SHANTiROSE

INNOCENT SIN-39






 たった一人で戦争を起こし、魔法以外の力を手に入れて新たな世界を創ろうとした「創世神」という名の悪魔、ノーラの代理人――ジギル。
「ノーラの代わり?」ティシラはマルシオに向き合い。「じゃあこの『もしも』の世界でも同じことが繰り返されてしまうの?」
「同じではない」マルシオは話しながら、ずっと水鏡を見つめたままだった。「ジギルはノーラとは別人だ。あちらの世界で鍵を握るのはエミーのほう。エミーとジギルを出会わせたのは、リヴィオラが構成する世界だ」
 どうして、と、疑問の尽きないティシラの言葉を遮り、マルシオは上空を仰いだ。
 すると何もなかった金剛石の床から、同じ色をした巨大な柱が次々とそそり伸びた。驚いたティシラが周囲を見回すが、柱の生まれる速さに追いつけない。肉眼では捉えられない位置にも柱は建ち、上空の光の中に、吸い込まれるように掻き消えて先が見えない。次に、その柱を繋ぐ壁が出てきた。何もなかった空間が柱と壁で区切られ、あっという間に「部屋」へと変貌を遂げる。
 ティシラが着いていけずに茫然としていると、壁の一部が蠢きだし、あちこちに窓ができた。等間隔に並ぶ窓の途中には扉もあった。大きく、立派なものだった。窓にはガラスがあるが、外は白い光しか見えない。
「……な、何なのよ、急に」
 ティシラがマルシオを振り返ると、彼の座っていた椅子の背後にも壁ができており、背負う光の羽の光沢と影が芸術的な模様を描き、まるで美しい装飾品のように目を眩ませた。
「なんとなく、城くらいはあってもいいかと思って作ってみた」マルシオは薄く微笑み。「何もないというのもつまらないだろう。これでお前も、少しは落ち着いて『もしも』の世界を鑑賞できる気分になったか?」
 そう言って片手を伸ばし、手の平を上に向けて指を揺らす。すると、今まで金剛石の床の上で落ち着きなくうろうろしていたティシラの足元が掬われた。小さな悲鳴を上げる彼女は体制を崩して転んだが、その体は柔らかいソファの上に預けられた。ティシラはあまりに身勝手なマルシオのやり方に怒りを抱くが、ソファのクッションは快適なものだった。床の上に転がされているよりはいい。唇を尖らせながらも、ソファに座り直した。
 室内となった空間には変わらず光の雨が振り注ぎ、光る文字が絶え間なく流れている。ティシラとマルシオの前には複数の水鏡が世界を映し出していた。
「何が起きるのか、俺も正確に分かっているわけじゃない。俺もお前も、ただの傍観者だ。ここでゆっくりと眺めていようじゃないか」
 ――安全で優雅な高い位置から、人間の世界が繁栄し滅びゆく様を。



*****




 それからエミーとジギルは植物の研究に没頭していった。
 ジギル一人だったときはある程度時間のを調節し、モーリスにもばれないように夢中になりすぎないようにしていた。しかしエミーが来てからは周りのことなど目に入らなくなり、朝まで洞窟にこもり、体力の限界がきたところで半日ほどずっと眠っている状態が続いた。
 モーリスは心配して何度もジギルの部屋を訪れたが、そこにはジギルもエミーも姿がなかった。やっと会えてもジギルは疲れ切っており、代わりにエミーが村人の疑問に答えるだけだった。
 答えると言っても、「先生は今大事な研究を進めている。内容はまだ秘密だ。しかしそれはアンミール人を救う素晴らしい発明なのだ。皆は今までどおりにやっていればいい。近いうちに幸せが訪れる。吉報を待て」という、曖昧なものだった。
 ジギルのことは信用しているし、彼が勉強ができることも分かっている。しかし、モーリスが案じたのは、ただでさえ不健康だった彼の体調だった。
「エミー、ジギルは無理をしているんじゃないか」
「大丈夫。そこは私が管理してるよ」
 エミーもジギルと同じ時間、一緒にいるわりに、いつも元気そうだった。それも魔法の一つなのだろうかと、モーリスはエミーの体のことは何も気にならなかった。
「そんなに詰めてやらなければいけないのことなのか?」
「そういうわけじゃないが、ジギルが好きでやってるんだよ。楽しくてしょうがないんだと」
「……本当なのか? ジギル本人から聞きたい」
「もう寝てるよ」エミーは意地悪な笑みを浮かべ。「分かった。じゃあ起きたら村長のところに行くように伝えるから」
「そうしてくれ。頼むよ」
 モーリスはやっと城跡から出て行った。エミーは奥の部屋で熟睡しているジギルの傍に寄り、彼の寝顔を見つめた。



 数時間後、目覚めたジギルにエミーはすぐに声をかけた。
「おい、村長が呼んでる」
 ジギルは寝ぼけ眼を擦りながら、顎が外れそうなほどの大きなあくびをする。
「なんだよ……また排水管が詰まっただの焼却炉の火が点かないだの騒いでるんじゃないだろうな」
「お前を心配してるんだよ」
「心配?」ふんと鼻を鳴らし。「便利屋がタダ働きしなくなって困ってるんだろ」
 エミーはそんなジギルの冗談に笑う、かと思ったが、違った。
「ほんとにそう思ってんのか?」
 ジギルはすぐに返事をしなかった。目線を上げ、誤魔化すようにぼさぼさの頭を掻いた。
「……面倒くさいんだよ」声を落として。「ここでてきとうに生きていくために、てきとうに合わせてるだけなのに」
 そう呟くジギルを見て、エミーはやっと笑った。
「なのに、あいつらは心底お前を尊敬して、慕ってる。お前は自分のことしか考えてないのにな」
「そうだよ。俺は他に居場所があればこんなところすぐに捨てる。今だってそうだ。俺は自分のやりたいことを見つけたから、もうあいつらと口きくのも面倒になってるってのに、あいつらは今までどおりに俺に頼ろうとしてくる」
 忌々しそうに言うジギルの背中を、エミーは声を出さずに笑った。
(やっぱりガキだな、こいつは)
 エミーはポケットからあるものを取り出し、ジギルに投げつけた。それは彼の膝元に転がる。ジギルが手に取ったそれは、紫の球根だった。
「なんだこれ?」
「さあな。実験してみないと分からない」
「実験?」ジギルは途端に言葉に詰まり、息を飲む。「どこで……いや、実験って、試して、成功したらどうするつもりなんだ」
 ジギルの動揺もエミーの予想内のことだった。歯を見せて笑う。
「私たちの思うとおりの結果が出たら嬉しいだろう? まずはそれを確かめる。それから先はまだ考えてない」
 ジギルは球根を見つめて茫然としていた。今まで一人で研究し、他人の手を借りないと進まないことは諦めてきた。簡単な治療や薬草の効果は、自分や小動物で試すにとどまってきた。成功し、それを村人に施すと、みんな感謝していた。ジギルは、自分の研究が正しいという証明ができたことだけに快感を覚えた。だから今回も、実験して成功すればきっと嬉しいに違いない。だが、理由の分からない迷いが彼を二の足を踏ませていた。
「心配するな」エミーはもう一つの球根をジギルに投げつけ。「ここの村じゃ試さないよ」
 頭に球根をぶつけられたジギルはいつもの生意気な表情に戻る。
「じゃあどうやって実験するんだよ」
「外だ。この村の、外」
「は?」
「その前に、お前は村長に会ってきな。ちゃんと親には挨拶くらいしとかないと」
「何言ってんだよ」
「ちゃんと話せば、無茶してでも遊びたい年頃だって分ってくれるさ」
 見下した口調のエミーに苛立つジギルの手の中で、球根が蠢いた。



 ジギルはモーリスに会いに、渋々城跡を出た。
 久しぶりの太陽の光が異様に眩しく、目が痛い。道行く人が、ジギルに笑顔を向けてくる。
「先生、しばらく見なかったがどうしたんだ。体でも壊したんじゃないかって皆心配してたぞ」
「あの変な魔法使いはどうした」
「まさかあの女に誘惑されたんじゃないだろうな」
 冗談なのは分かるが、性質が悪い。ジギルは失礼な村人を睨み付けながら早足でにじり寄った。
「気持ち悪いことを言うな。あんな狂人、女にすら見えてねえよ」
 ムキになるジギルを、村人は悪びれもせず笑い飛ばした。
「よかった、元気そうだ」
 そう言って、村人は農作業で鍛えられた大きな手でジギルの肩を叩いた。ジギルはふんと顔を逸らし、彼らに背を向けた。
(こっちは本気で怒ってるのに……ここの村人はアホばっかりだ)
 苛つきながら歩いていると、ある民家の軒下にモーリスの姿があった。周囲には子供が寄り集まっている。モーリスはジギルを見つけ、目を大きく開いた。
「ジギル、やっと起きたか」
 子供たちも彼を見つけてはしゃぎ始めた。
「先生、遊んでよ」
「また花の話を聞かせて」
 ジギルは鬱陶しそうな顔をするだけで、相手にしなかった。
「村長、ちょっと」
 そう言ってモーリスだけを呼び、少し離れたところに移動した。
「俺、しばらく留守にするから」
「留守? どういう意味だ」
「そのままだよ」
「まさか、ここを出るというのか?」モーリスの声が震えた。「一体どこに……いや、どうやって出るんだ。危険なことはやめるんだ」
「危険?」ジギルは素知らぬ顔で。「危険なのは村人のことだろ。村人に迷惑がかかるからやめて欲しいんだ」
「何を言っている……!」モーリスは拳を握る。「お前に何かあったらどれだけの人が悲しむか」
「だから、便利な先生がいなくなって困るってことだろう?」
「……どうしたんだ。いきなりどうしてそんなことを」
「いきなりじゃねえよ。今までずっとそうだった。俺が気付いてなかったと思ってんのか。でも俺はそれでよかった。減るもんじゃなし、訊かれたことに答えるくらい、別にどうってことはないからな。ただ俺は他にやりたいことができたんだ。だからもう俺に頼るのはお終いにしてくれ」
「……本気で言っているのか」
 モーリスは青ざめ、体中が震えていた。怒りと失望だった。こんな感情を抱くのは初めてで、どう表現したらいいか分からない。
 ジギルに彼の戸惑いは感じ取れていた。ジギルの中では「図星を指されて焦っている」ようにしか見えていなかった。
「本気だよ。元々俺は一人だった。周囲にいた村人が俺に協力を求めたから答えただけ。今後、俺がいなくなったこの村がどうなるかなんて、俺には関係ない」
「ジギル!」
 思わずモーリスは大きな声を出してしまった。気弱で温厚な彼が怒鳴るなど、今まで一度もなかった。さすがのジギルも驚いて固まっていた。
「……私たちは、お前を、家族だと思っていたよ」
 弱々しい声で、絞り出すように話すモーリスに、ジギルは息苦しさを抱いた。
「確かに、私たちはお前を頼った。お前がいなかったら、きっとこの村の暮らしは今以上に貧しいものだっただろう」
 正直、最初は扱いづらい人物だと誰もが思った。挨拶もしない。笑いもしない。食事に誘っても協力に感謝しても、陰気な目を向けるだけで、迷惑そうにすら見える。
「だが、お前は、頼ったら必ず助けてくれた。お前は、訊かれたから答えただけかもしれない。それでも、私たちは嬉しかったんだ」
 以前は「あんな気持ち悪い男、呼びたくない。自分たちでなんとかしよう」と言い出す者もいた。しかし、彼に助けられた者はそれらを非難した。
 そのうちに、ジギルはあれで「普通」なのだと、皆が理解していった。文句や冗談を言えば不機嫌になる。誘っても乗ってこない。弱者にも何の配慮もない。不躾で、陰気。だけど声をかければ何かしら反応する。相談すると考えて答えてくれる。それが彼の普通であり、決して悪い人間ではない。それが分かると、ジギルを嫌う人々はいなくなり、子供たちも怖がらなくなった。
「今後、お前がもう皆の先生をやりたくないならそれでいい。嫌なことは断ってくれ。だが……頼むから、私たちのことを誤解しないで欲しい」
「誤解?」
「私たちは、お前のことが好きなんだよ」
「は……?」
「本当は笑って欲しい。もっといろんな話をしたい。だがお前が嫌がるからしないだけだ。お前とうまくやっていくにはそれが最善だからだ。困ったときは頼りたいし、私たちだって、お前に悩みがあるなら話して欲しい。付き合いの悪いお前でも、しばらく見ないと心配になる。理屈じゃないんだ。それが家族というものなんだ。お前を便利屋だなんて思ったことはない」
 ジギルは言葉が出なかった。
 モーリスの言っていることが理解できなかったからだ。
 ジギルは村人を家族だなんて思ったことはなかった。好きも嫌いもない。この村と村人が自分にとって何なのかなんて、考えたこともなかった。
 そもそも自分が人を好きにならないのに、自分が好かれるなんて想像もできない。
 用があるから話しかけられているだけ。それだけのはずだった。
 黙り込むジギルの顔を、モーリスは覗き込んだ。暗い顔が更に深刻な色を灯している。あの頭のいいジギルが、悩んでいる。モーリスは絶望の中に僅かな希望を見出した。彼のこんな表情を見たかったのだ。何もかもを否定する反抗期の少年に、大人の言葉が届きそうな掛け替えのない瞬間は、家族だからこそ垣間見ることのできるもの。
 もう少しでジギルの心に触れることができる。モーリスが一歩踏み出す、より早く、ジギルは踵を返した。
「あんたの話は聞いた。意味は分からないが、一応、覚えておくよ」
 そう言ってジギルはモーリスを置いて城跡に戻っていった。





   

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