SHANTiROSE

HOLY MAZE-34






 ラストルはドゥーリオと数人の家来を連れてカーグに呼ばれた部屋に移動した。
 そこは広いダイニングで、大きなテーブルを始め、燈台やグラス、暖炉など多数の骨董品の家具で飾られた一室だった。テーブルの上には上品な朝食が用意されている。
 椅子は左右に十ずつ並んでおり、廊下側の席にカーグとその妻と息子夫婦、そしてノイエと一人の弟子の姿があった。
 一同はラストルを見てすぐに席を立ち、笑顔で出迎える。ラストルは家来を廊下に残し、ドゥーリオと二人で窓側の席に座った。
「この部屋は私たち家族が普段も使っているダイニングです」
 ノンアルコールのワインで乾杯したあと、カーグが機嫌よさそうに、部屋や家族の自慢話を始めた。
「素敵な趣味をお持ちで」ラストルも彼に合わせ、笑顔を浮かべる。「情緒があり、親しみと高級感が混合し、心が満たされます。ご家族との憩の部屋に招待いただき、感謝いたします」
 カーグはラストルの「お世辞」に、満足そうに目を細める「演技」をしてみせた。
 二人の腹の内など知らぬカーグの家族は、将来有望な若い王子に目を輝かせながら彼を褒め称えていた。


 朝食が終わり、食後の紅茶が運ばれてきたころ、カーグが本日の予定を口にする。ラストルはやっと実のある話ができると思い、カーグを見つめ返した。
「このあと、我が国が誇る博物館や教会などをご案内いたします。その様子は一般公開し、我々の友好を世界にお伝えいたしましょう」
 ラストルは「光栄です」と答えながらも、次の言葉を待つ。
「昼食も我が国で最高級と言われる店へご招待いたします。そのあと、こちらに戻って会談を行えればと思います」
 ラストルの目が鋭くなる。カーグも意味深に声を落とす。それに気づいたドゥーリオとノイエも目線を二人に移した。
「ラストル様に紹介したい魔法使いがおりますので……」
 やはり、とラストルは再度微笑むが、その笑みは冷たいものだった。
 やっと本題に入れる。ラストルは他の行事に興味はなく、やっと「魔女」に近づけることを確信し胸の奥に小さな炎を灯した。
「……それから、夜は饗宴でございます」
 そう続けるカーグの言葉にも、無言で頷くだけだった。
「最上のもてなしをご用意いたします。ご期待ください」


 朝食は終わり、ラストルとドゥーリオは出掛ける準備のため再度客室に向かった。その途中、二人を待っていたシールの使者がドゥーリオに声をかけて足を止めた。
 使者が小声で用を伝えると、ドゥーリオは息を飲んでラストルに向き合う。
「ラストル様はお先に部屋へお戻りください。私は少々……」
 ラストルが目じりを揺らすと、ドゥーリオは彼に体を寄せ、家来と使者に聞こえないように話を続けた。
「シェリア様のことで、ミスレから話をされたいとのことなのです」
 ラストルには「シェリア」も「ミスレ」も聞きなれない言葉だったが、すぐにティシラのことだと察する。更に機嫌を損ね、眉間に皺を寄せる。
「お前が話すことなのか? シールの者に金を渡して帰らせろ」
「いえ、あの……仮にも、彼女は貸し出された商品です。今後のことも兼ねて、私から正式に交渉させていただきたいのですが」
「今後だと? 交渉とは何のことだ」
 ドゥーリオは、早朝に話したことをもう忘れたのかとラストルに言いたくなるが、当然そんなことは口が裂けても言えない。かといってここで彼の顔色を伺いながら説得する時間はない。一つ深呼吸し、腹を決めてラストルに目を合わせた。
「……彼女のことは、私に任せてもらえませんでしょうか」
 ラストルは口を開かなかった。
「ラストル様の名誉を傷つけるようなことはいたしません。私に任せていただければ、あなたの口から彼女を認めるようなお言葉は不要です。ですから……お願いいたします」
 ドゥーリオは目を伏せ、頭を下げた。
 ラストルは、彼から一つの決意を感じ取った。今までのドゥーリオなら、はいと返事をして言われたとおりに金銭で解決を図っていたと思う。
 気に入らない。が、主人が仕事に集中できるように取り計らうのが従者の役目。ここは敵国。彼に譲ることにした。
 ラストルは返事もせずにドゥーリオに背を向けて、家来を連れて立ち去った。ドゥーリオは顔を上げ、彼の背中にもう一礼し、使者に別の部屋に案内してもらった。


 指定の部屋へ向かう途中、どこか落ち着きのないドゥーリオは、廊下ですれ違った女中に声をかけた。
「失礼ですが……」
 女中は手に水の入ったピッチャーとグラスの乗ったトレイを持っていた。使者も振り返って足を止める。
「ひどく喉が渇いてしまいまして。これをいただいてもよろしいでしょうか」
 突然のことで女中は驚き、一歩足を引く。
「え……ええ。いえ、お部屋にお持ちしますので……」
 女中が言い終わらないうちに、ドゥーリオは不躾に水をグラスに注いで飲み干してしまった。
 女中は若い娘だった。目鼻立ちは整っており、可も不可もない。髪と目は赤に近いブラウン――ドゥーリオはこの短時間に、特徴のない彼女の顔をグラスの中の水に写し、その「肖像」を、まるで紙に書き写すように記憶した。
「ああ、ありがとう」ドゥーリオは忙しなくグラスをトレイに返し。「君のおかげで落ち着いたよ」
 女中と使者が呆れているのも構わず、ドゥーリオは見境のない年寄のように愚者を演じた。
「さあ、早く行きましょう」


 部屋へ入るとウィラーが出迎えた。ミスレのオーナーが直々に足を運んでいたのだった。
 ドゥーリオは二人だけにして欲しいと使者を部屋から締め出し、ウィラーと挨拶を交わした。
 ウィラーは上機嫌で愛想よく接してくる。当然のことだった。使者から「シェリア」が気難しいラストル王子に受け入れられたことを伝えられていたのだから。しかも、シールの役人ではなくラストルの側近が出てきている。もっと売り込むために最大限の営業が必要。少しの失敗も許されないからこそオーナーが出張ってきていたのだった。
 そんなウィラーの期待は、いい方に裏切られる。ドゥーリオは彼のごますりを遮り、率直に用件を伝えた。
 ウィラーは自分の耳を疑い、面食らって言葉を失う。ドゥーリオは彼の反応はもっともだと思いながらも続ける。
「シェリア嬢を、身請けさせていただきたく存じます」
「え?」
「簡単に説明させていただきますと、ラストル様とシェリア嬢は幼い頃に面識がありまして、お互いに情を抱き合っていらっしゃるのです」
 そこまでは、シェリアの父親であるリアエンスに聞いた覚えがあったが、ウィラーはまさかこんなに話が簡単に進むとまでは考えていなかった。
「ただ、これだけは言っておきますが、お二人はプラトニックな関係でございます。ラストル様は純粋なお気持ちで、シェリア嬢との再会をお喜びになられました。ここで会ったのも何かのご縁。ラストル様のご厚意で、娼婦に身を落とされた彼女をお救いしたいとのご意向を賜ったのです」
「それは……」ウィラーの声が震えていた。「シェリア殿を、ティオ・メイへお連れされるということでしょうか」
「ええ、もちろん。彼女の存在が公になることはないでしょうが、生涯、貧しい思いをされぬよう保障いたします。代償に糸目はつけません。御社から提示された金額をお支払いたしますので」
 ドゥーリオは口をぽかんと空けたままのウィラーに詰め寄った。
「何か問題がありますか?」
 ウィラーははっと我に返り、慌てて首を横に振った。
「い、いいえ! 問題だなんて、何も!」
「では、交渉は成立ですね」
「はい、もちろん!」
「最後に、このことは、決して口外なされないよう、お願いいたします」
 ラストルとシェリアのことを知っているのは限られた者のみ。万が一妙な噂がメイの王室に届こうものなら、真っ先にミスレが疑われることになる。ウィラーは姿勢を正した。
「ご安心を。わたくしどもも伊達に一流を名乗っているわけではありません。すべて、心得ております」
 支払いに関しては、ラストルがティオ・メイに戻ってから、改めて自身がミスレに出向くと約束し、話は終わった。
 ドゥーリオはシールの使者にも話しておくので、もうこの城には来ないように念を押す。その理由が分かるウィラーは満面の笑みで、余計なことは言わず席を立った。
「では……」
 ドゥーリオはウィラーを戸に誘導しながら、差し出した掌を彼の背に当てた。
 その掌に、小さな魔法陣が浮かび上がる。
 ウィラーは目眩を起こすが、自覚はなかった。背中から、ある「映像」が流れ込んでくる。それはドゥーリオが廊下で「書き写した」女中の顔だった。ウィラーの記憶から、「シェリア」の顔が、ティシラのものから女中のそれへと置き換えられていく。
 ドゥーリオがそっと背から手を離したときには、ウィラーの中の「シェリア」の顔は地味で平凡な女性のものにすり替わっていた。
「……今回は、いい取引ができたこと、感謝いたします」
 ウィラ―は自分の中の変化に気づかず、ドゥーリオと堅い握手を交わした。


 ドゥーリオはウィラーを見送ったあと、大きな息を吐いた。
 身分の高い者が娼婦を囲ったり身請けすることは珍しくない。ティシラの印象的な少女の記憶は地味な姿に変わった。取引が完了して時間が経てば、ミスレの大きな功績としては残るとしても、「シェリア」の噂が立つことはない。ドゥーリオは人を騙すのは苦手で、できればこんなことはしたくなかった。しかし今はそんな生ぬるいことは言っていられない。「シェリア」が城内で動きやすいよう、協力する。それが自分にできることの一つだと考え、急遽思いついて行った交渉と魔法だった。


 ドゥーリオはその足でティシラのいる客室へ向かった。廊下に転々と立つ警備兵とは目を合わせず一礼しながら進み、戸をノックし、入室した。ソファに座っていたティシラは彼の姿を見てすぐに駆け寄った。
「時間がないので急ぎます。まず、ミスレのオーナーと交渉し、あなたを身請けすることにしました」
「身請け?」
「ラストル様とシェリア嬢は幼馴染でプラトニックな関係であると伝えてあります。あなたを買い取り、シールにいる間は私たちでお預かりするような形になりました」
「へえ」ティシラは感心し、表情を明るくした。「あんたが考えたの? いいじゃない」
 褒められても嬉しくないドゥーリオは厳しい顔のまま、早口で続ける。
「それと、本日の予定ですが、今から昼過ぎまでカーグ国王と出かけます。そのあとはこちらに戻り会談……おそらく魔女の話になるかと」
 ティシラもドゥーリオと同じように目元を陰らせる。
 ここの国王や魔法使いが一体どうやってラストルを利用しようとしているのか、具体的なことまでは分かっていない。これから急激に話は進んでいくはず。
 ドゥーリオも同じ気持ちだった。
「それから、夜は饗宴ということです」
「饗宴って?」
「社交パーティのようなものだと思いますが……ラストル様はそういった交流イベントはお嫌いなのですが、あの方のために開かれるものですから参加しないわけにはいかないかと」
 またラストルを宥める仕事が待っている。想像するだけでストレスが溜まるドゥーリオの気持ちは、ティシラには理解できなかった。
「あなたのことは必要な者に伝えて優遇してもらうようお願いしておきます。私たちが帰ってくるまで待っていてください」
 ドゥーリオは「大人しくしていてください」というニュアンスを含め、忙しなく退室していった。
 ティシラも退屈だからといって、面白いことを探そうという気分ではなかった。だがじっとしているのは苦手だ。一度ソファに下ろした腰をすぐに上げ、部屋のドアを開けて廊下を見回した。
 廊下は一直線に続いており、等間隔に警備兵がいる。それ以外に人の気配はなかった。ティシラは部屋に引っ込み、右手の指先でイヤリングに触れ、ロアを呼ぶ。すぐに返事が返ってきた。
『ティシラ、何かありましたか』
「今から部屋を出てラストルに近づこうと思う。もしかしたらシールの国王もいるかもしれないから、そっちから様子見てて」
『それは可能ですが……今新聞を見ていたところです。そちらの動向は?』
「ドゥーリオが私を買い取るって、シールの方に話してくれたみたいなの。これでラストルの恋人ぶって大きな顔ができるわ」
『そうでしたか……思わぬ協力者ができましたね』
「ラストルたちは国王と昼過ぎまで出かけるって。そのあとに事が動きそう。それまで私はやることないから、今から部屋を出てみる」
『え?』
「いいから、静かにしてて」
 ティシラはそれ以上問答せず、再度戸を開けて廊下に出た。警備兵が動くものに注目する。ティシラは髪やスカートを揺らし、気取って歩みを進めた。
「あの……どちらへ?」
 近づくと、警備兵が声をかけてきた。武器を構えたり強引に制止する様子はなかった。
「わたくし、シェリアと申します」ティシラは兵に甘い目線を投げる。「ラストル様がお出かけになるそうなので、お見送りに参りたいと思いまして」
 兵が四人ほど集まり、顔を見合わせていた。「シェリア」が娼婦であることは知らされている。国賓への献上物とはいえ、許可のない者に城内を自由に行き来させるわけにはいかない。部屋に戻ってもらおうと手を差し出して行く先を遮ると、ティシラは素早く高い声を上げた。
「いやですわ。ご存じないの? 私、ラストル様に身請けしていただいたのですよ。先ほどドゥーリオ様がいらっしゃったでしょう? ラストル様のご厚意で私をティオ・メイに受け入れてくださると仰ったの。私、もうただの娼婦ではありませんのよ。ラストル様の恋人も同然。将来、ティオ・メイの女王になるかもしれないこの私に、無礼ではありませんか?」
 自信満々に胸を張るティシラに、警備兵たちは更に困惑した。
「あら、信じられないなら確認されてはいかがかしら」
「はあ……では、確認いたしますので、お待ちいただけますか」
「何をおっしゃるの。待っていたらラストル様のお見送りに間に合わなくなります。それに私の言葉が真実だった場合、あなた方の対応に不備があったということになるのですよ。あなた方のせいでラストル様が不快な思いをされるなんて、許されないと思いませんか。もし私が嘘を言っていたなら、拘束でも投獄でもなさって結構ですので、今すぐここを通していただけないかしら」
 ティシラはつんと顎を上げ、戸惑う兵たちの真ん中を突っ切っていった。廊下を進んでいく彼女の背後で、一人の兵が確認をしに走り去る足音が聞こえたが、ティシラは振り返りもしなかった。
 水晶を通してやり取りを聞いていたロアとマルシオは、ティシラの強気な演技に唖然としていた。さすがと言える彼女の度胸には感心する。心配していた二人だが、このまま見守ることに異論はなかった。





   

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