04




 才戯と鎖真が室内に踏み入ると、扉は勝手に閉まった。才戯は耳の奥がつんと痛むような感覚を覚える。分厚い壁と扉で密閉された部屋に閉じ込められたのだ。あまりの静けさに、体の神経が追いつけずにいるのだった。
 目の前には無限かと思うほどの空間が広がっていた。足元は深い赤の絨毯が敷き詰められ、真ん中の通路を挟んで左右に硝子の箱が並んでいる。その中には様々な大きさのものが収められていた。
 鎖真がちらりと才戯の様子を伺う。才戯は室内を見回しているだけで、怖がりも、不調を来している様子もなかった。とくに意外には思わず鎖真が歩き出すと、才戯もあとに着いてきた。
 硝子の中には剣や鏡、何かの剥製などがあった。ときには宝には見えない針金の塊や、ゴミ同然の紙切れのようなものもあった。何かしら曰くがあるのだろう。
 才戯はすぐに飽きた。改めて、天井を仰ぐ。薄明りの中、天井も壁も遠く、目が慣れないと果てまで見えない。その距離は並んだ硝子の箱の背丈の何倍も遠くまであった。
 空洞という言葉が頭を過る。重要な宝を保管するためとはいえ、これほどの広さが必要なのかどうか、誰にも分からない。

「――これだ」
 鎖真は足を止め、通路の右側にあった硝子の箱を指さした。その中には、派手な柄の布と紐で包まれた長物があった。これ用に作られた台座の上に、細い下弦の月のように乗せられ、飾られている。
「なんだこれ」
 才戯は臆さず、硝子に駆け寄った。
「刀だ」
「刀? 中身が見えないじゃないか」
「誰にも触れないから封印が必要だったんだ」
 才戯はふうんと呟き、硝子の中をじっと見つめた。
「それで、これが何なんだよ」
「たぶん、お前のだ」
「…………」
「前世の、だけどな」
「前世?」
「ああ」鎖真は硝子に手を付ける。「触ってみるか?」
 才戯が黙って頷くと、鎖真はまた目を閉じて呪文を唱え出した。
 それほど時間はかからず、硝子が水のように溶け始めた。細かく分散していき、台座を残して空中に消えてく。
 鎖真は刀に、触れない程度に手のひらをかざしたあと、紐を引き、それらを解いていく。幾重にも重ねられた布を開いていくと、大きく古い刀が出てきた。
 才戯は子供ながらに「禍々しい」と感じた。
「どう思う?」
 真剣なまなざしで刀を見つめている才戯に、鎖真は尋ねた。だが、才戯は彼の期待どおりには答えなかった。
「……何も」
「それは牙落刀って言うんだ」
「ふうん……で、俺はどうすればいいんだよ」
 鎖真はため息を漏らし、気を取り直す。
「この刀は、誰が何のために作ったのか、何も分かってないんだ。昔、鬼神の血を引く男が愛用してたんだが、たぶん本人もよく分かってなかったと思う」
「なんでここにあるんだよ。その男はどこに行ったんだ」
「もう死んでる。男の死後、行方不明になっていたこの刀は、なぜか天上界の森の奥の枯れ井戸の中で見つかった」
 放っとくわけにもいかず、牙落刀は複数の術師によって封印され、ここに保管された。
「もしお前が何か分かるなら教えてもらいたい。分からなくても、欲しいなら持っていってもいいぜ……まあ、大人になってからだけどな」
 才戯は何やら考えているらしく、刀と鎖真を交互に見つめた。そのうち面倒になったかのように目線を上げて息を吐き、再度刀を見つめ、手を伸ばした。
「うわっ!」
 しかし、指が触れようとした直前に、才戯は短い声を上げて手を引っ込めた。
 鎖真も驚いて腰を曲げ、才戯の顔を覗き込む。
「弾かれた」才戯の指先がわずかに震えていた。「なんていうか、手を叩かれたような、引っかかれたような……」
「触れないのか?」鎖真は眉間に皺を寄せて少し考えたあと。「おい、もう一回やってみろ」
 そう言いながら、鎖真は才戯の頭に大きな手を乗せた。
「ええ? また?」
「早くやれ」
 鎖真はもう片方の手で才戯の腕を掴み、無理やり刀に近づけた。
「いってぇ!」
 才戯は再び手を弾き返され、悲鳴を上げた。鎖真の手を振り払い、睨み付ける。
「めちゃくちゃすんなよ。大体、何もしないんじゃなかったのか。開けるわ触らせるわ……」
 文句を言う才戯を無視し、鎖真は思案した。
「ああ、そうか」
 牙落刀には才戯の角を一本埋め込まれていた。角は鬼神にとって力の源でもある。その半分を与えたことで、才戯は刀を半身のように扱っていたことを思い出す。
「力が強すぎるんだな」
 独り言を呟く鎖真に、才戯は苛立ちを募らせる。また怒鳴ろうとしたとき、鎖真は彼に向き直った。
「お前の角、一つ切り落とせ」
「はあ?」
「そうしたら、これが言うことをきくかもしれない」
 才戯は呆れたように目を丸くしていた。
「何言ってんだよ」自分の角を指さし。「角は鬼神の象徴であり、誇りだ。切り落とせ? 気が狂ってもそんなことするもんか」
 そう言い切る才戯を見て、今度は鎖真が目を丸くした。そして、そうだった、と肩を落とした。
 これが「普通」だ。昔の才戯は狂っていたのだ。天上人の感覚を基準にすれば、だが。
 才戯は生まれ変わった。人間界で主を失った牙落刀がなぜ、彼を追うようにして天上界に現れたのか。狂った鬼神はもうこの世にはいないのに、牙落刀がなぜ消えずに存在しているのか。謎が解かれるのは、少なくとも今ではないと、鎖真ははっきりと理解した。
 鎖真は考えなしに才戯を侮辱してしまっていたことに気付き、反省する。
「悪かったな」
 気を悪くしている才戯に、素直に謝った。
「もう俺からこの話はしない。だが、もしいつか興味が沸くことがあれば言ってくれ。いつでもここに連れてきてやるから」
 鎖真は「じゃあ、帰るか」と言いながら立ち上がり、刀の前で呪文を唱えた。すると空間から光る粉が降り注ぎ、固まり、刀を囲む硝子となった。
 よし、と踵を返す鎖真の背後で、才戯が困惑していた。
「おい。あのままでいいのか? 紐は?」
 鎖真がいい加減なのは今に始まったことではないが、これに関しては気にしていなかった。そもそも牙落刀を封印したのはここに運ぶためであり、中に保管してしまえば箱に近づくどころか扉を開けることも容易ではない。そのうえ、才戯でさえ触れない牙落刀なら、なおさら余計な小細工は不要である。
 あとで見張りの者に怒られるのは想像できるが、それ以上に元に戻すほうが面倒だった鎖真は笑って誤魔化した。

「――そういえば」
 大人しく扉へ引き返していた鎖真は、思い出したように才戯に声をかける。
「樹燐には会ったのか?」
「?」
 唐突な問いに、才戯は返事すらしなかった。
「知らねえの? お前と同じ日に生まれた赤子がいたんだが」
「知らない」
 那智とのやり取りをみるに、覚えていない可能性もあると鎖真は思う。
「ああ、でも……隠してるらしいからな。本当に教えられてないのかもな」
「隠してる? 何を?」
「その女児をだよ」
「女児? 女? 俺と同じ日に生まれたっていうそれのことか?」
「そう」
「なんで隠すんだよ」
 思っていた以上に興味を示す才戯に、鎖真は少々戸惑った。これはもしかして、那智の言っていた「変なこと」を教えてしまっているのではという不安を素早く感じていた。
「おい。途中でやめるな。話せ」
 同じ日に生まれた羅刹の子として一度くらい顔合わせしたかと思っていたが、どうやら才戯は存在さえ知らなかったようだ。
 このまま歩を進めて扉を出れば那智がいて、そこで話は終わる。そうしようかと悩んだ結果、鎖真は足を止めた。
 才戯は隠すから気になっているのだ。意地になっていらぬことをしでかしてしまわないように、いっそ自分の知ることを教えてしまおうと考えた。
「その女児は鬼子母神の血族で、樹燐っていうんだ。釈迦と同じ日に生まれたそいつは特別な赤子と信じられていて、将来、鬼子母神の座を継承させるために、大事に育てられているんだよ」
「……だから、なんで隠してるんだよ」
「うーん、そいつの母親がいいと思ってやってることだからなあ。とにかく娘に穢れを近づけさせたくないってことなんだろうな」
「そいつは一生隠されたままなのか?」
 妙に食いついてくる才戯の顔を、鎖真はじっと見つめ返した。彼が何を知りたいのか、探る。才戯は目つきが悪く、表情も乏しいため読みにくかったが、生意気な顔をしていても子供だ。単純に、閉じ込められている幼子を気の毒に思っているようだった。
 鎖真は軽い笑い声を上げ、その場を和ませた。
「心配すんな。ずっとじゃねえよ。そのうち出てきて他と変わらなくなるさ」
 その場に屈みこみ、才戯と同じ目線に下りる。
「そいつの親が悪いわけでもない。お前みたいに他のガキとケンカでもして怪我させたくないだけだ」
 才戯の表情が僅かに変化する。心配は薄らいだように見えた。
「間違っても会いに行こうなんて考えるなよ」鎖真は人差し指で才戯の胸を小付いた。「羅刹の女は怖いからな。お前なんかあっという間に地獄に落とされる」
「怖い? 女だろ? 俺だって羅刹だ。夜叉族の鬼神だ。俺のほうが強い」
「そういうことじゃない。お前はまだガキだから分かんねえだろうけど、気安く灯華仙に踏み込もうものなら一生立ち直れない目に合うぞ」
 才戯は納得できないとでも言うように、眉をしかめている。
「樹燐の母親はとくにおっかねえからな。灯華仙の香を調合したのもあの女だ。今は忘れろ。蒼雫が本気で育てた娘がどうなるか、いろんな意味で楽しみにしてる奴は多い。お前もそれまで待っていればいいんだ」
 才戯は鎖真の手を払い、強がるように胸を張る。
「なんだお前、女にビビってんのか。俺は女なんか怖くねえよ」
「バーカ」鎖真は呆れて才戯の胸を軽く殴る。「女に誘惑されて丸腰にされたところで金玉握られてみろ。どうやって抵抗するんだよ」
「え……」
 才戯は想像し、途端に勢いを失った。
「灯華仙の香は毒だ。奴らがその気になれば簡単に理性を奪われる。羅刹の女に恨まれ、摩羅を食いちぎられた奴だっているんだぜ。お前みたいな考えなしなんか瞬殺ものだ」
「…………」
 やっと黙った才戯を可笑しく思いつつ、鎖真は彼を安心させるように頭を乱暴に撫でた。
「俺だって用でもなきゃ灯華仙には近づかない。樹燐とはそのうち会うだろうから、お前はお前で適当にやってればいい」
「……つまり」才戯は珍しく、青ざめていた。「その灯華仙ってのは、鬼ババアの巣窟、ってことだな」
 今度は鎖真が青ざめる。
「バカ。その言葉は二度と口にするな」自分たち以外誰もいないのに、小声になり。「いいか。何があっても『鬼ババア』だけは口走るなよ。それだけでお前の敗北は約束されたようなものだからな」
 才戯はすぐに頷いた。こんな姿、那智も見たことがないほど素直だった。
 とりあえず話は終わったものの、どう考えても「変なこと」を教えてしまっていた。鎖真は最後に念押しをする。
「この話は誰にも言うなよ。お前が危いことをしないために教えてやったんだからな」
「……分かった」
 才戯自身も勉強になったことを体で感じていた。
 周りは自分が子供だからとまともに相手にしてくれなかったし、才戯もそれを不満に思っていた。難しいことには興味ない。こんなに面白い話がこの世にはたくさんあるのに、制限される理由が分からなかった。
 才戯は有意義な時間を過ごせたことに満足していた。扉の前で心配して出迎えてくれた那智には「珍しい宝を見ただけ」と伝え、二人はその場で鎖真と別れた。



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