SeparateMoon



10






 満月の夜、死者の魂の眠る墓場で二人の魔法使いが対峙した。
 この世界の最高峰と、大国を守り繁栄させた英雄に命を預けた者。レオンとアシュリーは見つめ合っているのではない。明らかに睨み合っていた。そんな二人の間で小さく縮こまるジギルはあまりに無力だった。
 ジギルには次の展開が読めない。ちょっと話して終わるか、和解して一つの蟠りが解消されるのか。それとも……。
 いや、とジギルは思う。別に自分には関係のないことだ。そっとこの場を去ってもいいのではないだろうか。
「レオン様」緊張の糸を揺らしたのはアシュリーだった。「御出でになられたこと、承知しておらず、失礼いたしました」
 アシュリーは目を伏せ、頭を垂れた。
 相変わらず白々しい彼女の態度にジギルは少し安堵した。先ほどの話をレオンに聞かれていたのは間違いないというのに、このまま何もなかったことにしてくれたほうが楽だと思ったからだった。
 だがレオンに、和解するつもりは一切なかった。
「アシュリー、あなたは私に話すことはないようですが……私はあなたに言いたいことがあります」
 一瞬で空気が凍り付く。
「もし、父に会うことがあるなら伝えてください」
 聞きたくない。耳をふさいでしまうおうかとジギルは身構えるが、体が動かなかった。
「あなたの息子は世界を滅ぼす悪魔です、と」
 そう言うレオンは僅かに目を細め、挑発しているように見えた。アシュリーは顔を上げる。その目は座っていた。彼女には分かった。レオンはザインを侮辱しているのだと。
「おかしな話ですよね。国を守った英雄が、人類を滅亡させる悪魔をこの世に残して消滅してしまったのだから……」
「……おい!」堪らずジギルが口を出す。「何を言ってるんだよ。お前は世界を救っただろう? それが正義とか、そういう気持ちからじゃなかったとしても、お前は前線に立って戦ったんだ。この世界の誰もお前を悪魔だなんて思ってない」
 レオンは表情を変えず、ジギルに目線を移す。
「誰がどう思おうと自由ですが、事実は変わりません。まだ何も終わってはいないのですよ」
「どういう意味だよ。お前に人類を滅ぼしたい願望があるとでも言ってんのか」
「滅ぼしたいとまでは思いません。ただ、考えれば考えるほど、別に、人間を守る必要なんかないんじゃないかと……」
「だったら何も考えるな! でも目は見えるんだろ? 耳は聞こえるだろ? 生きてる人間を見て、話を聞いて、そいつらが少しでも楽になるように行動するだけでいい。そうやっていれば、そのうちお前も共感できるようになる。八つ当たりなら俺にいくらでもしていいから、今は余計なことを考えるな!」



 ガラ、と石が一つ転がった音で会話が途切れた。
 その瞬間、咄嗟に息を止めた者がいた。ティシラとヴェルトだ。一人でふらふらと墓場に向かうジギルを見かけたヴェルトが、起きたばかりのティシラを連れて後を追っていたのだった。様子を伺っているところに白いマント姿のアシュリーが現れ、ただ事ではないと瓦礫の影に身を潜めて会話を全部盗み聞きしていたのだった。
 二人の重大な話に心拍数が上がりつつも平静を保っていたヴェルトだったが、そこにレオンまで来て、アシュリーを挑発する態度を取り、とうとう思考が追い付かなくなっていた。神聖な墓場にそれぞれ性質の異なる重要人物が集まり、一触即発の状態――自分に何ができるのか、むしろ何もすべきではないのかもしれないと頭が混乱する。
 ティシラも収集のつかない状況に苦い表情を浮かべていたが、それ以上に、隣で顔面蒼白しているヴェルトを見て呆れていた。
 先ほど転がった石はレオンの足元から崩れ落ちたものだった。
 ティシラとヴェルトが見つかったわけではないようで、静かに呼吸を整える。
「ちょっと」ティシラが小声で。「どうするの? これ」
 ヴェルトは我に返って何度か瞬きを繰り返す。
「どうするって……どう思う?」
「部外者の私に分かるわけないでしょ。このまま見てるつもり?」
「……ある意味、私も部外者なんだが」
 消極的なヴェルトの発言にティシラはため息が漏れる。が、確かに、いろいろ想像してみても、レオンの部下でしかないヴェルトが出て行っても何もできず傍観する以外に思いつかない。
「まあ……よく考えたらそうね」
「そうなんだ。だからこそどうすべきか、考えあぐねている。アシュリーの正体も、ここに来た理由も、レオン様への思いも分かった。スターブロンは古(いにしえ)の魔法使い。多少の無礼はあっても、ザイン様への忠誠心と信仰心はやはり無碍にはできない。私に、彼女を責める資格はないんだ」
「とりあえず険悪なのは確かだから。喧嘩になったら止めないと」
「喧嘩? あの二人がそんな下品なことを」
「あるわよ。いい加減に現実を見なさい。アシュリーは感じ悪いし、レオンもバカなこと言ってるし。あの中でまともなのはアホ面したジギルだけじゃない」
 ヴェルトは改めて現実を見てみる。ティシラの言う通り、一目置くべき二人は大人気ない表情で睨み合っていた。



 先に目を逸らしたのはアシュリーだった。
「レオン様、先ほど、あなたは私の行動を無駄だと仰いました。その理由をお伺いできますか?」
 再度、緊張の糸が張り詰めた。
 レオンは話すつもりだとジギルは思う。そうでなければ今この場にはいないはず。内容は分からないのに、言う必要のないことだと感じていた。だけど、止めることができなかった。
「おそらく」レオンは満月を仰ぎながら。「父はもうこの世にはいません」
 アシュリーを始め、ジギルもヴェルトも息を飲む。ティシラだけは仕方なく耳を傾けていた。
「もし亡くなっているのなら、この墓場に浮遊する魂に紛れているはずでしょう。アシュリー、あなたには見つけられましたか?」
 月の光を浴びて薄く微笑むレオンは、ぞっとするほど美しく見えた。
 そんな彼をじっと見つめたままのアシュリーは返事をしない。答える必要がないと分かっているからだった。
「人間には認識できない存在と化した、と私は考えています。人間が死ぬと肉体は腐敗し、土に還ります。人間ではなくなった父は腐敗ではなく、別の形で死を迎えたのです。それは決して不幸なことではありません。父は既に寿命を超えていました。しかしそのことを世界中の人々は認めず、意識から消去していたのでしょう。死ぬことができなかった父は寝室と、看病していた者も含め、自らの周辺を『人々の理想の空間』へ作り変えていました」
「……人々の、理想の空間?」とジギル。「どういうことだ? ザインは寝たきりだったのに、そんな魔法を使っていたというのか?」
「かつての英雄は老いてなお、人々の心の支えとして生き永らえている。そこにいるだけでいい――人々のそんなささやかな願いは、父が人間であることを否定したのです。彼の死は一つの時代の終焉。完璧な世界へと昇りつめた人々は、変わりゆくものを受け入れられなかった。平和の礎が失われることを恐れていたのです。私が皇帝として崇められたのも、父の存在があったから。父の延命のためなら致し方ないという妥協の産物だったのです」
「……では」アシュリーは拳を握り、声を震わせている。「私たちの思いがザイン様を苦しめていたと、あなたは仰るのですか」
「父が苦しんでいたのかどうかは分かりません。英雄として人々の願いを叶えたかったゆえ、あのような魔法が発動したという可能性もあります。私は事実を言ってるだけです。父の気持ちは、もう話をできる状態ではなかったので誰も知ることはないでしょうけど」
「話をできる状態ではなかった、というのは……」
「単純に、肉体が衰えていたためです。ただしそれは目に見える表面上のことで、魔法を解除した真実の世界には、父の魂は既になかった、ということです」
「……なかった、のなら……一体、どこへ……」
「それは私にも分かりません。そこにあったのは人間ではなくなった父の姿と、残留思念だったと思っています」
「それが、あの、枯れた蔦……でしょうか」
「そうだと思います」レオンは蔦に目線を落とした。「父を看病していた者も、父の魔法に気づかず、幻に感覚を破壊され実態を失っていました。ずっと見ていたのに、目の前で人間が人間でなくなっても、その変わり果てた姿を認識できていませんでしたから」



 ヴェルトの額から汗が流れ落ちる。音を立ててはいけないと、ぬぐうこともしないまま、レオンの話に集中していた。
(……従者たちからザイン様の容態の報告がなくなったのはそのせいだったのか。誰も気づかなかった……いや、おそらく寝室を覗いた者もいたのだろう。しかしそこには何も変わらない光景があるように見えていたんだ。きっとザイン様の魔力が充満した内気に触れ、その者もまた、人々が望んでいた理想の光景に何の違和感も抱かなかったということか)
 ヴェルトはどこまでも惨めな事実に胸を痛めた。
(だが手遅れではない。今からでもすべてを受け入れればいい。アカシアによる歴史の改竄で一番苦しんでいるのはレオン様なのだから……)
 傷心しているヴェルトを、ティシラが肘で小突いてきた。
「ちょっと、何の話よ。これいつまで続くの」
 ヴェルトは無神経なティシラに苛立つが、気を散らすわけにはいかず返事をしなかった。



 アシュリーの肩が震えていた。
 こみ上げる怒りや悲しみを堪えているのがジギルにも伝わってくる。ジギルはこの話をもう止めるべきかどうか悩んでいた。だが止めるべきだとしても止める方法が見つからない。二人の会話に自分はまったく介入する余地がないからだ。彼に分かるのは二人が冷静ではないということだけ。ただただ嫌な予感しかしなかった。
 周囲の不安を他所に、レオンはの冷たい表情は変わらなかった。
「父が、私たちが認識している死とは違うものを迎えたのだと思うのは理由があります。そこにある蔦……」レオンは目線を落とし。「もうお察しだとは思いますが、私が父の寝室で見たものと同じです。それは寝室から飛び出しました。父の思念が残っていた証拠です。最後は世界中の魔力が減退したことで、完全に機能停止してしまったようです」
「ザイン様は……なんのために……」
 アシュリーが声を絞り出すように呟くが、レオンは遮るように続けた。
「父がこんな姿を晒しても行動を起こしたのは、リヴィオラを守るためでした」
 アシュリーは真っ赤になった目を見開く。
「……もしかしたら、私が魔法を解除したあと、父は外気に触れ、もう一つの歴史のことを知ったのかもしれませんね」
 ジギルも大きく体を揺らした。
「やめろ、レオン……その話はするな」
 レオンは聞こえていないのか、ジギルを見なかった。
「もう手遅れの段階で、私が世界を滅ぼす悪魔で、本来は生まれてくるべきではなかった子であることを知ってしまったのかもしれません」
「やめろよ!」ジギルはとうとう声を大きくする。「それはもう終わったことだろ! エミーが死んで革命が終わって、お前は王になって世界を再興すると決めた。そこで悪夢は終わったんだよ。お前は自分の力で運命を変えたんだ!」
「……残留思念のみの父は――」
 確実に聞こえているのに、レオンはジギルの言葉に耳を傾けなかった。わざと目を逸らしている。その態度が腹立たしく、ジギルは強く拳を握り締めた。
「――本能で動いたのでしょう。それが、私の前に立ちはだかることでした。彼に革命を止める他の方法があったのかどうかは知りません。ただ、悪魔の子の父として、私に世界の未来を任せてはいけない。それが彼の、最期の責任だったということなのかもしれません」
「……違う!」ジギルはそれでも訴え続けた。「さっきから聞いてりゃ、全部お前の憶測じゃねえか。自分の父親だろ? 証拠があるわけでもねえのに、わざわざ悪いほうに考えて何になる。そりゃあ、ずっと引き離されてて、生きてるときにちゃんと話ができなかったのかもしれねえけど、お前らが親子だったのは間違いないんだ。いいことも悪いこともあって今のお前がいるんだ。拒絶しねえで全部飲み込めよ!」
 ジギルの必死の説得はレオンにも、アシュリーにも届いていなかった。
 アシュリーの足元から緩い風が巻き上がり、それが彼女の白いマントを揺らした。
「レオン様は、ザイン様をどうなさったのでしょう……」
「見た通りですよ。魔力を制限するためにリヴィオラを破壊する。そのときはそれしか方法が思いつかなかった。しかし父は反対した。それでも、私は強行しました」
「……なぜ?」
 レオンは鼻で笑った。
「時間がなかったからです」
 ザインの思いを軽くあしらうレオンを、アシュリーは許せなかった。
 直接手を下したわけではないことは分かった。だが、レオンはザインの守ってきたものを、なんの躊躇もなく簡単に破壊してしまったことは確実だった。
「レオン様の有難いお話……我々スターブロンの心に、響きました」
 ジギルの背筋に寒気が走った。
「私たちがここに来た理由……やっと理解できました」
 そこに和解という言葉はなかった。ジギルと、物陰で聞き耳を立てていたヴェルトが身構える。
「あなたは、力を持ってはいけない人……悪魔なのです! ザイン様が成し遂げられなかったことを、私たちが掬い上げる。今、ザイン様の御霊の前で、お誓い申し上げます……!」
 不自然に吹いた風が突如、竜巻になった。
 強く速い風にジギルは吹き飛ばされ、レオンは腰を下げてその場に踏み止まった。
「レオン様、あなたは生まれてくるべきではなかった。それがザイン様のご遺志。それでよろしゅうございますか?」
 風に巻き込まれ大小の石が飛び交う中、ジギルは頭部を守りながら体を起こして大声を上げる。
「アシュリー、やめろ! 挑発に乗ってんじゃねえよ! そんなことをして後悔するのはお前だぞ!」
 ゆったりと浮遊していた魂たちも竜巻に怯えるように散り散りに消えていく。彼らは野生動物と同じだ。怖い思いをしたあと、いつここに戻ってくるか分からない。それでも、死者への敬意を忘れた二人の魔法使いは墓場を荒らすことをやめなかった。
「アシュリー」レオンは風に煽られながら背を伸ばし、両手を広げた。「どうぞ、父の代わりに正義を貫いてください。私に持つ力の全てをぶつけ……そして、私を、悪魔を倒すことができなかった事実を、父に伝えてください」
 ジギルは恐怖で全身が震えた。
 魔法使いの争いに巻き込まれたからではない。
 ザイン派の残党に命懸けで自分を襲わせ、それを返り討ちにする――レオンはそれで一つの区切りをつけようとしているのだと思った。それも彼の考えで意味のあることなら見過ごせる。
 しかし、レオンは醜く歪んだ笑みを浮かべていたのだ。
 明らかな悪意に飲まれ、ジギルはもう声が出ない。足が竦み、逃げることもできなかった。







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