SeparateMoon
19
大して掃除は進まず、結局行き詰ったジギルは部屋を出ることにした。
先ほどの混乱は収まっており、人の姿は疎らだった。森の中から響くカンカンと叩く音を辿ってみると、数人の村人が巻き割りをしていた。子供も枝を拾ったりして手伝っている。
ジギルが木の陰から覗いていると、一人の男性が気付いて駆け寄ってきた。
「おい、お前、最近来たんだろう。元気なら手伝ってくれ」
そう言われ、ジギルは返事もせずに男の後を着いていく。
「さっき、ユリナたちと話してなかったか?」
ギクリと、ジギルは体を揺らした。
「……別に」
呟く彼の声が小さすぎて「え?」と聞き返されてしまう。
「……怪我はないか、って、聞かれただけだ」
「そうか。お前、逃げもせずに突っ立ってたもんな」男は笑い。「あんなデカい化け物は初めて見たのか?」
そんなことを聞いて何になるんだとジギルは思うが、これが普通の会話なんだろうと考えを改める。
「まあな」
「そりゃあ怖くてビビるよな。で、お前、名前は?」
「……ボロ」
「ボロ? 酷い名前だな。俺はアンク」
つまらない話、だが、あの陰気な部屋にいた男たちよりは接しやすい。
「俺の妻もここにいるんだ。今は別行動してるけどな。あとで紹介するよ」
なるほど、とジギルは思う。夫婦で生き残り、一緒にやり直せるというのは心強さがあるのだろう。
(あの陰気な男どもも、ユリナに集る気持ち悪い奴らも……まあ、それなりに不幸を背負っているんだろうな)
だからといって同情はできないし、今のジギルにはそんな余裕はなかった。
ジギルが斧を手渡され戸惑っていると、アンクが呆れた声を上げた。
「ボロ、まさか巻き割りやったことないのか?」
「……あるわけないだろ」
アンクはため息を付きながら手取り足取り教えてみるが、ジギルは手にマメを作るだけで息切れを起こした。
「もういい。休んでろ」
アンクに言われてジギルは森の木の根本に寄りかかり腰を下ろした。マメが潰れた情けない手の平を見つめ、項垂れる。
思っていた以上に弱々しいジギルを気にかけ、アンクは彼に水を差し出しながら隣に座ってきた。
「まだどこか悪いなら無理しなくていい」
ジギルは水を受け取り、ため息を漏らす。
「そういうわけじゃない」
「そうか? 元気がないように見えるが」
「元気だったときなんかないからな」
ジギルが言い捨てると、アンクは笑っていた。
「捻くれてるなあ。まあ世界がこんなになったんだ。いいことも悪いことも全部なくなった。色々諦めて、開き直ったほうがいい」
「諦める……?」
「今まで元気がなかったなら、これからはその逆になってみるとかさ」
「…………」
「どうした? 何か気に障ったなら謝るよ」
ジギルはアンクの気遣いに体の力が抜けていくのを感じていた。
これが普通の人間との、普通の会話だ。こういうのに慣れていかなくていはいけない。
「いや……謝ることなんかない」
「そうか、ならよかった」
「力仕事なんかしてこなかったから、体力がないだけだ」
「じゃあこれから力をつけていかないとな」
「そうだな」
「でも何か手伝わないとなんて考えなくていいからな。お前が連れてこられたときはちょっとした騒ぎになったんだ。数日前まで死にかけてたんだからな」
「騒ぎ?」
「あれだけの重傷者は久しぶりだった。しかも森の深いところにいたらしいな。ユリナがいなかったら誰にも知られることなく死んでたんだ。せっかく生き残ったのに、そんな寂しい死に方しなくてよかったよ」
「……死んだら寂しいも何もないだろ」
励ましているつもりだったが、ジギルには響かない。アンクはこの擦れた少年の扱いに困る。
妙な空気に気づいたジギルは我に返り、思ってもいないことを無理に口に出した。
「ああ、いや、そうだな。寂しいな。ほんと、よかった……」
明らかな共感力の欠如だ。レオンほどではないが、人のことは言えないとジギルは反省する。
アンクは彼の不自然な言動の意味は理解できないが、大人の包容力で受け入れた。
「亡くなった人の分まで幸せに、なんて綺麗事を言うつもりはないが、一度終わった世界の未来を見てみたいと思わないか? 平和に生きていたらこんな機会はないんだ。時間はかかるだろうけど、よくても悪くても、自分たちの手で拓いた未来なら受け入れられる気がするんだよ」
あまりに前向きな意見にジギルは言葉を失った。まるで眠くて仕方ない動物に、無理やり清々しい朝日を浴びせる虐待が行われたような気分になる。
(世の中にはいろんな人間がいるんだな)
今まで自分がどれだけ狭い世界に閉じこもっていたかを思い知るジギルは、素直に感心していた。
「そう思えるようになったのは、ユリナとカロンに出会ったからなんだ」アンクは爽やかな表情で空を見上げる。「何も持たない俺たちだけじゃ絶望したままだった」
魔薬の根の届かない森の奥に逃げ込み、迷い、水も食べるものもない。傷の手当てもできず化膿し、虫が集る。時間が経つほどもう人間として生きていくことはできないのだろうかと、心まで蝕まれ始めた頃、治癒の魔法使いに助けられた。
「確かに、魔法使いは俺たちを虐げる敵だったかもしれない。だけど彼女たちは俺たちを人間として扱ってくれたんだ。俺たちは最初から革命も、魔法戦争さえもしたいなんて思っていなかった。ユリナもカロンもそれを分かっていて、怖がる俺たちに災害に遭っただけだと諭してくれた。魔法使いは俺たちを見下していたかもしれない。でも、これからは違う。変わっていく。信じて、今はよかったと思ってる」
そう言うアンクは複雑な表情を浮かべていた。割り切れない部分もある。しかしそれを飲み込み、人間として生きていく道を選んだ。
(……あの二人は、ランドールの魔法使いじゃないからな。恨むのは筋違いだ。こいつは、半分くらいは正しい)
ジギルも同じような気持ちで、一度はレオンと同じ方向を向いたはずだった。だがレオンの背負うものがあまりに大きく、一緒に支える力はなかった。改めて、自分は弱いのだと思い知るしかなかった。
アンクはつい感傷的になってしまった自分を省みて気を取り直し、弱っている少年に話し続けた。
「それにさ、ユリナが治癒の魔法使いだってのも勇気づけられたものだよ」
(あいつ、みんなには治癒だって言ってるんだな。まあ説明するのも面倒だしな)
「兄貴のほうは水の魔法使いだしさ。水って命の源だもんな。ほんとに助けられてるよ」
カロンの魔法が水の属性なのは初耳だった。そういえば、蛇の化け物が出たときに巨大な水球の檻が現れた。あれはカロンの魔法だ。飲み干したはずのコップに水が入っていたのも、彼の仕業だったのか――と納得する間もなく、ジギルはアンクの言葉の中にあった大きな違和感に意識を引っ張られた。
「……兄貴?」
やっと顔を上げて目を見てくるジギルに、アンクは優しく微笑んだ。
「そうだ。カロンのことだよ」
「兄貴って……あいつら兄妹なのか?」
「そうだよ。一見恋人に見えるけど、俺は話してて分かった。うまく言えないけど、お互いを知り尽くしていて、すごく連携が取れてる。あれは生まれたときから一緒にいる家族だよ」
「ほ、本人に聞いたのか?」
「ああ。他の人もみんな知ってる。とくに男どもは真っ先に二人の関係を探ってて滑稽なものだったよ。あ、もちろん俺は違うけどな。愛する妻がいるからな」
「……だったら、カロンのあの態度は何なんだ」
「カロンはユリナがよほど大事なんだな。過剰に見えるくらいユリナを守ろうとしてる。あんな可愛い妹、心配になるのは当然だけどな」
「俺の女とか言ってたぞ」
アンクは慣れているかのように笑った。
「からかわれたんだな。カロンって怖いだろ? あの顔ですぐデタラメを言う変な奴なんだよ」
ユリナもいい加減なことばかり言うと言っていた。そういう癖なのかもしれないが、性質が悪い。
「でも、今まで冷ややかだったお前がまさかこの話に反応するなんてな」
アンクに言われ、ジギルは息を飲んだ。
「もしかしてユリナのこと……」
少し声を落とし探るような目を向けるアンクに、ジギルは警戒する。
「なんて」すぐに明るい笑顔に戻り。「野暮なことは言わないよ。怪我や病気だと心も弱る。そこにあんな明るい美女が治療と看病してくれるんだ。女でも彼女に憧れるくらいだ。孤独な男が心奪われるのは仕方のないことだ」
「え? は? 俺は、そんな……」
「まあまあ」焦って口籠るジギルに、アンクは最後まで言わせず。「肝心なのは、そう思うはお前だけじゃないってこと。もしかしたらただの錯覚かもしれないから、よく考えて行動するんだな」
「よく……考えてって……」
「ユリナは強い。力だけじゃなく、心もだ。一切のブレがない。それに、あのおっかない兄貴もいるし。あの強さがどこから来ているのかは知らないが、俺は安心して見ていられる。でも独占したい野郎どもは一歩も出し抜けずに翻弄されて、悔しい思いをしてるみたいだけどな」
「だから、なんで俺に……」
「お前は弱ってるんだから、余計な揉め事に巻き込まれないように気をつけて欲しい。俺は心配してるんだよ」
ジギルは苦手な話題に焦りながらも、次第に冷静になってくる。
アンクの言うとおりだと思う。ユリナに集る男たちは彼女をただの女としてしか見ていない。ただ治療したいだけのユリナからしたら鬱陶しい羽虫に過ぎない。彼女には簡単に人を磨り潰せる力があることを知ってか知らずか、どちらにしても恩を仇で返すに等しい無礼な行為だと思う。
(やっぱり、あいつらと同じだとは思われたくねえな)
ジギルはため息をついて肩を落とした。
(俺は怪我も治ったし、もうさほど関わることはないだろう……また化け物が出たとしても、今の俺には、もう……)
また元気がなくなったジギルの気持ちを察し、アンクは軽く肩を叩いた。
「おいおい、俺は気をつけろって言っただけだぞ」
「もういいよ。その話は」
「よくない。落ち込ませるつもりはなかったんだ。恋をするのはいいことだ。些細なことで楽しくなれるし、自然に意識も高くなる。ユリナだって一人の人間なんだ。感謝の気持ちと誠意を持って接すれば、好かれて悪い気はしないはずだから」
「……もういいって言ってんだろうが」
ジギルはいい加減に、慣れない雑談に疲れを感じ始めていた。
彼の気も知らず、アンクは軽く肩を叩く。
「怒るなよ」
「怒ってねえよ」
「友達いないだろ? ああ、答えなくていい。まだ来たばかりだから当然だよな。こういうところでは親しい人がいたほうがいい。俺と友達になろう」
馴れ馴れしい、とジギルは思うが、アンクの言うことも理解できる。別に嫌いなわけでもないし、暴力的な奴に目を付けられるよりはずっといい。それに、これから「普通」を目指すつもりでいる。こういう普通の人と付き合っていかなければいけないのだ。素直に受け入れることにする。
「分かった」
目も合わせずに言うジギルだったが、アンクは楽しそうにまた肩を叩いた。
「困ったときはいつでも頼っていいからな。俺の妻、タニヤって言うんだ。彼女とも仲良くなれると思うから、仕事が終わったら俺たちの部屋に来いよ」
「……分かった」
ジギルは面倒臭いと思ったことのすべてをぐっと堪えて、陽が傾くまでアンクと行動を供にした。
そのまま夕食の時間になり、ジギルはアンクの生活する部屋に招待された。一人になりたい気持ちをぐっと堪え、彼に着いて行った。
配給制の食事を受け取り、集合住宅の一室に向かった。アンクは妻の分の食事も抱えている。当然のように二人分の食事をもらう彼に少々違和感を抱いたが、その理由はすぐに判明した。
アンクがドアをノックすると妻のタニヤが迎え入れた。
彼女の揺れる長いスカートの動きで右足の膝から下がないのが分かった。杖を突いて不器用に歩み寄ってくるタニヤは屈託のない笑顔を浮かべている。アンクがすぐに駆け寄って彼女を椅子に座らせた。
「ただいま、タニヤ。今日は友達を連れてきたよ」
アンクが背後で固まっているジギルを指さした。ジギルは小さく頭を下げた。
「新しい友達? 嬉しい。いらっしゃい。早く入って」
小さな部屋だが物は少なく片付いていた。所々に小さな飾りや花置いてある。彼女なりに部屋を明るく保とうと努めているのだろう。
ジギルはドアを閉めて部屋の中央にあるテーブルに近付いた。
「彼はボロ」アンクはタニヤの隣の椅子に腰を下ろし。「例の重傷者だよ。もうこんなに元気になったんだ」
ジギルはタニヤの向かいの椅子を勧められ、黙って腰掛けた。
「よかったわ。まああの二人ならきっと治してくれるとは思っていたけど」
「彼は君の好きな問題児だよ」
「そうなの?」とタニヤはジギルの顔を見つめた。「ああ確かに、そんな顔してるわ」
それはどう考えても悪口だろうと思うジギルは気を悪くした。
「ボロ、彼女は以前、子供を預かって世話をしていたんだ。タニヤはどんな子供も決して見捨てなかった。お前のことも大事にしてくれるから安心してくれ」
どう受け取っていいものかと困惑していると、アンクがまた肩を叩いてきた。
「どうした。ほら、挨拶くらいしたらどうだ」
「いいのよ。無理しないで。ここは落ち着いて、安らげる場所であって欲しいもの。まずは食事をいただきましょう」
「そうだな」アンクは体の力を抜いた。「でもボロは口数が少ないってわけじゃないからな。むしろ達者なほうだ。それにかなり生意気だから、そんなに気を使わなくてもいいぞ」
そう言ってタニヤと明るく笑い合った。
アンクが遠慮しないならと、ジギルは目を逸らし、小声で呟く。
「それ……」
聞き取れず、アンクが「え?」と聞き返すとジギルはまた呟いた。
「……足」
アンクとタニヤは笑うのをやめて顔を見合わせた。ジギルの言葉の意図を読み取り、タニヤは穏やかに話し出した。
「これ、気になる? まあ当然よね」タニヤは右足の太ももに片手を置き。「戦闘に巻き込まれて失くしたの。走れなくなった私をアンクは必死に抱えて逃げてくれた。戦場からは逃げられたけど、失血か感染症で死を待つだけだった。そこで出会ったのが、ユリナとカロンだったの。ユリナの治療とカロンの輸血の力で命を救われた。本当に、嬉しかった。またこうしてアンクと一緒に生きていける。それだけで、とても幸せなの」
ジギルは胸の奥がザラつくような感触を覚えた。吐き気がする。体内で蠢く虫のような異物を吐き出してしまいたいが、そうしたところでこの不快感は収まらないのだと思う。
深刻な表情を浮かべて沈黙するジギルに、アンクは首を傾げる。
「どうした? 聞いたのはお前だろ」
「そうよ。私は助かって感謝しているの。死にかけたからこそ、たくさんのことを有難く思えるんだから」
聞きたいことは他にもあったが、それは「ジギル」としてだった。「ボロ」は普通の人間で、体が欠損していたら何があったのだろうと思うのは普通のことだ。そう自分に言い聞かせ、体の中の「醜い虫」を覆い隠した。
「いや……気の毒に、と思って」
心にもない言葉を吐き出すと、また「虫」が腹の中に棘を刺す。痛みで目を揺らすが、錯覚だと強く思い込み気を取り直した。
食事をしながら他愛ない話をしたあと、ジギルはアンク宅を後にした。
途中まで送ると言って、アンクはジギルと夜道を歩いた。
「いつでも遊びに来てくれよ」
ジギルは用もないのに人に話しかける意味も方法も分からず、返事をしなかった。
「実はな」アンクは少し小声になり。「タニヤは、怪我をしたとき、妊娠していたんだ」
一瞬、ジギルの息が止まった。
「本人が死にかけたんだ。子供は助からなかったよ。タニヤは子供が好きだった。だからとても楽しみにしていたんだけどな……足もああなったから自由に出歩くこともできないし、彼女は話し相手が欲しいんだよ。他にも友達はいるけど、ボロにも仲良くしてほしい」
「……なんで俺なんだよ」
「お前は問題児だろ? 無愛想で生意気で危なっかしい感じ、タニヤはそういう奴と打ち解ける瞬間が好きなんだって。お人好しなんだ」
やはり悪口を言われてるような気がしてならないジギルだったが、この夫婦と親しくしていたほうが楽だとは思う。
「そうか。分かった」
素っ気ない返事をしてアンクと別れ、二人はそれぞれの寝床に戻った。
<< Back || TOP || Next >>
Copyright(c) RoicoeuR. All rights reserved.
|