SHANTiROSE

HOLY MAZE-28






 ラストルは丁寧に運ばれてきたお茶を味わい、一息ついていた。
 部屋もお茶も、従者の対応もティオ・メイにあるものに劣ることはないほど上質だった。心のどこかで見下していたラストルだったが、さすがに感心せざるをえなかった。
 だが、大きな窓の外に広がる風景だけは、彼の目を満足させなかった。
「空の暗さ、建造物の低さ……この醜さが、シールの足を引っ張る枷か」
 お茶の上品な味と香りが滑稽にさえ思う。
「どれだけ必死にメイを後追いしても、追いつくことはないまま、ここは永遠に二流国として常に上を見上げる存在なのだな」
 傍にドゥーリオがいるからこその呟きである。ドゥーリオは無視することができず、頭を痛めた。
「ラストル様……そういったことは、あまり……」
「一人の人間の独り言ではないか。そんなもので揺れるほどこの国は脆くないだろう」
 そういうことではなく、気持ちの問題なのだ。そうドゥーリオは教えたいが、言えばヘソを曲げられて面倒が増えるだけである。ラストルが人前で失言をしないことだけを願う。
 自分がいなければ独り言も出ないだろうと、ドゥーリオはそそくさと彼から離れ、片付けを続けた。


 ラストルが従者の用意した服に着替え、髪を整えたところでドアがノックされた。夕食の用意ができたと、シールの従者が呼びに来たのだった。ラストルはドゥーリオと共に、城の中央にある大きな部屋へ従者に案内された。
 今度は大袈裟な出迎えとは違い、落ち着いた雰囲気の空間だった。先に席に着いていたカーグが微笑んで立ち上がり、ラストルを自分の向かいの席へ誘導する。ラストルは「失礼します」と、いつもの無愛想な表情で席に着いた。
 集まっていた人数も限られており、カーグと女王、側近の十数名だけで、扉に立つ警備兵も最小限のものだった。
 長いテーブルの上には前菜とワイングラス。ラストルとドゥーリオが座ると、若い女性がワインボトルを持ってワインを注いでいった。
 カーグがグラスを手にし、低く掲げる。
「ラストル様、わが国へご足労いただき、誠に感謝しております」
 来いと言ったのはそっちだろうと思いながら、ラストルもグラスを手に取る。
「今日はお疲れでしょうから、体に優しい夕食を用意しております。難しいお話は、明日にして……今日はゆっくりとお休みください」
「陛下のお心遣いには大変感謝しております。お言葉に甘え、今宵は一時の安息をいただきたく存じます。そして夜が明けたとき、メイの王子として強く美しき国、シールの未来と繁栄のため、若輩ながら尽力させていただきます」
 ラストルの心無い言葉に、緩やかな拍手が起こった。すべてが建前である。分かっていながら、互いに称えあう時間が始まった。
 すべてのグラスにワインが注がれると、皆がそれを手に取り、カーグの「乾杯を」という言葉に続き、グラスを顔の前に上げる。
 ワインを嗜みながら、女王や側近たちがラストルに自己紹介を始めていた。ラストルは笑顔も浮かべず、一人ひとりに一礼していく。そのうちに、上品な食事が運ばれてきた。
 食事会はそうして、恙なく進んだ。


 どうかラストルが失礼なことを口にしませんようにと見守っていたドゥーリオだったが、ラストルも自分の立場くらいは分かっている。愛想はよくないとはいえ、それはいつものラストルでしかない。
 おそらく別のところで陰口を叩かれるだろうが、それが「普通」であると、そのうち分かってくれるはず。そう思ってドゥーリオは余計な口添えは控えることにした。
 当たり障りのない会話が長引くことはなく、一通り食事が済んだところでラストルは解放された。


 入浴は部屋にあるバスルームを借りて済ませ、ラストルは新しい匂いのするローブで身を包んだ。
 疲れているのは事実である。今日の仕事は終わったと、一人、部屋のソファに体を倒して深い息を吐いていた。
(……いや、まだ終わってないな)
 ラストルは落ちかけた瞼を揺らした。彼も自覚している。自分が男であることを。
 いつも付き纏ういやな仕事が待っている。娼婦だ。頼みもしないのに押しかけてくるそれらを追い払わなければいけない。メイではだいぶ理解されたようでその回数も減っていたが、ここではそうはいかない。あれだけの豪華なもてなしで出迎えられたのだ。来ないわけがなかった。
 誰もが自分を他と同じだと思って扱うことも気に入らなかった。いらぬと言えば黙って引っ込めればいいものを、どこか具合が悪いのか、女以外のものが欲しいのかなどと、しつこく聞いてくる。
 生涯、愛する者ただ一人――なぜこの誓いを信じようとないのだろう。
 きっと自分以外の人間は理性の弱い者ばかりなのだと思う。それは勝手だが、自分がそうだから人も同じだと決め付けないで欲しい。
 ラストルは疲れを忘れるほど苛立ちを募らせた。ドアの前にいるであろう従者に声をかけ、ドゥーリオを呼びつけた。
 すぐにやってきたドゥーリオに、ラストルは釘を刺す。
「私はもう就寝する。朝までこの部屋には誰も入れるな。命令だ。いいな」
 ドゥーリオには彼が何を言っているのかがすぐに分かる。
「は、はい……」少し目線を下げ。「しかし、ここはシールです。形だけでも、お受けなされたほうが……」
 意外なことを言い出すドゥーリオに、ラストルは眉を寄せる。
「何を言っている」
「いえ、ラストル様のためでございます。メイでのように、女性を断固拒否なされたら、その、またおかしな噂が立つかもしれませんから」
「言わせておけばいい。どうせ下賎な輩の薄汚い妬みからくるものだ」
「ですが……」
 ドゥーリオが困っているうちに、ドアがノックされた。ラストルから怒鳴られる前にと、ドゥーリオは急いでドアに顔を寄せて「何か?」と返事をする。
「ラストル様は、もうお休みでしょうか」
 男性の声だった。ドゥーリオには分かった。予感していたもの、つまり、「専用」の女性をつ連れてきた者だと。
「は、はい……今日はお疲れですので、もう……」
「さようでございますか……そのお疲れを癒させていただきたいのですが、少しだけで構いませんので、お時間をいただけないでしょうか」
「いえ、結構です。また、お改め願います」
「そう仰らず……せめて、ドアを開けていただければ有難いのですが……」
 向こうも商売だ。しかも国賓へのもてなし。簡単には引かないだろう。ドゥーリオが救いを求めてラストルを振り返ると、彼は恐ろしい顔で睨み付けていた。
 仕方ない、と、ドゥーリオは素早く外に出てサッとドアを閉じた。
 そこには、タキシード姿の紳士と、俯き加減の女性が一人だけ、立っていた。一人とは珍しいと思いつつ、今日は帰ってもらうことだけを考える。
「ラストル様の従者の方でございますか?」
「は、はい。申し訳ありませんが、お引取り願います。せめて、また明日にしていただけませんでしょうか」
「ラストル様はもうお眠りでしょうか。そのお隣に小さな花を飾らせていただくだけでも構いません。どうか、ご許可をお願いいたします」
 ああ、しつこい。ドゥーリオは困り果てた。
 ラストルのことは知っているが、やはりここは自分の家ではないのだ。なんとか、少し顔を合わせるだけでも許してくれないだろうか……などと考えながら、静かに待つ女性に目を移した。
「――――?」
 ドゥーリオは、なぜか目を奪われた。美しいから、ではない。どこかで見たことがあるような気がしたからだった。
 少女は顎を引いたまま、ドゥーリオに翠の目を向ける。ドゥーリオは気のせいだと思い、話を戻そうとしたが、少女の不自然な瞬きに再度疑問を抱いた。
 少女はまるで何か言いたそうに、何回も瞬きをくり返している。ドゥーリオはなぜか、汗を流した。
 引き込まれるように見つめていると、少女の瞳が一瞬だけ、真紅に変化した。
 途端、ドゥーリオの頭の中に強い衝撃が走った。その深い光、印象的な色、確かに、見たことがある。
「……あ、あなたは」
 長い黒髪、白い肌、そして赤い瞳。そうだ、確か、トレシオール国王陛下の友人として城にいた、あの少女だ。
 彼女のことはよく知らないが、何度か見かけたことがあった。それに、あれだけ城で騒いでたのだ。興味はなくとも、いやでも記憶に残るものである。
 なぜここに、しかも変装して、娼婦のふりをして……戸惑うドゥーリオの様子に、タキシードの男性が首を傾げた。
「あの……」
 何か問題があるのかと尋ねる前に、少女、ティシラが高い声を上げた。
「ああ……もしかして、私のことを覚えていてくださったのでしょうか!」
 ドゥーリオと男が、同時に短い声を出した。
 ティシラはドゥーリオに駆け寄り、胸の前に手を組んで翠の瞳を潤ませた。
「私です、シェリアです。幼い頃、ラストル様とよくお話させていただいていたシェリアでございます!」
「え……え?」
「訳あって遠くへ離れてしまいましたが、ずっとラストル様への愛を忘れたことはありませんでした。どんな形でも、もう一度お会いしたくてやって参りました。面影だけでも覚えてくださっていたなんて、シェリアは大変感激しております!」
「あ、あの……何を……」
 訳が分からず困惑するドゥーリオの胸に、ティシラは縋り付いてきた。ドゥーリオはよろけ、ドアに背をつける。
「ラストル様は未だお独りでいらっしゃるそうですね。お噂を聞き、確信いたしました。ラストル様は私を待っていてくださったのだと。ずっと、私と同じお気持ちでいらっしゃったのだと!」
 ティシラは大袈裟な演技をしながら、どさくさにドゥーリオの腰辺りにあるドアノブに手をかける。
「この国にラストル様がいらっしゃると聞いて、運命を感じましたの。これは奇跡です。ああ、なんて素晴しい!」
 ガチャと音を立て、ドアが開いた。いや、ティシラが開けたのだった。
 ドアに押し付けられていたドゥーリオは体制を崩して背中を打つ。それに伸し掛かる状態で倒れたティシラは、すぐに体を起こして万面の笑みを浮かべた。
「ラストル様が私を部屋へ招きいれてくださいましたわ」
 ティシラが立ち上がると、何が起こったのかすぐには理解できないラストルが立ち尽くしていた。しかし、ティシラの顔を確認した途端、目を見開いて青ざめた。
「貴様は……っ!」
「シェリアです」すかさず、ティシラは演技を続ける。「お久しゅうございます、ラストル様!」
 ――まずい。ドゥーリオは腰をさすりながら慌てて開けっぱなしのドアに手をかけた。
 ティシラが何をしたいのか分からないが、確実に修羅場が始まる。そんな醜態を他人に見られるわけにはいかない。
「あ、あの、そういうわけでして……このお嬢様はお借りいたします。あ、ありがとうございました」
 少々意味不明な言葉を残し、ドゥーリオは急いでドアを閉じた。
 取り残された男は呆然としていたが、どんな状況であろうと「商品」を受け取ってもらえたと解釈するしかなかった。あとは「シェリア」の手管に任せるしかない、彼女を信じるしかないと、その場を立ち去って行った。


 ドゥーリオが汗を拭いながら二人に目を移すと、そこには既に厳しい空気が充満していた。
 怒りに満ちたラストルが常備していた剣を持ち出し、ティシラに向けていたのだ。
「ラ、ラストル様、いけません……!」
 相手が誰であろうと他国の城内で刃傷沙汰など、許されることではない。ドゥーリオが真っ青になりつつも踏み出せずにいると、剣の切っ先に怯え一つ見せないティシラが赤い瞳でラストルを睨み返した。
「落ち着いてよ。私は話しに来ただけよ」
「話だと……? 貴様と話すことなどない」
「私はあるの。まあ聞いて。取り引きしましょう」
「取り引き? 貴様は自分の立場が分かっているのか? 今ここで、私に殺されても当然のことをしているんだぞ」
「へえ」ティシラは腕を組んで皮肉に笑う。「シールからの献上物、高級娼婦を殺して一体どうなるのかしらね。少なくとも、今後のあんたには今以上の悪い噂が付き纏うだけよ。それでいいの?」
「何が高級娼婦だ……貴様はただの名もない小娘。父の友人だか何だか知らんが、こんなところにまで出しゃばるとは、一体何様のつもりなんだ」
 ティシラははあ、とため息を漏らす。
「いいから、私だって好きでこんなことしてるんじゃないの。用件くらい聞いてくれてもいいんじゃないの」
 ラストルは奥歯を噛み締め、探るような目つきでティシラを睨み続けていた。
「用でもなきゃ、こんな面倒なことしてまであんたみたいな根性曲がりのクソ野郎になんか近寄らないわよ」
「何だと……」
 ドゥーリオは手足が震えた。ただでさえ険悪だというのに、ラストルに対してこれほど無礼な言葉を吐く者など、今まで見たことがない。
 このままでは本当にティシラが斬られてしまうかもしれない。それだけは……場所も悪いが、何よりもティシラはトールの友人なのだ。彼女の言動が非常識なのは確かとはいえ、二人に何かあっては一大事である。
 しかしドゥーリオの心配を他所に、ラストルはすっと剣を下ろした。何を考えているのか、ラストルはしばらくティシラを見つめたままでおり、目線を外さずに言葉を発した。
「……ドゥーリオ。席を外せ」
「え……?」
「出ていけと言った。今日はもう休め」
「し、しかし……」
「殺しはしない。だが、私が指示するまでこの女のことは他言するな。いいな」
 ドゥーリオは不安で仕方がなかったが、ラストルの命令に逆らうことはできない。自分がここで出て行ったことで取り返しのつかないことにだけはなりませんようにと、強く強く祈りながら、頭を下げて退室していった。





   

Copyright RoicoeuR. All rights reserved.