SHANTiROSE

HOLY MAZE-46






 いつの間にか雲は流れ、曇る日の多いティオ・シールの空はその日の朝を爽やかに照らし出した。
 人々の眠りが浅い早朝、シールの城は騒然としていた。
 国賓である王子ラストルが、裏庭で死にかけていたのだ。発見した警備兵は腰を抜かすほど驚愕した。報せを受けたカーグとノイエも、血塗れの彼をその目で見るまで信じることができなかったほどの大事件である。
 カーグはできるだけ外部に情報が漏れないように周囲に指示し、急いでラストルを治療室に運んだ。助かったとしてもすぐに回復できる傷ではなく、隠し続けることはできないと思う。いずれにしてもトールにはすぐに報せなければいけない。この手順が遅れればシールの立場が危うくなる。


 カーグはノイエに原因を調べるように命令し、王室に向かった。
 普段ならまだ静かな廊下も兵や医者、魔法使いが慌ただしく行き来している。皆が蒼白し、不安な表情を浮かべている。カーグ自身、あまりに急な出来事で、これからどうなるのか、何も対策が思いつかない。
 一体誰が? 何のために?
 ラストルは若く、ただの客でしかなかった。立場上、重要人物ではあったが、今の彼を亡き者にして利を得る者など考えられない。
 問題は何よりも、なぜ今なのかということだった。ラストルに恨みがあるのなら、わざわざ注目されているこのときである必要がどこにある? 毒を盛るでもなく、密室で魔術をかけるでもなく、こんなにも堂々と……。
 考えても無駄だった。情報がなさすぎるし、あまりにも不可解。それに、カーグ自身も焦りや困惑で冷静になれないでいる。
 やるべきことをやって一つずつ事を進めていくしかない。万が一ラストルが命を落としたとしても、カーグが望んだことではない。計画は倒れたが、自分が不利になったわけではないのだ。気を取り直し、歩を進めた。
 廊下の先から、アジェルが取り乱してカーグに駆け寄ってきた。
「カーグ様! 一体、これはどういうことでしょうか」
 彼も真っ青な顔で両手を震わせていた。カーグは恐怖すら感じているような彼の哀れな姿を見て、逆に心が静まった。
「何者かに刺された痕がある。だが武器は見当たらないそうだ。原因は今調べている」
「そんな……」
 一瞬、カーグはアジェルを疑う。カーグはまだ彼を信用していたわけではなかった。本心はまだ他にもあるのではないかと、鋭い目線を突き付ける。
 それに気づいたアジェルは一歩退き、何度も首を横に振った。
「ま、まさか、私をお疑いで……」アジェルは人目も憚らず膝をつく。「とんでもないことです。信じてください。私は心から、ティオ・シールの繁栄を望んでおります」
 涙目になるアジェルは、許しを請う罪人によく似ていた。カーグは疑うのも時間の無駄と理解し、彼の横を素通りした。
「計画は中止だ。貴様は部屋で待機していろ」
 アジェルは現実を受け入れることができず、その場に座り込んだ。


 カーグが王室に向かうと、室内には既に数人の要人が集まっていた。カーグは彼らに労いの言葉もかけずに椅子に腰かける。
「すぐにティオ・メイのトレシオール国王に繋げ」
 そう命令するとマントを羽織った魔法使いが台座と水晶を彼の前に用意した。メイの王室に直通する特殊な呪文を唱える。緊急時しか使用しない魔法だった。


 ティオ・メイの王室に緊急の報せが入った。早朝だったのもあり、ディルマンが対応する。しかし相手がカーグ国王陛下直々だったため、急いでトールを起こし、ライザとサイネラも連れて王室に集まった。
「なんだって?」
 寝起きだからではない。夢でもない。
 トールは結論から伝えるカーグの言葉に耳を疑った。
 こんな時間に直接連絡してきて嘘を言うとも思えない。自分と同じ表情を浮かべているライザたちの顔を一通り見つめ、トールはもう一度聞き直す。
「ラストルがどうしたって?」
 カーグの口調は重かった。言い難いのは確かだが、遠回しに言っても仕方がない。このことに関してはやましいことのないカーグは本当のことを伝える。
『ラストル様が瀕死の状態にあります。早朝、裏庭で倒れているところを警備兵が発見し、緊急治療を行っています』
「……詳しく聞かせてもらえますか」
 カーグは淡々と、分かりやすく状況説明を続けた。
 原因は刃物に腹部を刺されたこと。大量の出血で命が危ないこと。刺されてそれほど時間は経ってないこと。周囲には誰もいなかったこと。場所が裏庭であり、部屋着で裸足、丸腰という無防備な姿だったこと。彼の部屋の前には見張りがおり、誰かが出入りした様子はなかったこと……。
 ライザが目眩を起こしふらつくと、ディルマンが慌てて傍に寄った。ライザはなんとか意識を保ち、恐ろしい事実に耳を傾けた。
『現在、治療と同時に原因の解明を行っております。我々とラストル様の関係は良好でした。一体なにが起きたのか、私も周辺の者も困惑している状態です』
 トールはまったく予想していなかった事態に頭の中の整理が追いつかなかった。他の者も、カーグも同じだった。
 トールは頭を抱え、目を泳がせる。
 ふとティシラのことを思い浮かべたが、まさか彼女がこんなことをするとは思えない。他に原因があるはず。
「……まずは、ラストルの容態を優先したいのですが」
『ええ、もちろん。万全を尽くしております……ですが、かなり危うい状況のようで……』
 ライザが足を縺れさせた音で、トールは我に返る。
 ラストルが死ぬかもしれない――。
 そうだ。考えている場合ではない。確認はあとだ。
「すぐにラストルをこちらに送っていただけませんか」
『……は?』
 一同は顔を上げてトールを見つめた。
「できるだけ、一秒でも早く、ラストルをティオ・メイに依送してください」
『そうしたいのは山々ですが、大変危険な状態です。王子の体は、魔法どころか動かすだけでも耐えられるかどうか……』
「カーグ……」トールの目線が鋭く、水晶の向うに突き刺さる。「腹を割って話そう。正直に言うと、私は貴様を信用していないんだ」
『……何ですって』
 一同はトールの醸し出す緊張感に息を飲んだ。
「貴様が何を考えているか知らんが、ラストルを渡すわけにはいかない。ラストルはこの国の未来を担う、大事な息子だ。どんな事情があろうと、わけも分からないまま余所の地で死なせてたまるものか」
 カーグは怒りで顔を赤くしていく。宣戦布告にも等しい無礼、前代未聞である。だがトールが本気であることが、嫌というほど伝わってきた。カーグも遠慮する必要はないと判断する。
『……私とて、貴様の愚息の面倒など見る気はない』
 カーグの反撃に、トールも怒りを露わにした。
『こちらは丁寧に持て成していたというのに、勝手に瀕死に陥るなど、迷惑極まりないわ』
「よくもそんなことを言えたものだな。言い訳はあとで聞く。早くラストルをこちらに渡してもらおうか。ふざけた真似はするんじゃないぞ。ラストルの容態が悪化しようものなら、私の全力を持って、貴様を潰してやるからな」
 トールの挑発に乗ったカーグは逆上し、水晶を殴りつけた。水晶は床に落ちて割れ、通信は途切れた。
 傍にいるサイネラとディルマンは、国王同士の程度の低い口喧嘩に気が気ではなかった。
「陛下……どうか、冷静に……」
 ディルマンに恐る恐る声をかけられ、トールは大きなため息をついて座椅子の背もたれに体を預けた。
「僕は大丈夫」目を閉じ、眉を寄せて。「先ほどの様子で、カーグの仕業じゃないことは分かった」
 一同はトールが平静を欠いたわけではないことが分かりほっとする。しかし事態が変わったわけでもなければ、決して彼も落ち着いているわけではなかった。
 この中で一番動揺しているライザが、ディルマンの肩を借りて姿勢を正す。
「一体、どういうことなのでしょう……まさか、ティシラが関わっているということは……」
「それは本人かドゥーリオに聞けば分かる。まずはラストルの安全の確保が優先だ。原因によっては、カーグはラストルに何をするか分からない。ラストルに意識がないのなら、保身のために事故を利用して息の根を止めることだって可能だろう」
 恐ろしい言葉に、ライザは再び目眩を起こす。今にも卒倒しそうだったが、それどころではない。必死で足に力を入れた。
「サイネラ、魔法使いを集めて依送の準備をしてくれ。シール側も準備ができたら知らせてくるはずだ。僕は今からドゥーリオに話を聞いてみる」
 サイネラは短い返事をしてすぐに退室していった。
 トールは長い一日を予感し、気を引き締めた。



*****




 けたたましく鳴るドアの音で、ドゥーリオは目を覚ました。
 まだ薄暗い早朝、何事かと飛び起き、ドアを開ける。あれからベランダで膝を抱えてぼんやりしていたティシラも我に返り腰を上げた。
 家来は挨拶もせずに部屋に入り、ドアを閉めた。呼吸の乱れで、彼がどれだけ慌てて来たか分かる。
 朝になれば――というティシラの言葉を信じていたドゥーリオはいい報せだと信じた、信じたかった。だが、家来の様子からとてもそうは思えず、身構える。
「ラストル様が……」
 家来の報告にドゥーリオは愕然とした。ベランダから室内に移動してきたティシラもその場で足を止めて茫然としていた。
 ドゥーリオは一通り状況を聞いて、いったん家来を部屋から出した。
「ティシラ、これは一体、どういう……」
 すぐにティシラの元に駆け寄ったドゥーリオだったが、彼女も自分と同じくらい動揺しているのが分かった。
「そんなの……こっちが知りたいわよ!」
 ティシラは顔を真っ赤にして大声を上げた。
「どうして? 誰がそんなことしたの! 私と別れて、ほんの数時間でしょ? そんな短い間に、誰が、何のために……」
 ティシラは言葉を失い、その場にへたり込んだ。見開いた瞳は虚ろで、もう何も考えられないほど茫然自失となっていた。
 うろたえるしかできないドゥーリオの背後で、テーブルの上にあった水晶が光った。トールからだった。急いでそれに向い、返事をする。
 話はもちろん、ラストルのことだった。
『ティシラはそこにいるのか?』
「はい……今お伝えしたところです。しかし、ティシラも酷く憔悴されていらっしゃいまして」
『やっぱり、ティシラじゃないんだな』
「ええ。彼女は昨晩私の部屋にいました。その前にラストル様とお話されたそうで、説得に成功されたところまでは聞いていたんです。朝になれば解決すると仰っていたのですが……」
『昨夜、ティシラとラストルは会ったんだな』
「ええ。私はその場にはいませんでしたが、本当だと思います。確かなのは、ラストル様が刺されたという早朝は、ティシラはここに居ました。本当です」
『ティシラと話はできるか』
 ドゥーリオはティシラの声をかけるが、返事はなかった。トールに待ってもらうよう言ってから彼女に寄ってみたが、まったく動かない。不穏を感じたドゥーリオはティシラの傍に屈んで顔を覗き込む。ティシラは目を開いたまま、顔の前で手を揺らしても、瞬きすらしなかった。
「陛下……ティシラは、あまりのショックで口がきけなくなっているようです。今はこのままにしておいたほうがよろしいかと思います」
『そんなにひどいのか』
「ええ。起きているのにピクリとも動きません……昨夜、ラストル様とどんな話をされたのか、詳細は聞いておりませんが、本当にうまくいっていたのでしょう。それなのに、こんなことになってしまって……」
『そんなにショックを受けるなんて』トールは歯がゆくて仕方なかった。『可哀想だが、ティシラが犯人ではないことは間違いないな。それが分かっただけでも安心したよ』
 トールはカーグと話し、ラストルをメイに依送することを伝えた。原因や犯人の特定は平行して行うから、ドゥーリオとティシラはそのまま待機するように言って通信を切った。
 ドゥーリオは未だ動かないティシラを心配しながら、再度家来を呼んで詳しい状況と今後のことを話し合っていた。


 治療室に向かうカーグは酷く苛立っており、大股で進む彼の後ろに着いてくる数人の家来や警備兵は萎縮していた。
 治療室は関係者以外立ち入り禁止となっており、カーグは扉の前で足を止めた。今となってはラストルの容態などどうでもいいカーグはそれ以上進まず、責任者を呼び出し、その場で指示を出した。
 だが責任者である魔法使いはその内容に驚愕する。
「ラストル様は瀕死の状態です。最大限の治癒の魔法と医術を施している最中なのです。それでもまだ一命を取り留められておりません。今動かしたら傷が悪化してしまいます」
「構わん。トレシオールがそうしろと言っているのだ。もし王子が命を落としたとしても、バカな親を持った自分を恨めばいい」
 あまりに子供っぽいことを言うカーグに、責任者は呆れに似た感情を抱く。こんな国王を見たのは初めてだった。だが、おそらくティオ・メイの国王も似たようなことを言っており、カーグはそれに合わせているのだろうと思うことにした。それでも、治癒の魔法使いとして安易に頷くことができなかった。
「あれほど重体の患者を依送するだなんて、相当の魔力と技術が必要です。今この部屋から魔法使いを減らすわけにもいきませんし、あまりにも無謀です」
「ならば急いで傷口を塞ぐんだ。多少雑でもいい。あとは依送して、向こうに好きにさせる」
 責任者は納得がいかなかったが、十分な治療は必要ないことを理解した。魔法使いとしては不本意だが、国王の命令なのだから従わなければいけない。少々お待ちくださいと伝え、治療に戻った。


 太陽の日差しが人々の窓から差し込み、朝を迎えた。人々が起きて活動を始める時間だ。
 トールも、カーグも、ラストルの命が危ういことを世界に報せる必要について考え始めた。誰が何のために起こしたのか、何も分かっていない。人々を混乱させることは避けられないが、メイとシールの関係がどうなるべきか、世論を操作する必要があった。報道の方針について慎重になっていた。


 それから一時間ほど過ぎ、ラストルの応急処置が終わり、依送の準備が整った。
 町は何も知らないまま、いつも通りの朝を迎えている。
「本当によろしいのでしょうか」
 治癒の魔法使いは何度も念押しをしてくるが、カーグの答えは同じだった。
 未だ昏睡状態のラストルはベッドに固定され、城の屋上までゆっくりと運ばれた。
「ノイエは何をしている」
「ノイエ様は治療室でラストル様の血液や毛髪などから手がかりを探していらっしゃいます」
「まだ何も分からないのか」
「難しい魔法ですし、そこから原因が辿れるかどうかも不明で……」
 話しているうちに依送の準備が始まった。ベッドから降ろされたラストルは、屋上いっぱいに描かれた魔法陣の中央に横たわっていた。


 メイでも同じように、巨大な魔法陣とたくさんの魔法使いが準備を整えていた。指揮を取っているのはライザだった。誰よりも一番にラストルに会いたいと、自ら挙手をし、それに反対する者はいなかった。
 ライザは事前にシールの魔法使いと連絡を取り、ラストルの状態を確認する。
 いったん傷は塞がっているが、いつ開くか分からない。体力も残っていないと考えて、少しの衝撃でどうなるか保障はないと言い切っていた。
 ライザは今までにないほど緊張し、他の魔法使いにもこの魔法がどれだけ重要かをしつこく指導していた。


 メイからの合図を受け、依送の儀式が始まる。
「失敗は許さん」カーグが魔法使いを厳しく睨み付けた。「送り届けてしまえばあとはどうなろうと知ったことではないが、これはシールとメイの共同魔法。こちらに落ち度があればシールの魔法使いは練度が低いと見下されることになる。国の名誉に関わるのだ。王子の髪の毛一つ、間違いなく送り届けよ。心して行え」
 魔法使いたちは国王の言葉を重く受け取り、気合いを入れた。
 指揮官の指示に従い、呪文が始まる。言葉は一つに混ざっていき、魔法陣に光りがと灯る。次第にラストルもその光に包まれ、姿形がぼやけ始めた。魔法使いたちは更に集中した。髪の毛どころか、普通ならない傷口さえ正しく届けなければいけないのだから。目を閉じて呪文を呟いているだけの魔法使いたちの額から汗が滴り落ちた。


 同じ集中力を要されているメイの魔法使いも唸るように呪文を唱えていた。
 魔法陣の中心に光が寄り集まってきた。余計なことは考えず、風で流れてきた砂をかき集めるようなイメージを持つ。届くラストルはいつもの彼ではない。深い傷を負い、失血の状態で昏睡している。失敗すればそれ以上に悪い状態になるだけで、よくなることは決してない。
 時を超えて、ティオ・シールから淡い光の川が流れてくる。
 メイの魔法使いたちは無心でそれを受け取っていく。
 魔法陣の中心に人の形が模られていく。次第に色がつき、眠るラストルが姿を現す。
 ライザは魔法が完了するまで息を潜めて待った。その瞬間は、術師たちの合図より早く、ライザが確認した。ライザは飛び出し、ラストルに駆け寄る。強く抱きしめたかったがぐっと堪え、まるで死体のように青ざめた息子の頬を優しく撫でた。
 すぐに医術師たちが集まり、慎重にラストルを城内に運び込んでいった。魔法使いたちはぐったりとその場で脱力しており、心中を察するライザは労いの言葉をかけてラストルの後を追った。


 トールも駆けつけ、眠るラストルの様子を伺った。ライザは治療の準備の間、涙を流しながら息子の手を握り続けていた。ラストルはカーグの言ったとおり、死の境を彷徨っている状態だった。おそらく、刃物で刺されたことなど、カーグはこのことに関しては嘘はついていないのだと思う。
 一体誰が?
 万が一ラストルがこのまま目を覚まさなければ、すべて闇に葬られることになるだろう。トールは納得がいかず、奥歯を噛んだ。


 ラストルがティオ・メイに送り届けられた報告を聞き、厄介者を追い払った気分になったカーグだったが、理不尽な気持ちは拭えなかった。
 いずれにしても計画は失敗した。牢に捕えている「魔女」たちの扱いを考えなければいけない。リジーは処分すると決めていた。できるだけ早いほうがいい。王室に戻って人払いをし、アジェルに後始末をしてもらうことを考えていたところ、ノイエがドアをノックしたあと、すぐに入室してきた。
「カーグ様」ノイエは珍しく興奮している様子だった。「魔女です」
 ノイエは急いで来たため少々呼吸を乱していた。手には赤い液体が入った小さなガラス瓶を持っている。
「ノイエ、落ち着きなさい。何の話をしている」
 カーグは眉を寄せてノイエを宥めた。ただでさえ苛立っているというのに、という気持ちは、いつもならノイエはすぐに察してくれるのだが、今日はそんな余裕すらなかった。
 徐々に落ち着きを取り戻し始めたノイエは、カーグに失礼にならないように深呼吸し、再度ガラス瓶を差し出した。
「これはラストル様の傷口から採取した血液です。ここから使用された刃物の種類や形状などを特定できないか調べていたのですが……」
 ノイエはもう一度深呼吸し、改めて顔を上げた。
「……この中から、人間のものではない魔力が検出されたのです」
 カーグは一気に興味を示し、瓶を手に取った。光に当てて揺らしてみるが、カーグには普通の血液にしか見えなかった。
「どういうことだ」
「ラストル様の体内に微量の魔力が混ざっていたのです。言葉で証明するのは難しいのですが、人間のものとは明らかに違います。牢に捕えている魔族とも種類が違います。この魔力がラストル様の体にどんな影響を及ぼしているのか覗いてみたところ、魂を操っているような動きが見えました」
 カーグは先ほどのノイエの言葉を思い出す。
「……魔女?」
 ノイエは神妙な顔つきで、深く頷いた。
「本物の魔女がいたんです。伝説ではなく、こんなにも近くに……!」
「……魔女に呪われたからラストルはあんな時間、あんな場所に一人でうろついていたということか」
「はい。それ以外に考えられません。寝る前まで何の異変もありませんでした。深夜に魔女が現れて王子を操ったのです。それなら説明がつきます」
「ならばなぜ魔女は王子を狙ったのだ。しかも、私たちが手を組もうという直前に。呪いをかけ操っておきながら刃物で刺した理由はなんだ」
「そ、それは……魔女の考えまではまだ不明でございます」
「刺したのは魔女とは別の者、人間である可能性は?」
「それは、可能性はあると思いますが、あの時間、あの場所で、短い時間にとなると……」
 カーグは歯切れの悪い態度のノイエにまた苛立つが、分かったことがある。僅かなヒントから解決策を見出していく。
「ラストルが呪いをかけられて操られたのは確かだな」
「はい。それは間違いありません」
「だとしたら、魔女は誰だ? 闇に潜んで隠れていたのか? それとも人間の振りをして城内に侵入し、ラストルの近くに……」
 そこまで言って、カーグは何かに気づいた。続いてノイエもはっと息を飲む。
 ――ラストルの傍にいたあの怪しい少女の姿を、二人はほとんど同時に思い浮かべた。
「……シェリア」
 カーグがその名を呟くと、いろんなことが線で繋がっていく。
 娼婦としてラストルの寝室に出入りができ、一番無防備な彼を襲うことなど容易なはず。傍にいてラストルが何をしようとしているのかもよく分かっている。なぜ昨夜だったのかも、計画を邪魔するためだと思えば不思議ではない。
「……そうか」カーグは拳を強く握り。「あの娘は、トレシオールの送り込んだ工作員だったに違いない」
「ですが、王子を亡き者にする理由は……」
「刺したのは他の者かもしれない。もしかしたらラストル本人が自刃したのかもしれないな」
「ええ?」
「ラストルはこちら側に来たかった、しかし雇われた魔女に邪魔をされ、言いなりになりたくなく呪いに逆らおうとしたのかもしれない」
「しかし……刃物はどこにも残っておりませんでしたが……」
「そんなことはいい」カーグは大きな声で問答を終わりにした。「あのシェリアという娘を捕えよ」
 瓶をノイエに突き返し、強い口調で命令を下す。
「ドゥーリオも捕えよ。共犯だった可能性が高い。急ぐんだ。もし既に逃亡しているなら探し出せ。私はトレオシールにシェリアについて問い質す。早く行け」
 ノイエはまだ疑問が残っているままだったが、命令は絶対だ。はいと返事をし、頭を下げる。カーグはノイエに背を向け、太陽の光の差し込む窓を見つめた。
「本当にあの娘が魔女なら、まだこちらに勝機がある」
 カーグは新たな道を見つけ、心躍っていた。
「本物の魔女をこの国で裁き、処刑すれば手柄は私のものだ。そして、卑しくも王子の公務に工作員を送り込んだトレシオールの信用は地に落ちる」
 そのためには迅速な対応が重要だった。カーグの予想では、おそらくラストルが刺されたのは予想外だったのだと思う。それこそが相手の弱点。トールたちが口裏を合わせて証拠を隠してしまう前に先手を打たなければいけない。カーグは勝負を仕掛けた。


 ドゥーリオはサイネラと水晶越しに話し、ラストルがメイに移送されたことを聞いたところだった。もうここに居る必要がなくなったドゥーリオはティシラと家来を連れてシールを出ようと考えていた。
 ティシラは相変わらず床に座り込んだまま動かない。心配になり声をかけようとした、そのときだった。
 早朝と同じくらい激しくドアが叩かれた。ドゥーリオは驚いて体を揺らし、今度はなんだとドアを開けた。すると二人の家来がなだれ込んできた。
「ドゥーリオ様、今すぐ逃げてください!」
 家来は凄い剣幕でドゥーリオの腕を掴む。
「シールの兵があなたたちを捕えに来ます。今この部屋に向かってきているのです」
「え……? 一体どういうことでしょう」
「ラストル様の血液から呪いの魔力が検出されたのです」
 ドゥーリオはその言葉で先を悟った。
「シェリア嬢に魔女の疑いがかけられました」
「魔女はトレシオール国王陛下の工作員で、ドゥーリオ様は共犯者の疑いを持たれております」
 ドゥーリオは身に迫る危険を理解し、ティシラに駆け寄った。
「ティシラ、聞こえましたか」
 しかし、ティシラはそれでも返事をしなかった。
「早くここから逃げるのです。気をしっかり持ってください」
 ドゥーリオはティシラの腕を掴んで立ち上げようとするが、彼女は錘のように吊り上げられるだけだった。
「ティシラ……?」
 ティシラは目を開けて呼吸をしているだけの、意識のない人形のようだった。様子がおかしい。落ち込んでいるだけではないのか。
「ドゥーリオ様! 早く!」
 家来に急かされ、ドゥーリオは焦り、深く迷った。迷った結果、逃げることにした。
「ティシラ、必ず助けに来ます。どうか、少しのあいだ辛抱していてください」
 ドゥーリオは今の状態の彼女を抱えて逃げるのは不可能と判断し、家来と一緒に部屋を飛び出した。
「必ずお助けしますから……!」
 廊下に並ぶ警備兵は混乱の中、数が減っていた。このあたりにいる警備はまだ何も指示を受けておらず、疾走するドゥーリオたちを怪訝に思いながらも道を開けていく。
 ドゥーリオがいなくなってから数分後、武装した魔法兵が部屋に押し掛けてきた。
「いたぞ、魔女だ!」
 大声で指を指され、ティシラは抵抗せず、拘束されてしまった。
「側近のドゥーリオはどこだ」
「隣の部屋にもいません。逃げたようです」
「探せ!」
 ティシラは床に押し付けられて両手を後ろ手に縛られた。魔法兵は彼女を取り囲み、「恐ろしい魔女」の魔力を封じる魔法をかける。
 体の力が抜けていくのを感じたティシラは、虚ろだった瞳をゆっくりと閉じ、自ら闇に身を投げ出した。





   

Copyright RoicoeuR. All rights reserved.