SHANTiROSE

INNOCENT SIN-10






 マルシオはどうやって誤魔化せばいいか分からず、クライセンに正直に話して相談することにした。
 どうせまたバカにしたような返事をされるだろうと覚悟する。それでも、彼の言う通りにすればいいと考えていた。
 しかしクライセンは意外に普通に答えた。
「呼べばいいだろ、ここに」
「え?」
「私の家に住んでると言えばいい」
 マルシオは唖然となった。
「だって、偽名を使えっていったのはお前だろ」
「そのほうが君だって楽だろう? それに『魔法王』とやらが君を介して詮索されたり、あることないことおかしな噂が増えるのは迷惑だからな。だが何も、友人にまで徹底して隠す必要はない」
 そう言われてみれば……と思う。確かに、「魔法王の弟子」がその辺をうろついているとなると、周りが放っておくわけがない。そういう混乱を避けるため、偽名を使わせていたということ。マルシオは今までの緊張が無意味だったことを知り、肩を落とした。
「だったら最初からそう言ってくれればいいのに……」
 マルシオが不満げに漏らすと、クライセンは微かに眉間に皺を寄せる。
「君のことだ。もし制限がなかったら一日と持たずに人に言いふらしていただろう」
 マルシオは彼の言葉と、その冷たい声に胸を刺された。
「そ、そんなこと……」ない、とは断言できない。「でも、言いふらすってのは酷いんじゃないか。もしかしたら、カームには言ったかもしれないけど……」
「そしたらカームが言いふらす。人ってのはそういうものだ」クライセンは目を伏せ。「だが始めからないものとして扱っていれば、そのうち慣れる。魔法使いの価値は師の名前で決まるものじゃないからな」
 マルシオは何一つ言い返せなかった。師匠の名前は秘密にする。それだけで誰の日常も壊れなかった。やはり、分からないことや困ったことは、どんなに冷たくされても師であるクライセンに訊いて行動しようと、マルシオは心に決めた。
「……じゃあ、もうカームにお前のこと、言っていいのか?」
「どっちでもいいよ」
「そっか……」マルシオは頬を緩ませ。「いや、やっぱり決めてくれ。お前が名乗りたくないなら今までどおりアースってことにするし、もし会いたくないなら留守だってことにするよ」
「どっちでもいいって言っただろ。ただ、私は偽名も使わないし居留守もしない」
「なんだよ、じゃあ俺も何もしないよ」
 やっと交友を素直に楽しめることに安堵し、マルシオはカームと話を進めることにした。



*****




「今起きた出来事は、今、過去になる」
 真っ白な夢の中で、「彼」は両手を広げてそう言った。
「その過去は思い出となり、人々は時間とともに、伴った熱を忘れていくだろう……どういうことか分かるか?」
 彼は独り言ちているのではなく、マルシオに語りかけていた。マルシオは自分と同じ姿で見つめられても、返事をしなかった。
「人間の記憶は所詮、感情の一部。曖昧で、都合のいいように書き換えられる。つまり、過去の失敗を反省し、やり直すことなどできやしないのだ」
 マルシオは不快感を募らせる。彼の存在そのものが忌まわしいというのに、彼の言葉に反論できないからなおさらだった。
「だけど、もし……そのすべての思い出を記録し、残していくことができるとしたら? 冷静に、無情に、客観的に、記録を見つめ、正しい過去を知ることができるとしたら? なあ、マルシオ。そんなものが、この世にあると思うか?」
 ある――そして、知っている。
 魔道を習得した者なら、一度は聞いたことがある。エミーの本にも書いてあった。だけど、それは空想の産物――の、はずだ。
「……お前が『それ』を持っていたとしても、誰も、何の手出しもできない」
「どうしてそう思う?」
「そういうものだからだ。過去は過去。誰かが忘れたとしても、記憶が曖昧だとしても、都合よく塗り替えられたとしても、過去は変わらないからだ」
「違うな」
「違わない!」
「違う!」
 彼は胸を打つような大声でマルシオを制し、また笑った。
「お前の中にある、その概念が、間違っている」
 彼は自分の胸に片手を当て、目を閉じた。
「『それ』は、持つものではないからだ」
 そして再び瞼を上げ、マルシオに手を差し出した。
「なんでもないことだ。原始からの長い記録、宇宙の広大さに比べれば、ほんの小さなこと。お前が、ほんの少し醜い欲望を抱くだけで、すべてが正される。俺には、このあと何が起こるのか、予感できている。お前もそうだろう……だけど、目を覚ますと自由を失う」

「神」の「影」であるお前には、この変化を止めることはできない――。



*****




 マルシオがカームに本当のことを話してから、彼が休日を取るまで時間はかからなかった。
 カームは最初、信じられないという表情を浮かべていたが、マルシオが嘘をついているなどと考える理由はなく、すぐに興奮し出した。マルシオは宥めるのに必死だった。
 カームは早く魔法王の屋敷に行ってみたいと、落ち着きを失くして平静を取り戻すことができない。戸惑うマルシオは、とにかく、今度家に呼ぶから、そのときにゆっくり話をしようと告げてその場は立ち去った。


 その日の夜、カームはすぐにサイネラの部屋に駆けこんだ。
「サイネラ様も一緒になって僕を騙していたんですか!」
 興奮冷めやらぬカームに突然責められ、サイネラは面食らった。
「マルシオのことですよ。聞いたんです。彼は、魔法王の弟子なんじゃないですか!」
「ああ、そのことか」サイネラは驚くこともなく微笑んだ。「いつか分かることだと思って話を合わせていただけだよ」
「こんな大事なこと、今まで隠していたなんて……」
「大事なことかな?」
「大事ですよ。だって、魔法王ですよ。魔法使いの頂点に立つ方で、ランドール人の唯一の生き残り。どこにいるかも、生きているかどうかも分からないと言われていた伝説というか、神話のような方が、こんな近くにいたなんて」
 この手の話を久しぶりに聞いたような気がして、サイネラは笑いを堪えきれなくなった。サイネラももちろんクライセンのことは尊敬しているが、もう幻だとは思っていない。彼は人間であり、共に国を守った友人でもある。接してみると意外と俗っぽく、とくに崇高な思想を持っているわけでもなかった。カームが言うような幻想を打ち砕かれて、もうどのくらい経ったかさえ覚えていない。
 カームはやっと声を落として、窓際にあるイスに腰を降ろした。
「笑いごとじゃないですよ」
「笑いごとだ。そんなことを本人に言えば、きっと君は笑われるどころじゃない屈辱を受けることになるぞ」
「ど、どういうことでしょうか」
「彼はただの魔法使いだ。ちょっと変わってはいるが、難しい話よりも、世間話をしたほうが会話が弾むだろうな」
「そうなんですか」カームは露骨に残念そうな顔をする。「でも、こんな機会、滅多にないし……マルシオと友達になれたのは、運命かもしれないとまで思ったんですよ」
「そうかな?」サイネラは小首を傾げて。「マルシオと友達になれたのは、お前が彼個人に親しみを感じたからじゃないのか?」
 カームははっと小さく息を飲み、眉尻を下げた。
「もしお前がマルシオに『魔法王の弟子』だからという理由で近づいたなら、友達にはなれなかっただろうな。それにマルシオが、そういうことを鼻にかけるような人物なら、クライセン様の弟子にはなれなかったと思うよ」
「……じゃあ、偶然、だったってことでしょうか」
「そうだな。偶然か。それでいいと思う。そうでなければ、お前は近いうちに挫折する」
 カームは急激に落ち込み、深く反省した。
「そうですよね。幻とまで言われた魔法王に会える、きっと僕は特別な存在なんだなんて、浮かれてしまいました。そうだ、僕は魔法王に会いに行くんじゃなくて、マルシオの家に遊びに行くんだ……先に声をかけたのは僕なのに、勘違いしてしまって、恥ずかしいです」
 サイネラは再び頬を緩めた。カームは素直で賢い。年相応の少年らしく先走ってしまうこともあるが、こうしてすぐに踏み止まって反省する。こんな子が、生まれ持ってきた能力に振り回されて不幸になるなんて哀れすぎる。だから傍に置いたのだ。
「マルシオにも悪いことをしてしまいました。僕はマルシオの友達で、それ以上でも以下でもありません。そのことを忘れないようにします」
「まあ、あんまり堅苦しい態度をとられても相手も困るだろう。緊張はあって当然なのだし、自然に、その日を楽しめばいい」
 カームはサイネラの言葉の一つ一つを噛み締めるように頷き、拳を握っていた。
 クライセンのほうは、珍しいものを見る目を向けられるのは慣れているだろうとサイネラは思う。どちらかというと、そんな強心臓の彼に傷つけられるであろうカームの純粋な心のほうが心配だった。
 それに、あの屋敷にはティシラもサンディルもいる。まだまだ序の口なのは想像できたが、サイネラはまだ黙っておくことにした。他にもマルシオが言えないこと、言わずにいることもある。それも必要なら知ることになる。
 あれもこれもすべて勉強だ。サイネラは未熟な弟子を快く送り出した。





   

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