うからそいつに全部話したんだ」
 蒼雫の目がさらに鋭くなる。才戯も許せないが、樹燐がどんな娘か知っていて手引きした者がいるのなら、それも罰する必要がある。
「誰だ」永霞が問い詰めてくる。「誰がお前を唆した? 早く言いなさい」
 永霞にとっては死活問題だった。もし力ある武神が才戯を使って悪質な悪戯を仕掛けたのなら、絶対に許せないし、少しでも才戯の罪が軽くなるならなんでもするという親心が募っていく。
 だが才戯はあっさりと彼女の期待を裏切る。
「知らない」
「は? ふざけてる場合か。まさかそいつを庇っているのか? 重要なことなんだ。殴ってても吐かせるぞ」
「ほんとに知らねえんだよ。初めて会ったし、それっきりだし」
 才戯の記憶力の悪さは永霞もよく知っている。おそらく本当に忘れたのだと思う。特徴を聞いて特定しようとしたとき、那智があっと声を上げた。
「才戯様、もしかして、訓練場の塔にいた、あのときですか?」
 一同の視線が那智に集まる。那智は一瞬怯んだが、才戯に顔を向けて恐怖心を誤魔化した。
「あのとき話していた方が……才戯様に、力を与えられたのでしょうか」
「ああ、そうだ。あいつだ。なんだっけ」
 自分が言っていいものかどうか、那智は責任の重さを感じ、だが才戯のため、勇気を出した。
「……暁津様、ですね」
 永霞は目を見開き、蒼雫も眉間に深い皺を寄せた。この二人にも、当然彼の悪名は届いている。
 剣術やケンカしかできないような才戯が、どうして誰にもばれずに悪さをしていたのか、協力者の名を聞いて、一気に点が線になっていく。
 永霞は依然に那智から、訓練場で才戯と暁津が話したという報告を受けたことを思い出した。通りすがりに会話をしただけと聞いたため、それほど気に留めていなかった。
「那智。お前はそのとき何をしていたのだ。何を話していたのか、まさか隠していたわけではあるまいな」
 突然自分に矛先が向き、那智は慌てる。
「いえ、私は……才戯様と仲違いしていたときで……少し、お傍を離れておりましたので……」
 共犯だったわけではないが、那智は自分を大人げなかったと省みた。語尾を濁し、すみません、と改めて謝罪する。
「それで」余談を断ち切るように、蒼雫が強い声を上げる。「暁津から、どのような呪いをかけられたのかしら」
「あ、ああ、三日に一度、半刻だけ、会いたい人に会える術だ。他の人に見られたら術は解けて二度と使えなくなるって言ってて、その通りになった」
 蒼雫は腹の中が煮えくり返っていた。ただ術を与えるだけではなく、才戯の質に合わせて制限をかけているあたり、暁津が事情を分かっていて手を貸したことが読める。それに、普通は術や呪いをかけられた者にはどこかに術の痕跡が残るものなのだが、才戯からは一切、なんの匂いもしなかった。他人に見られた瞬間、そのときの状況に関係なくかけた術が完全に消滅するよう仕組んであることが分かる。何もかも用意周到。暁津のあの軽薄な笑顔を思い出すと、蒼雫は指に力が入り、椅子の欄干にヒビを入れた。
「那智」永霞が強い口調で。「お前も暁津と会ったのだろう? 何か話したのか?」
「いえ、私は挨拶だけです。そのあとすぐに別れましたので……」
「他は? 何かないのか。些細なことでもいい。気がついたことはないか」
 那智は少し考え、あ、と声を漏らしたあと、言うべきか悩む。だがもう手遅れ、なんでもないとは言えない空気に押し負ける。
「そういえば……才戯様が、変なことにご興味を持って……」
「変なこと?」
「色町がどうとか……」
「はあ?」
 永霞が呆れたような声を上げ、蒼雫は下品な言葉に目じりを揺らした。
「おい」才戯が咄嗟に那智を怒鳴った。「それは俺には関係ない。今も意味知らねえし! あいつらが勝手に喋ってたのが聞こえただけだって言っただろ!」
「……あいつら?」
 蒼雫が低い声を出す。永霞もすぐに才戯と那智を尋問した。
「あいつらだと? どういうことだ。他にも誰かいたのか?」
「暁津様の隣に、女性がいました。その方と私は挨拶もしませんでしたし、どなたかは分りません。見た目も特別なところはなかったので、あまり気に留めていませんでした」
 あのとき、那智はいろいろ考え、暁津が「女性」を連れていたことまでは永霞に報告しなかった。おそらく才戯には関係ないだろうし、もし那智の予想どおり二人が恋人なら、自然と皆の耳に入るだろうなどと、無駄な気をまわしていたのだった。
 禁欲しているらしい暁津が女を連れていても、永霞も蒼雫も別に疑問はなかった。「女性」の話は終わり、かと思ったとき、才戯がまた嫌なことを思い出しながら不機嫌そうに口を開いた。
「お前まだ騙されてんのか。あいつ男だぞ」
「え?」那智は耳を疑ったあと、つい大きな声を出してしまう。「えーっ!」
 しまった、と那智はすぐに口を塞いだ。永霞と蒼雫が目元を陰らせ、同じ表情を浮かべていた。そして同時に、呟く。
「……珠烙か」
 絶望的だった。暁津と珠烙。あの性質の悪い男が二人がかりで才戯に関わったのなら、もう何も疑う余裕はない。
 永霞は頭を抱えて床につっぷし、蒼雫はとうとう欄干を握り潰した。
 蒼雫は怒りが限界に達しており、もう話したくなかった。だがこの場はぐっと堪えて、最後の質問を投げかける。
「才戯君、だったかしら」
 一同は顔を上げ、蒼雫に注目する。蒼雫は何かに取りつかれているかのような、恐ろしい表情を浮かべていた。
「なぜ、私の娘に会おうと思ったの?」
 彼女の迫力に圧されながらも、才戯は答えた。
「気になったからだ」
「何が?」
「閉じ込められてたし、助けてもらったし。二度と会えないなんて、なんか嫌だったんだよ」
「それだけ?」蒼雫は見下し、深いため息を吐く。「たったそれだけのことで、多数の人を欺き、傷つけ……私の夢を壊していいと思ったの?」
 才戯は言葉に詰まった。永霞と那智も冷や汗を流している。
「それだけって言うか……ああ、あと、好みだったから」
「なんですって?」
「可愛いと思ったんだよ」
 刃のように鋭い目で睨みつける蒼雫に、才戯は言わなきゃいけないのかとでもいうように怒鳴りつけた。
「一目惚れしたんだよ!」
 永霞と那智の全身からさらに汗が噴き出した。
 蒼雫は再び大きな息を吐き、ふっと体の力を抜いた。
「……そちらの話は分かりました。今日はもうお引き取りください」
 永霞は拍子抜けし、えっと短い声を上げた。
「蒼雫、才戯のことは……」
「処罰は、後日決めます。片方の話だけを聞くのは公平性に欠けます。これから娘と話し合い、二人がどういう交友をしていたのかも、娘から聞きます。そのうえで、今後どうすべきか、考えましょう」
 永霞と那智は顔を見合わせる。どちらも、一つの区切りはついたがまだ安心できないという顔色をしていた。
「幸か不幸か、まだ二人は子供。私の夢は途切れていないことを願い、娘にとって最善の方法を模索する必要があります。それまで、静かにお待ちいただけるかしら」
 蒼雫は目を伏せ、腰を上げようとした。それを待たず、永霞は両手を床に着いて深く頭を下げた。
「蒼雫……申し訳ない!」
 才戯と那智は驚き、蒼雫も意外そうに目を見開いた。
「私の息子が、迷惑をかけた。だが、お前の言うとおり、この子もお前の娘も幼い。何とか、温情を。できることがあるなら何でもする。だからどうか、猶予を与えて欲しい。息子に罪を償わせてくれ」
 永霞の心からの言葉は、才戯と那智には届いていた。才戯はあの男勝りな性格の母が頭を下げている姿に、自分のしたことの重さを実感し始めていた。
 蒼雫も、まさかあの永霞が自分から真摯に謝罪し、許しを請うとは思っておらず、多少気が紛れていた。
「頭を上げて、永霞」蒼雫の声は、穏やかだった。「私だって娘が大事よ。あなたのご子息を処刑すれば済むなんて、そんな安易なことは考えていないわ。だって、それでは娘はただ傷物になっただけで、何の救いもないでしょう?」
 薄く微笑む。が、どこか陰りがある。許しているわけではなかった。
「努力しましょう、お互いに。可愛いわが子と、一族の将来のために……」

 永霞には脅しに聞こえた。それでも彼女の良心に賭けるしかなく、項垂れた。




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