SHANTiROSE

INNOCENT SIN-24






 白い、白い光の世界。
 太陽の昇らない闇の世界である魔界とは対称的な位置にある、天使の世界。
 天から注ぐ淡く大きな光は太陽ではない。天使の存在を維持するためだけに輝き続ける光という物質。
 世界の中心に、透明な金剛石の階段が、悠久の彼方まで続いている。きっと人間がこの光景を目にすれば、天国への道と称するだろう。
 だけどこれはまだ幻に過ぎない。
 今までの天使の世界は、新しい王の意志により消え去った。今はまだ、新しい世界を構築している最中である。
 光の中から現れた新しい王「マルシオ」は、世界を壊し、まずは金剛石の階段の頂点に王座を作った。光の羽を広げたまま王座の前に立ち、両手を広げた。すると空から光の花びらが舞い降りてきた。花びらはゆっくりと重なり合い、空間を作っていく。少しずつ、少しずつ、時間をかけて、王の望むがままに世界を創り始めていた。
 王、マルシオの王座の前に、五つの光の玉が現れた。マルシオがそれらに意識を送ると、それぞれに天使の姿に変わっていった。マルシオが次に作ったのは、王の守護者・五大天使だった。
 一度意識を失くしていた天使たちは、右胸に原始の石を抱くマルシオを見てすべてを悟った。何も言わず、こうべを垂れる。彼らの王への忠誠心は光ある限り変わらぬものだから。
 世界の崩壊と共に、天使たちは一度ただの光の玉になった。意識も記憶も、肉体も失い、じっと新しい世界に身を任せていた。
 以前の世界では天使も肉体を持ち、人間や魔族のように社会のなかで生活していた。名もなき王を頂点に、自由で清らかな時間を過ごしていた。
 しかし今はその跡形もなかった。城も、文明も、信仰心も、友情も、家族も、何もかも。王がすべてを消し去ったからだ。新しい世界を創るため。
 ――いいや、違う。
 天使の一人がそう思うと、ほかの天使たちも同じことを思考した。
 壊したのは、アカシアだ。
 アカシアは創造の力を持っていた。新しい世界を創るため、これまでの世界を壊した。壊して、また創った。天使の世界に歴史というものは存在しない。創造だけを繰り返し、過去は消失してしまうのだ。新しい世界に生まれた命はその事実を知っても何も感じなかった。王に従うだけ。逆らうという考えどころか、概念すら持ち合わせていないのだから。
「アカシアは完全に消滅した」
 マルシオは王座に腰かけ、そう告げた。
「王不在の時代は終わる。これからは、俺が国を作り、世界を統べる」



「……昔、まだこの世界に言語を理解する者が存在しないほど遠い昔、一つの生命体が無の中心に生まれた。それは赤子の姿をした雌雄同体の、完璧なる存在――アスラ」
 ネイジュは星屑の降る、冷たい夜空の下で語り出した。
「アスラの体からいくつもの石が生まれた。それらは一つ一つに特徴があり、持った性質に従いながら、無の空間を回転しながら自らの体を造り上げていった。それが何憶年、何十億年、もしくはもっと、どれだけ長い時間がかかったのかは分からない。まだ、アカシックレコードが生まれる前のことだから」
「アスラの記憶か」
 そうクライセンが言うと、ネイジュは頷いた。
「記憶とは曖昧で、時間が経てば忘れていくもの。どうやってアカシア、ブランケル、ノートンディルが生まれたのかは、アカシアがアスラから聞いた思い出話でしか残っていないのだ」
「どうしてアカシアはアスラからそんな話を聞いた?」
「……好奇心だと思う。それも、もう確かめる手段はないが」
「好奇心か」クライセンはどこか皮肉な笑みを浮かべる。「厄介な感情だな」
「……ブランケルは闇を、ノートンディルは大地を、アカシアは光を司る石を源としてそれぞれに世界を創った」
 ブランケルは破壊、ノートンディルは生命、アカシアには創造の力が宿っていた。その力で魔界、人間界、天界ができ、そこに棲み付く生命体が生まれ、息衝き、進化と淘汰を繰り返して文明を築いていった。
「しかし天界だけは違った。アカシアは進化の経過に間違いを見つけると、一度その世界を消して作り直したのだ。命を奪ったわけではない。あったことを消し去り、『作り直して』いただけ。決して誰も苦しまず、悲しまず、恨みもしない。アカシアはそうやって、失敗や歪みを見つけては過去をやり直し、正しい世界を目指して創造を繰り返してきた」
 魔界のように独裁国家ができたときもあった。貧富の差が生まれ、傲慢な者が弱者を虐げる様が目立つようになり、その世界は失敗に終わった。
 国をいくつかに分け、それぞれの特色を生かした王政の世界を創った。繁栄し、華やかに賑わった。しかし、戦争が起きた。アカシアは、作り直した。
 誰もが笑顔でいられるよう、すべてが平等の国を作った。一面が美しい花で満たされ、老いも病もなく、食べるものにも困らない天国のような世界だった。しかし苦しみを知らなければ幸福がないことを知ったアカシアは、また作り直した。
 人々が高みを目指すため、競争の世界を創った。皆が協力し合い、お互いを高め合い、よりいいものを目指す国だった。だが奪い合いも起こった。楽して手に入れる悪知恵をつける者が増えた。アカシアは、また作り直した。
「そうやって、アカシアは今まで起こったことをすべてを記録に残し、次々に新しい世界を創っては歪みの修正を試み、やり直してきた」
 作るのは難しく、長い時間がかかる。だが壊すのは一瞬だった。すべてを記録し、自らの糧にするアカシアには何の未練もなかった。
「それが……」唖然とした顔で傍にいたカームが、言葉を漏らした。「アカシック・レコード」
 クライセンとネイジュはちらりと彼に目線を移す。カームはまだ事の大きさを実感できていなかったが、体中の震えが止まらなかった。一歩も動けないのに、大天使の話が空っぽの頭に流れ込んでくる。
「マルシオが言ってた。アカシック・レコードは書物じゃないって。じゃあ、その、アカシアという、神様そのものが、アカシック・レコードだってことなんですか?」
 クライセンとネイジュはそうとも違うとも答えない。今は、理解の浅い彼と対等に会話する気はなかった。
 その様子を感じ取ったミランダが、隣からカームを小突いた。
「少し黙っていなさい」
 カームは慌てて口を塞いだ。ミランダは自分の未熟さを惨めに思ったが、実際に二人の会話はあまりにも次元が高かった。安易に口を挟んで二人の話し合いを邪魔してはいけないことを理解していた。だがこの場に自分がいることにはきっと意味があると信じ、今はここに留まるため、じっと耐えることにした。
「……次に、アカシアは人間に触れた。物言わぬノートンディルも栄え、人間が進化し文明を築いた。彼らは魔力を操り、魔法を使うようになっていた。人間は天使を見て神だと崇めた。人間の美意識は洗練されており、光を纏い天を舞う天使を美しいと形容し、驚くほどの愛情を抱いたのだ。アカシアは人間との共存の世界を創った。それが、魔法戦争の前の時代だ。だが人間は魔力を争って戦争を起こした。アカシアは哀れみ、悲しみ、人間界を去った。そしてまた、作り直した」
 その頃、アカシアは一度も人間界へは降りなかった。ゆえに人間はアカシアのことなどほとんど知らぬままだった。
「ただ、戦争に紛れて人間界に残った天使もいた。その数人が、いくつかの痕跡を残した」
 その一つが、この世界に残されていた「神」の姿を描いた作者不明の絵画だった。
「魔法戦争後、天界はまた生まれ変わった。人間に感化されたアカシアは、人間が望む天使の世界を夢見たのだ。人々が奇跡だ、希望だと崇め、闇を照らす救いの存在。神聖なる魔法の象徴そのもの。人間の憧れる光り輝く崇高な世界。天使はそれになれる。なるべきである」
 もしなれないのなら、また作り直せばいい――。
「そうしてアカシアは、どうすれば人間の理想になれるかを思案し……自ら、光の存在になった」
 クライセンは目を伏せ、疲れたような小さな息を吐いた。
「……光、か。つまり、肉体を捨てたってことだな」
「そうだ。アカシアが辿り着いた答えは『無』。人間には一人として同じ者はいない。万人の希望を叶えることなど不可能なのだ。ならば人間は『神』に何を望んでいるのか。それをずっと考えていた。アカシアは天界から、争い、殺し合う人間を見つめ続けた。そのうちに、欲の強い人間の本性を見出し、すべての人間の望みを叶えることは不可能と理解した。一方を救えば一方が不幸になる。人間の世界はそういうふうにできている。その答えは、『ルーダ神』という、人間が作った偶像の神にあったのだ」
「やはり、人間の言う『ルーダ神」』とは、アカシアを指しているんだな」
「最初はそうだった。だが、人間が本心で望んでいたのはアカシアではなく、完璧で、すべての人間の希望となる別の神だった」
「だから、人間は勝手に『ルーダ神』という名をつけ、アカシアのことを知らぬまま彼にその役目を押し付けたというわけだ」
「アカシアはそれを良しとした。ならば自ら『ルーダ神』になろう、と。そのために『アカシア』を捨てる必要があった。天使の世界には神が存在し、姿はなくとも人間を見守り続けている。その理想を、アカシアは実現したかったんだ」
「そしてアカシアはその名も肉体も捨て、神になった――その結果……」
 クライセンがどこか責めるように言葉を濁すと、ネイジュは少し間を置き、目を細めた。
「……ラドナハラスが行き場を失った」
 分かっていたかのように、クライセンは目線を落とした。彼の気持ちを理解しながらも、ネイジュは感情のない声で続けた。
「魔法戦争後、アカシアの作った新しい天界は『王』不在の世界だったのだ。アカシアの意志だけが残った王座を、私たち五大天使は守り続けてきた。無意味なことではない。『王不在』の王座を守ることが私たちの役目だったのだから」
 マルシオが「ルーダ神」のことを考えられないと言った意味が分かった。
 王も、「神」もいない世界。しかし王座はある。王という言葉はあるのに、実物が存在しない。天使が「王はいない」と認識すれば、王はいない。「いる」と認識していれば、王はいるのだ。だがその椅子には誰も座っていない。王の名も、姿も、いつどこで何をしているかも、誰も考えなければ「いる」けど「いない」王が完成する。そうして「いる」と「いない」が同時に存在する矛盾の国ができあがってしまったのだった。
「そんなおかしな国がまともに機能するわけがないよな」
 失礼な物言いをするクライセンだったが、ネイジュは笑いも怒りもせず、頷いた。
「アカシアの誤算は、失敗すればまた作り直せばいいと考えていたこと……しかし宿主を失ったラドナハラスは待ってはくれなかった。肉体を欲し、世界に歪みを作ってしまったのだ」
 ラドナハラスは強大な力を持て余し、王不在の世界に不満を募らせた。
 石に感情はない。だが原始の石が宿主を求めて運命を操るのは自然の法則。
 ラドナハラスは静かに、自ら新しい宿主を手繰り寄せていたのだった。
「そして、マルシオが生まれた」
 友達の名を耳にし、カームは体を揺らした。しかしぐっと口を結び、黙って耳を傾けた。
「マルシオはアカシアと同じ姿をしていた。偶然ではなく、必然のことだった。彼は、ラドナハラスが作った、新しい宿主だったのだから」
「そうだとして、なぜすぐに宿らなかった?」
「まだアカシアが存在していからだ。アカシアが完全に消えてしまわない限りラドナハラスの宿主はアカシアのまま。マルシオはまだ、ラドナハラスが無意識に造り出したアカシアの代わりでしなかった」
「天使たちは何もしなかったのか」
「そのとき私たちにアカシアの記憶はなかった。彼がそうだと気づくことはなかった」
「だったらなぜアカシアは異常を察して修正しようとしなかったのか」
「気づいたときには手遅れだった。そのとき既にラドナハラスの宿主が二人存在していたのだから。原始の石は宿主を選ぶもの。ラドナハラスはマルシオを求めていた。しかし肉体はないが意識だけが残るアカシアがすべてをがんじがらめにしてしまっていたのだ。その均衡を破ったのが、マルシオの覚醒だった」
「どうしようもなくマヌケな王だな……」クライセンは大きなため息をつく。「で、マルシオはどうしてすべてを知った? そもそもなぜ彼は人間界に執着したんだろう」
「マルシオが人間に感化されるのも、アカシアの望んだ矛盾の世界の副産物だと思えばそれほど不思議ではない。身動きの取れないアカシアを殺さなければいつまでも歪んだままの世界が続く。それはラドナハラスがよしとしなかった。だから肉体を持つマルシオに殺意を抱いてもらう必要があった。人間に感化され、徐々に天使にあるまじき感情を持ち始めたマルシオは次第に自分の目的を知り、強い葛藤に苛まれていた。そしてとうとうアカシアの命を奪う天使として目覚めたのだ」
「じゃあマルシオは、アカシアを殺すために人間界に執着したというのか?」
「そうだと思う」
「だったらなぜ魔法使いに憧れたりしたんだ」
「それは分からない」
「分からない? ただの個人的な趣味だとでも言うのか。だったら私が師である必要はないと判断してもいいのか」
「それはあなたの自由だ。だが魔法使いに憧れ、あなたにずっと着いてきたのは事実。それがただの個性だとしても、マルシオがこの世界で起こした行動、抱いた感情が現実に存在したこと、そして一度でもあなたと師弟関係を結んだことだけは忘れないで欲しい」
 妙に人間臭いことをいうネイジュにクライセンは違和感を抱いた。マルシオほどではないとはいえ、彼も人間に関わったことで多少の影響を受けているようだ。かといってネイジュ自身の意志で情に訴えているとは思えない。
「もしかして、マルシオが魔法使いに憧れた理由は、また別にあるのかもしれないのか?」
「さあ。私には人間の感情は理解できない。マルシオの持つ個性がアカシアやラドナハラスの意志とは別に生まれたものだとしたら、天使の及ばぬ未知の領域だ」
 クライセンはいよいよ分からなくなってきたと首を傾げた。彼で混乱するのだから、カームとミランダには一切割り込む隙間がなかった。少し離れた位置にいたサンディルはあまり話を聞かず、星の散る夜空を見上げては、ただただ、ティシラとマルシオの無事を願っているだけだった。
「面倒になってきたな」クライセンは眉を寄せ。「もっと簡潔に頼む。マルシオの個性とやらはいったん置いておこう」
 ネイジュはもっともだとでも言わんばかりに微笑んだ。
「マルシオは、アカシアのドッペルゲンガーだ」
 その言葉に一番大きく反応していたのはカームだった。そういう話が好きだと言うのもあるが、知っている言葉が出たことでより強い衝撃を受けたのだった。
「マルシオはアカシアの誤算が生んだ世界の歪みが形になったもの。ラドナハラスが自ら宿主を求め、アカシアと同じ肉体を、自然の法則を無視して作り出した危険分子なのだ」





   

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