SHANTiROSE

INNOCENT SIN-83






 夕刻、ジギルの部屋に悲痛な叫びが響いた。
 呼び出されたカームとミランダは信じ難いことをジギルから告げられた。ジギルの勉強机にはむき出しのままの水晶が置いてある。ことの重大さを理解できないジギルには、絶望で石になったかのように固まったカームの反応に逆に驚かされた。比較的冷静に見えるミランダは、受けたショックの度合いはカームと同じで汗を流しながら目を泳がせていた。
「……クライセンは、本当に私たちを置いて帰ってしまったの?」
「そうらしい」ジギルはため息をついて。「ああ、言っとくが俺は聞いたことを伝えてるだけだからな。俺にいろいろ聞かれても知らねえぞ」
「そんな……」カームは膝から崩れ落ち。「やっぱり僕たちは友達じゃなかったんでしょうか……」
「この状況で置いていく奴が友達なわけねえだろ」
 冷たく言い放つジギルの言葉に、カームの心は深く傷ついた。
「なんだよ! 君は何も知らないんだろ? どうしてそんなこと言うんだよ!」
「客観的な見解だよ」
 目に涙を浮かべるカームに、ジギルはさらに追い打ちをかける。
「大体、お前、本当に友達なんかいるのかよ」
 カームの胸を更に太い刃が切り裂いた、ような衝撃が走った。
「い、いるよ……とくに、ここ数日で、たくさんの友達ができたんだ」
 カームは言いながら、今までの人生で一番楽しいと思っていた出来事を振り返った。
 きっかけはマルシオだった。だが彼は天使の王となり、もう自分のことなど眼中にない。
 マルシオを通じてクライセンと出会った。彼は……確かに、最初から友達になれるような立場ではなかった気がする。ティシラに関しては、最初から最後まで自分に興味さえなかった。
 だけど、とカームは気を取り直してミランダに顔を向けた。どこかで予感がしていたミランダは既に警戒している。
「ミランダさん、あなたは僕の友達ですよね!」
 真っ赤な目で訴えるカームは、哀れなようで、鬱陶しくもあった。
「だって、ずっと一緒にいるし、僕のこと心配してくれてたし……!」
「それは、共通の目的があるし、今は同じ立場だもの。心配くらいするわよ。私だって鬼じゃないんだから」
「え? 何ですか、その言い方。まさかあなたまで僕を裏切るんですか?」
「裏切るなんて人聞きが悪いわね。あなたを見捨てたり傷つけるつもりはないわ。それじゃダメなの? あなたは私に何を期待してるのよ」
「え、期待って……そんな……」
 そう言われると答えられないカームはぐっと涙を飲み込み、次にジギルに希望を託した。
「ジギル、君は……」
「ああ、うるせえな」ジギルも予感を抱いており反応は素早かった。「お前も帰るんだろ?」
「え?」
「クライセンは置いていったとはいえ、土産は残していってるじゃねえか」水晶を顎で指し。「これでお前らも帰られるんだろ?」
 カームとミランダは息を飲んで顔を見合わせた。
 クライセンが置いていったのもショックだが、カームたちにとっては伝説級の人物であるザインの、その息子であるレオンから、直々に魔法を伝えられるなんて現実味を帯びない。それでも魔法は目の前に存在する。本当に触れていいものなのか、恐れ多い感情が二人をすぐに行動させなかった。
「なんだよ」委縮している二人にジギルは呆れ。「魔法使いにとっちゃレオン様は神さまか。会ったこともない奴によくそこまで恐縮できるもんだ。けど俺にとっちゃ意味の分からないゴミだからな。いらねえなら捨てるぞ」
「待って、いるわよ」ミランダは前に出て水晶に手を伸ばした。「でも、これって……話のとおりなら、アストロ・ゲートを開く魔法なんでしょう?」
 ジギルが「知るか」と言っているうちに、カームがはっと目を開いた。
「え? もしかして、あの大天使様が使ったあれですか?」
「あの人は天使だから、魔法とは違うけど……中身は同じなんじゃないかしら」
「そんな魔法、僕たちに使えるんですか?」
 ミランダも同じ不安を抱いていた。未だに触れられずにいる彼女に、ジギルはとうとう苛立ちを露わにする。
「いいから、それ持って早く出ていけ。ここで話し合う意味ねえだろ。研究の邪魔なんだよ」
 そう言いながら雑に水晶を抱えてミランダに押し付けた。ミランダは慌てて受け取って水晶を見つめたが、今のところはただの透明な石だった。
 二人はジギルに追い出されて部屋を後にする。まだ頭の中の整理ができないでいたが、廊下で話し合っても仕方ないということになり、ベリルたちのいるリビングに戻って行った。



 リビングにいたのはベリルだけだった。いつものように楽しそうに夕食の準備をしていた。
 浮かない顔のカームとミランダは水晶をテーブルの上に置き、ベリルにジギルから聞いた話を話した。
「えっ、じゃあ、これ」水晶を覗き込み。「レオンがくれたの? レオンってあの人よね。王様だっけ? 違ったかな? とりあえず、マーベラスで一番偉い人」
 何も考えずに話した二人だったが、ベリルがスカルディアの一員でレオンとは敵だったことを今更ながら思い出し、気まずい汗を流した。しかし彼女は笑顔のままではしゃいでいる。
「凄いじゃない。あなたたち、やっぱり特殊なのね。で、この水晶の中には何の魔法の術式が書いてあるの?」
「私たちもまだ見てないわ」とミランダ。
「どうして? 凄い魔法なのよね? レオンの魔法でしょ。見てみたいわ」
 ベリルは無邪気に目を輝かせて水晶を見つめていた。
「あっ、でも私に知られたらダメなのかしら? だったら聞かないわよ。でもどんな魔法か、ちょっとだけでいいから教えて」
 ベリルはやはり無邪気で、探っているようにはまったく見えなかった。彼女を疑う理由もないし、ベリルに話したことでこの世界の戦況が大きく変わるようなことはないだろうと思う。もしそうなら、この水晶がこれほど無防備にこの場に持ち込まれることはなかったはずだから。
「ベリル、あなたにはこれが何か分かる?」
 ミランダに言われ、ベリルは首を傾げた。
「正直に言うとね、ちょっと、見るのが怖いの」
「怖い? どうして?」
「うん……レオンの魔法っていうのもあるけど、もし、私たちがこの魔法を使えなかったら、私たちは、完全に帰る手段を失ってしまうのよ。何て言うか、まだ、私たちに選択肢が残っているのかどうか、それを確認するには、もう少し、覚悟が必要で……」
 ベリルは少し考えたあと、うんと頷いた。
「なるほどね。代わりに、私に先に見て欲しいってことね」
「ええと……そ、そうなるのかな」
「いいわよ。面白そうだし。任せて」
 ベリルは椅子に腰かけ、水晶に両手をかざした。触れていないのに、水晶がぼんやり光り、彼女の顔を照らした。今まで意識したことはなかったが、ベリルはエミーの育てた魔法使いだということを実感する。二人は固唾を飲んで見守った。
 ベリルはしばらく水晶を見つめたあと、眉間に皺を寄せて口をへの字に曲げていた。邪魔しないように黙っていたカームだったが、思わず「どうですか?」と声をかけた。するとベリルは背を伸ばして大きな息を吐いた。
「なにこれ?」深呼吸しながら。「何にも分からない」
 カームとミランダは同時にえっと声を上げた。
「文字が見えるんだけど、読めないわ」
「読めないって?」とカーム。
「私の知らない言語みたい。これ、あなたたちの世界の言葉?」
 嫌な予感を同時に抱いた二人は、再び顔を見合わせる。
 カームは思い切って水晶を掴んだ。引き寄せ、ベリルと同じように椅子に腰かけて水晶に手をかざす。この後の反応も、ベリルと同じだった。
「本当だ……よ、読めません」
 今度はミランダとベリルがえっと声を上げた。
 顔面蒼白したカームは震える手で頭を抱える。確かに一度は、役に立てるならとジギルにここに残ると言ってしまった。だが自分で選んでここに残るのと、帰れずに残るのでは心情が違う。実際に扉が閉ざされたとなると、想像していなかった絶望に全身が覆われ、涙がこみ上げてきた。
 ベリルはカームが気の毒で何も言えなくなっていた。ミランダもカームと同じ気持ちだったが、彼の隣の椅子に座ってそっと水晶を引き寄せる。やはりレオンの魔法だ。自分たちのような並みの魔法使いには扱えないのか――。
 そう思いながら水晶を見つめていたミランダは、次第に目を見開いていった。
「……読めるわ」
 ミランダの呟きに、カームとベリルが同時に顔を上げた。
「これは、ランドールの言葉よ」
 レオンの魔法なのだから当然のことだった。そして、ランドール人の秘術をアンミール人であるカームとベリルが理解できないもの当然だった。
「ミランダさん、分かるんですか?」
「ええ。私が使うのはランドールの魔法だもの……所々知らない言葉が混ざってるけど、この術式を組み立てることはできそう」
「本当ですか?」
 カームは大きな声を上げて立ち上がった。ミランダは水晶を見つめたまま頷く。しかしその顔色はよくなかった。
「……でも、問題があるみたい」
「問題?」
「術式は、時間がかかりそうだけど、何とかなるとして……この魔法、ちょっと、高度過ぎて……」
「ど、どういうことでしょうか」
「そのままよ……あなたも見たでしょう? 大天使は、星を動かしていた……私に、それができると思う?」
 結局、ミランダの顔も蒼白していった。
 室内が重い空気に包まれる中、ベリルだけはいつもの笑顔だった。
「ミランダはこれが読めるの? すごいじゃない」
「……すごくなんかないわ。聞いていたでしょう? とても、私が扱えるレベルの魔法じゃないの」
「とりあえずできることをやってみればいいじゃない。それで何が足りないのか考えてみて、一つ一つ解決方法を探るの。見ただけで諦めてたら何もできないわよ」
 ベリルの言うことは正しい。だが、正しいだけで、なんの解決にもならない。まるで、無責任な大人の心無い「頑張れ」だ。
「……そういうの、やめて」ミランダはどうしても我慢ができなかった。「そんなこと言われたら、自分が惨めになるだけじゃない。できないと諦めたら、私は責められるの? 努力もしない無能だって、蔑まれるの?」
「ミ、ミランダさん」カームは狼狽えて。「何を言っているんですか。そんなに卑屈にならなくても……」
 当のベリルは、慌てることもムッとする様子もなく、にこりと目を細めた。
「あなたたちは帰ったほうがいいと思うの」
「え……」
「私はずっとそう思ってた。ま、あなたたちのことは好きだし、いてくれたほうが楽しいけど、今のこの時間は永遠じゃないのよね」
 ベリルは一度目線を上げて語り出した。
「私たちがここに集まって楽しい時間を共有できているのは、この世界に革命を起こすというエミーの大儀のおかげ。その革命が起きたとき、この時間もまとめて、すべて破壊されるのよ」
 ベリルの声も口調も優しかったが、真剣な思いが込められていた。
「人間同士で話し合って殴り合って、分かり合おうなんて生易しいものじゃない。この世界のルールを、つまり、生態系を壊して、人間の主張する権利をはく奪するのがエミーの理想……」ベリルはふふっと笑い。「って、私も最近聞いたんだけどね」
「……聞いたって、誰に?」
「ジギルよ。エミーはもうこの城にはいないわ。彼女は印を残していると言って去っていった。ジギルに伝えたら、彼は印のことは知らないと言ったわ。探してみたけどそれらしいものも、心当たりも何も見つからなかった。ということは、その印が何等かの形になったとき、ジギルがどこで何をしていても一目瞭然だって意味なんだと思う。きっとそれは、革命の始まりの合図ね。それを理解したジギルは、私とハーキマーとメノウに知っていることを教えてくれたの」
「え? ちょっと待ってください」カームは真っ青な顔のまま。「じゃあ、そういうの、何も知らないまま、今まで革命軍の一員として働いていたんですか?」
「そうよ」
「それを聞いても、革命に反対しないんですか?」
「しないわよ。反対してどうするの。私たち三人の役目は最初から決まっていて、これからも変わらない」
「役目、って……」
「この城を守ることよ。私たちにはそのための魔法が授けられているの。それと引き換えに私たちは自由を手に入れた。エミーには感謝していて、与えられた役目を果たすことで彼女に恩返しができると信じてる」
「でも、でも……世界がそんなことになったら、あなたたちも、死んでしまうんじゃないですか?」
「そのつもりよ。そりゃあ、できることならこのまま楽しく生きていたいわ。でも人間はいつか死ぬ。それまでの時間をどう使うかを、私たちは選ぶことができる。私たちにとってそれは奇跡なの」
「でも……」
「でも、あなたたちは違う。そうでしょう?」ベリルはカーム言葉を遮り。「あなたたちは元々自由で、平和を愛し、夢も希望もある。この世界でそれを守ることはできない。ここに残っても、いずれあらゆる理不尽に苛まれて恨みに囚われると思う。だから帰ったほうがいいと言ってるの」
 カームはどうしても納得がいなかった。だけど彼女の穏やかな表情の裏にある一本筋の通った強さに圧倒されていた。
「……ジギルも、そう思ってるんでしょうか」
「さあ。このことはあんまり考えてないんじゃないかしら。あなたたちから相談すれば、考えると思うけど」
「そうですか……」
 カームは苦笑いを浮かべて言葉を失った。その隣で、ミランダが口を開く。
「ねえ、努力したとして……やっぱりダメだったら、私たちはここに居ていいの?」
「それはもちろん、歓迎するわ。私たちと同じ、居場所のない人なんだもの」
 ベリルは嘘偽りのない笑顔を見せた。
 本音ではカームとミランダに残ってほしいのかもしれない。だとしたら、帰ったほうがいいという話は心から二人のことを思っての発言だ。
 ミランダもベリルと友達になりたいと思った。いっそ、魔法に失敗してしまえば心置きなくこの世界に残れる。後悔することになっても。
 だからこそ、ミランダは魔法に挑戦してみようという気になった。できることをやってみて、ダメでも居場所はある。カームもいる。ベリルが待っていてくれる。この世界にも希望はある。そう思った。





   

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