03




 樹燐と同じ日に生まれた少年、才戯はその日も生傷を作って、自分より体の大きな少年たちに追いかけられていた。そのあとを、才戯の世話役である那智(なち)が涙目で追っていた。
「才戯様、謝ってください!」
 那智が息を切らせながら叫ぶが、才戯は振り返りもしなかった。
「は? バカか。なんで俺が謝らなきゃいけないんだよ」
 彼らを追ってくる少年たちの顔や手足には痛々しい火傷がある。才戯が隠し持っていた爆竹を投げつけられたに痕だったのだ。

 才戯の頭には、生まれたときに両親が想像したとおりの立派な二本の角が伸びている。それ以外は年相応の体系で健康に育っていたが、相当な問題児となっていた。
 ある日、才戯は木刀を持って、剣術の訓練場に向かった。まだ体作りさえできていない少年は、大人に相手にしてもらえない。それでも、才戯はいつも自分より強い相手にばかり戦いを挑んでいた。
 最初はその血筋と容姿、そして類稀な勇敢な心意気は将来有望だと見守られていた。だがその視線は、次第に冷たいものに変わっていった。
 勝てない勝負を挑む少年に、訓練の決まりに従う大人は彼の木刀を薙ぎ払って終わりにする。問題は、そこで才戯が負けを認めないところにあった。「勝負あり」という掛け声で剣を収めた相手に才戯は石を投げ、掴みかかり、武器を奪ってしつこく追い回してくるのだった。
 あるとき、騒ぎが大きくなり、乱闘が始まった。那智は殴り合いに巻き込まれながらも必死で才戯を探した。やっと見つけたとき、彼は袋叩きに合って気を失っていた。
 那智は大声で泣き出し、半狂乱で才戯を抱えてその場を逃げ去った。大事な夜叉族のご子息に、万が一のことがあったらあまりにも申し訳が立たない。何よりも、那智は才戯が赤子のときから成長を見守ってきた。この手の付けられない気性の荒さには参り果てていたものの、那智は彼へ本当の兄弟のような情を抱いていたのだった。自分の立場以上に、才戯の無事を祈らずにはいられなかった。
 その後、才戯は那智と家族の心配をよそに、すぐに回復した。少しは反省したかと思ったが、才戯はただ悔しそうにしているだけだった。
 那智は、お前がいながらどうしてこんなことになったのかと才戯の両親に責められた。言い訳もできない那智は平謝りするしかできなかった。
 才戯の母・永霞(えいか)は彼の何が問題なのかを那智に問うた。
「二度とこんなことを起こすわけにはいかぬ。才戯に何を教えるべきか、那智の考えを聞かせよ」
 那智には分かっていたが、うまく言葉が出てこなかった。
 簡単に言うと、才戯は「物覚えが悪かった」のだ。
 決して簡単には言っていけない。那智は遠回しに、侮辱することがないように両親に説明したが、結局は同じ意味にたどり着くしなかった。
「で、でも……」那智は落胆する永霞に続けた。「学習能力がないわけではありません。才戯様は頭ではなく、体で覚える才能がおありなのです。なので、武術や剣術の成長は誰よりもお早うございます。だから、今回の事故を受けて、もう同じことを繰り返されることはないと、私はそう考えます」
 才戯は那智の言うとおり、回復後はいくらか「引き際」を知るようになっていた。やはり大人しく負けを認めることはなかったが、散々暴れて気が済んだあとは逃亡することを覚えていた。

 それにしても、と那智は逃げながら、思う。
 このままではまた大きな事故を起こすことになりそうだ。どうしたら賢くなってもらえるのか――考えながら、また涙が出てきた。
 才戯は宮殿内に逃げ込み、静かで優雅な廊下を走り抜けた。
「ま、待ってください……!」
 疲労し、着いていけなくなった那智から、才戯の背が遠くなっていく。彼は廊下の先を曲がり、とうとう那智の視界から消えた。もう足を止めたかったが、背後からは火傷した少年たちがまだ追ってきている。
 才戯の駆ける廊下の先に、一人の男性が立っていた。体格や佇まいから武神の一人だと、才戯は分かった。だが、誰だか知らないし、互いに何の用もない。無視するつもりでそのまま走った。
「――おい」
 男は才戯の姿を見つけ、大きな声を出した。
「止まれ」
 才戯は自分に言われているのかどうかも分からなかったし、そうだとしても命令に従う理由はない。無視して走り去ろうと決める。
「おい」男は止まる様子のない才戯の進路に足を出した。「そこのガキ、お前だよ」
 どうやら自分のことだと、才戯は認識する。止まるにしても、もう間に合わない。
 那智がやっと角を曲がってきた。才戯を確認するとほとんど同時、彼の前に立つ大男に、那智は驚いて目を見開いた。
「……さ、才戯様!」途端に嫌な予感を抱き、叫ぶ。「止まってください!」
 しかし、間に合わなかった。
 男は上体を前に折って片足を大きく引く。才戯でさえ一瞬、怯んだ。それでももう止まることができなかった才戯の腹に、振り降ろされた男の足が叩きこまれた。
「…………!」
 才戯は意味も分からぬまま、後方に吹っ飛んで床に転がった。慌てふためいた那智が駆け寄りって抱き起す。才戯は腹を押さえて咳込んでいるが、無事のようだ。
 さらにその背後から追ってきていた少年たちも、すぐに廊下の先にいる男の姿を見て、言葉を失って逃げていった。
「……クソ、何なんだよ」
 才戯は吐き気を堪え、腹を抑えたまま立ち上がった。
 悪びれもせず笑顔で寄ってくる男に対し、才戯は闘争心むき出しで睨み付けた。那智が震えながら「いけません」と腕を引く意味が、さっぱり分からない。
「てめえ、いきなり何するんだよ!」
「才戯様!」
「那智、離せ!」
「いけません、お控えください……!」
 男は才戯の前に立ち止まり、彼をじっと見下ろす。
「ああ、その立派な角……お前が才戯だな」
「だったらなんだ!」
「お前に会いに来たんだよ」
「はあ?」才戯は眉を寄せ、力を抜く。「てめえ、誰だよ」
 那智は手を離し、今度は自分の頭を抱えてその場に伏せった。
「鎖真だよ」
 天上界でその名を知らない者はいない。才戯も当然、何度も教えられた、はずだった。
「……だから、誰なんだよ」
 那智は耳を疑った。青ざめた顔を上げ、ついつい大声を上げてしまう。
「教えたでしょう? 覚えてないんですか!」
「知らねえよ」
 那智は再び、その場に崩れ落ちた。
「も、申し訳ございません」那智は鎖真の顔を見ることができなかった。「才戯様は、まだ幼く、十分な教育がいき届いておりませんで……」
 那智は地面に額をこすり付けて鎖真に謝った。
「おい、那智。なんだよそれ。まるで俺が悪いみたいじゃねえか」
 そう言う才戯に「悪いんです」と、つい怒鳴りつけそうになったが、那智は冷静を保った。今才戯に状況を理解してもらう時間はない。なぜ鎖真がここにいて、才戯に絡んでくるのか分からないが、できれば関わりたくなかった。鎖真は天上界と地獄の仕組みや歴史を語るに外すことができないほどの権力者ではあるものの、個人的な付き合いはぜひ遠慮したい人物だったからだ。ただでさえ才戯の悪童っぷりには手が付けられないというのに、天上界一の乱暴者と言われる鎖真とつるまれては、付き人である那智ではとても太刀打ちできない。クビにされるどころか、むしろ自ら職務放棄したくなることは想像するに容易かった。
 そんな那智の苦労を知らず、鎖真は軽く笑い出した。
「まあ、気にしなくていい」腰を落とし、才戯を指さす。「お前の噂は聞いてる。そろそろ挨拶にでも来てくれるかと思ってたんだがその様子もないから、俺から会いに来たんだよ」
 才戯は何のことだか分からず、怪訝な顔で返事をしなかった。
「見せたいものがあるんだ。着いてこい」
 そう言って立ち上がる鎖真に、那智が慌てて顔を上げた。
「さ、鎖真様……あの……」
「なんだよ。暇だろ?」
「忙しくはありませんが……一体、どういったご用で……」
「心配すんな。あちこち連れ回したりしねえから」
「あの、できれば、才戯様のご両親に、許可を取らせてもらえれば……」
 那智の申し分は理解できる。鎖真のような名のある武神と会って話しただけでも報告が必要なうえ、どこかに連れていかれるとなると、問題がなかったとしても付き人では判断できる立場にない。
 那智と同じ役職を持つ者なら誰でも断固反対する。だが、相手はマメに規律を守るような男ではなかった。
「そんなに時間かかるわけでもないし、別にいいだろ」
「そ、そんな……」
「もし怒られたら、苦情は俺が聞くからさ。こいつの両親にはそう言えばいい」
「…………」
 那智の目にまた涙がこみ上げた。いいわけがない。怒られるのは自分に決まっているのだから。しかし彼には逆らえない。才戯の付き人となったそのときから、苦労を強いられることは運命だったのだと覚悟を決めた。



 表情が乏しいながらも興味を持っている様子の才戯と、諦めて暗い顔をしている那智を連れ、鎖真は宮殿の奥に進んでいった。
 廊下で人とすれ違うたびに皆姿勢をた正し、鎖真に頭を下げていた。才戯は辺りを見回しており、次第に彼が名も顔も知れた偉大な武神であることに気づき始めていた。
 建物を抜け、真っ赤な渡り廊下を過ぎると、途端に空気が重くなる。明かりも減り、人の気配もほとんどなくなり、那智はいつの間にか手足が震え出していた。鎖真の進む先に、心当たりがあったからだ。まさかあそこへ向かっているのではないかと考えるほど、冷や汗が噴き出す。行先を訪ねたかったが、怖くて、言い出せなかった。
 三人は宮殿の最果てである扉の前に着いた。木造だった壁は分厚く黒い鉄に変わっており、部屋の扉は特殊な呪文がなければ開かないほど厳重に封鎖されている空間だった。
 そこは、天の宝が保管されている宝庫だった。
 天の宝とはそれに問題が起きたとき、当の鎖真と、彼を従わせる依毘士が出動するほど重要な代物である。
 普段は、扉の左右にいる武装した武神が二人以外は誰も寄りつこうとしない。
 厳重な造りのこの部屋には少し前までは見張り役さえいなかった。簡単に侵入できるものではないうえ、中のものを汚そうものなら依毘士と鎖真に処刑されるのだ。誰もがあえて避けたい場所だった。
 しかしあるとき、一つの宝が持ち出され、紛失した。なのに依毘士も鎖真も、帝さえ、報告のみで問題視されなかった。その後、理由は説明されないまま、二名の番人が置かれることになった。後々、宝を盗んだのは鎖真だったのではという噂が流れた。根拠は「それ以外に考えられない」からだった。
 そういった経緯で置かれた番人の二人は、事前の知らせもなく現れた彼に頭を下げつつ、警戒した。
「鎖真様、何用でここへ?」
「少し中に入りたい。いいだろ」
 鎖真にはダメだと言ってもムダなのは有名なことだった。番人は顔を合わせた。
「見たいものがあるだけだ。何もしねえから」
「……はあ」
 門番は無抵抗で目を伏せた。しかし、彼と一緒に来た二人の子供はそうはいかない。門番に睨まれ、那智は体を縮めた。
「鎖真様……私は、ここで……」
「どうした、着いてこなくていいのか」
「そうしたいのですが、私では、きっと、中にあるものの重圧に耐えられそうにありませんので」
 恐れ多い、というのも本音だが、室内には何があるのか分からない。すべて管理されているとはいえ、天上人の叡智をもっても理解不能なものも多く、見えない力や念が空間を彷徨い、それに触れた者が発狂したという話もある。那智は、自分のような弱い体では何事もなく帰ってこられる自信がなかった。
「才戯様を、お願いします」
「ああ、分かった」
 あっさりと背を向ける鎖真に、那智は念を押さずにはいられなかった。
「や、約束ですよ……少しでも危険があったら、鎖真様が守ってくださいよ」
「分かってるって」
「それと、変なことは教えないでくださいね……!」
 縋るように続ける那智を、才戯が睨み付けた。
「うるさいぞ、那智」
「才戯様こそ黙っててください。あなたはことの重大さが分かっていらっしゃらないのだから」
 珍しくはっきりとものを言う那智に、才戯はふて腐れたように口を尖らせて黙った。
 そうしているうちに、扉に向かって何かを呟いていた鎖真から風が流れてきた。門番の二人は身を守るかのように後方に退がり、片膝をついて項垂れた。
 風は扉の中から漏れているものだった。少しずつ、開いている。耳をすますと、カチカチと歯車が噛みあうような音が聞こえる。呪文に呼応し、封印が解けているのだった。
 人が一人通れるくらいの隙間ができた。外から中は、靄がかっていて見えない。
 鎖真が肩越しに振り返り、未だ無表情の才戯に「来い」といざなった。那智はただ不安そうに、扉の中に消えていく二人を見守った。



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