SeparateMoon



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 アシュリーを中心に巻き上がる竜巻は力を増し、周囲の瓦礫を吹き飛ばしていく。いつの間にか、夜空の星に紛れて浮遊していた大量の魂の光はほとんど消えていた。だが八つのそれらだけは悠然とアシュリーの傍で円を描いている。
 レオンの足元も突風で崩れていく。レオンは飛び上がり、アシュリーから距離を取って着地した。
 ジギルは風に紛れて飛び交う瓦礫を避けきれず、頭を庇う体制で地面を転がった。大きな石の壁に背を付け、急いで体を縮めたまま顔を上げた。
 レオンはアシュリーに向き合い、口の端を上げる。風が吹き荒れる中、足元が白い光を帯びる。次に、一瞬にして巨大な魔方陣が浮かび上がり、それが放つ強い光はアシュリーの起こす風を押し返した。
 ジギルはその光に圧倒され、壁に押し付けられる。眩しくて視界が白む。このままでは巻き込まれて、誰も気づかないうちに死んでしまう。逃げたくても風と光で壁に押し付けられて動くことができなかった。
 圧し潰される――ジギルが覚悟しようとした寸前、二人の力が弱まった。ジギルは体の自由を取り戻し、恐る恐る周囲を見回す。
 墓場全体に、大量の黒く細い糸のようなものが張り巡らされていた。それは一本一本すべて直線で、前後左右上下に重なり合っている。糸の先は石や壁、地面に刺さっているように見えた。上空に向かっているものは、地面から縦に生えた糸と繋がっている。
 ジギルの顔や足元のすぐ傍にも、音も立てず、糸が刺さっていた。目を凝らして見ると、それは実態のない細い光だった。改めて周囲を伺う。墓場全体が黒い光に囲われていた。縦横無尽に交わり合うそれらは不規則のように見えたが違った。ジギルとレオンとアシュリーに、触れない程度に、見事に人の体を避けていたのだった。偶然ではないとジギルは思う。この黒いものに触れてはいけない気がして、やはり身動きは取れなかった。
 レオンとアシュリーは黒い檻の発現と同時に、いったんは力を収めていた。彼らも安易にこれに触れてはいけないと判断しており、棒立ちで、そして、同じところを見つめていた。
 二人の視線の先にはヴェルトがいた。彼は両手を広げて胸の前で重ねていた。その指先から、数えきれないほどの細く黒いものが伸びていたのだ。この檻はヴェルトの魔法だった。
 ティシラはヴェルトの足元の崩れた瓦礫の影から顔を出している。
 二人がいることを知らなかったジギルだが、とりあえずはヴェルトが最悪の状況を止めようとしていることはすぐに理解し、ほっと息を吐いた。
 ヴェルトはレオンとアシュリーに睨まれ、圧に負けてしまいそうだった。今にも魔法を解いて両手を地面について謝りたかった。しかし、恐怖と自責の念を振り払い、やるべきことに集中した。
「レオン様、無礼は承知です。罰は受けます……ですが、今は、どうか、冷静になってください」
 ヴェルトの指先から出ているものは、それに触れると糸状の光が瞬時に絡み合い、動くものを切り裂く魔法だった。攻撃として使う場合は、対象は一瞬で細切れになるほど危険な魔法だが、今は体を拘束するだけに調節してある。レオンもアシュリーもそのことを理解はしていたが、今更ヴェルトの言葉に素直に従うような状況ではなかった。
「アシュリー、あなたの……いや、あなたたちの気持ちも受け入れたい。あなたたちの力も、経験も尊いものだ。人に過去は必要だ。執着ではない。歴史を守り受け継ぐことで、かけがえのない矜持を抱き、理想の未来を描くことができるのだから。できることなら最後のスターブロンとして、国の再興に尽力願いたい。だが、どうしても相容れないというのなら、ここを去るといい」
 アシュリーの冷たい表情は変わらなかった。力は収めているものの、とてもヴェルトの話を真摯に聞こうという態度ではなかった。
 ヴェルトはイチかバチかで飛び出したが、少しの時間、二人を足止めすることしかできないのは承知していた。手加減しているとはいえ魔力に限界がある。レオンには到底敵わないし、九人の魔法使いが一つになったアシュリーの持つ魔力は未知数だ。二人の争いが無駄なものなのか、ヴェルトには判断できない。それでも黙って見ていることはできなかった。理性ある魔法使い同士、限界まで歩み寄る努力は必要だと思う。
 それと――と、ヴェルトは注意深くジギルに目線を移す。彼は壁に背をつけて縮こまり、怯えた顔で固まっていた。これ以上ジギルに無理はさせられない。正気を失った状態であんなところにいれば怪我では済まない可能性がある。
「ジギル。そこから離れろ」
 二人から意識を逸らさないように声をかけると、ジギルは目だけを動かして反応した。
 ヴェルトが指先を動かすと、ジギルの周辺の黒い糸だけが移動し隙間を作った。
 ジギルは頭を低くし、壁に沿って地を這った。壁が途切れたところから裏に回れば黒い檻から出られる。彼が状況を理解してちゃんと指示どおり動いていることを確認し、最後まで見届けることなくヴェルトは再び二人に集中した。
 レオンとアシュリーは言葉を発さず、じっとしている。不気味だとヴェルトは思う。おそらく二人の心はもう決まっており、この程度の妨害で変えることはできないのだろう。
 次第に、レオンとアシュリーのそれぞれがの髪の先や服の裾が揺れ始めた。風もなく、体のどこも動いていないのに。その現象が、内側に魔力を溜めているからだとヴェルトには分かった。一瞬で勝負を決めるつもりなのだ。ヴェルトの心拍数が上がっていく。二人が本気を出せば、拘束するだけの黒い檻などすぐに破壊できるだろう。だがほんの少しの隙ができる。その隙がどれほどのものかを見極め、それを利用して優位に立ち、勝機を探りあっているのだった。よく見ると、二人の周囲の空気が揺れているのが分かる。それは壁の壁に身を隠して様子を覗き見るジギルにも見えるほどだった。
「お願いします……」ヴェルトは声を絞り出し。「どうか、この場は、刃を収めてはいただけないでしょうか。レオン様も、アシュリーも、初めてお互いの心理を知ったばかりです。まだ話し合う余地もあります。一度、気持ちを落ち着けてから、何が最善かを、考えていただき……」
 ヴェルトの切実な願いは届きそうになかった。二人はこの状況でどうやって優位に立つか、それだけを考えているようにしか見えない。ヴェルトは情けなくなり、この場から逃げてしまいたい衝動に駆られた。
 気弱になる彼に、足元からティシラが小声で話しかける。
「ちょっと、何やってんの。手加減なんかしてる場合? 殺す気でやりなさいよ」
「む、無茶苦茶言うんじゃない……」
「レオンがあんたごときの魔法で怪我なんかするわけないでしょ。アシュリーだって同レベル程度なんだから、遠慮する必要ないわよ」
 そうかもしれないとヴェルトは思うが、彼らは敵ではないのだ。やはりこれ以上は無理だった。
「とにかく、早く二人を引き離さないと……」
 レオンとアシュリーを信用していないティシラには、このままでは悪い方向に行く未来しか見えなかった。
 二人は瞬きもせずにじっと睨み合っている。一歩でも動けば黒い糸に締め上げられるため、それ自体にはダメージを受けないが一瞬の隙ができる。ヴェルトの目的はそれだけだった。「先に動いたほうが負ける」という状態の中、どちらかでもこの争いは無駄だと気づいて欲しかったのだ。
 しかし、レオンだけは違った。
 ほんの僅か口の端を上げ、片腕をそっと持ち上げた。
 その瞬間、レオンの周囲の黒い糸が彼の体を拘束した。
 ヴェルトは目を見開き、なぜと考えるより早く魔法を解いた。
 ヴェルトがどちらかが動いた直後にそうすることも予測していたアシュリーは両手を空に掲げ、手のひらに白い光を生み出した。それは太陽のように強く発光しており、人々の視界を白く染め、影さえ掻き消すほどのものだった。
 まるで爆発寸前の新星のようだった。その光は体制を崩したレオンに向けられる。
 レオンはそれでも一切の恐怖を抱かなかった。
 そんなことは露知らず、無力な人間が一人、駆け出していた。光で目は眩み、次元の違う抗争からやっと離脱したつもりだった。だが、できなかった。
 ジギルは何ができるわけでも、このあとどうなるのかも何も分からないのに、レオンに向かって片手を伸ばして走り出していたのだった。
 無防備になっていたレオンは視界の端に動くものを捉え、彼もまた反射的に右手に力を溜めた。白く染まった世界に赤い火が灯った。それは一気に放射状に広がり白い光を圧倒した。
 レオンは片手でジギルの腕を掴み自分の背後に引き倒しながら、同時にもう片方の手でアシュリーの攻撃に対抗した。
 地面から空まで赤く染めたそれの衝撃で、壊れかけていた壁や柱は更に損傷し、正面から受けたアシュリーは吹き飛ばされ、かろうじて残っていた城の土台に叩きつけられた。
 光はすぐに収縮し収まった。瓦礫の混ざった強風を浴びて体を縮めていたヴェルトと、急いで物陰に隠れたティシラは目をチカチカさせながら茫然としている。
 アシュリーを取り巻いていた小さな魂たちも、散り散りになり姿を消した。
 争いのきっかけであるザインの遺体とされる蔦は、かろうじて地面に張り付いている状態を保っているが、強い魔力と飛び交う瓦礫で傷ついている。そこから何の感情も感じられなかった。蔦が元は人間だったのかどうかはもう関係なく、ただ、それが死んでしまっていることだけは確かだった。
 咄嗟に力を放ってしまったレオンは肩を揺らして呼吸をしていた。疲労ではない。理解できない現実に混乱し、怒りを抱いていたのだ。
 レオンに投げ飛ばされたジギルは体が震えて立てずにいた。目の前で棒立ちしているレオンの背中からは決して穏やかではない感情が伝わってくるが、ジギルには彼の気持ちが理解できない。
「おい……大丈夫なのか……」
 ジギルは腰が抜けたまま、自分よりレオンの心配をした。
 レオンは振り返ってジギルを一瞥し、膝をついて彼の胸倉をつかみ上げた。
「なぜ邪魔をしたのですか!」
 ジギルは目を見開いて息を飲んだ。
「誰の助けも必要ない! 私は一人であの人を返り討ちにできたのだから……!」
 そう怒鳴るレオンの目に指導者としての素質は感じられなかった。ジギルはそう思った。
「……お前は、まさか……わざと、アシュリーに攻撃させたのか?」
「そうです……彼女の、スターブロンの最後の力を、防御なしに受け、それでも無傷である自信があった。この世の誰も、何を以てしても私を超えることはできない事実を確かめたかったのです」
「なんだよそれ……ほんとに、あれを受けても平気だったって、本気で……」
「当然です。あんな化石のような魔法、リヴィオラを支配した私の敵ではありません。撃ち合うまでもなく、アシュリーの心ごと叩きのめして……」
「いい加減にしろよ!」ジギルも体を起こし、レオンの胸倉を掴み返した。「傲慢も大概にしろ! そうやって力を誇示してどんな国を作りたいんだ。独裁か、恐怖政治か。だとしたら、アシュリーの言うとおりだ。お前は力を持つべきじゃない悪魔だ!」
「違う!」
 レオンは腕に更に力を込め、反発してくるジギルを押し返した。
「私が悪魔かどうかも、私が決めることです。今は悪魔でも、比較対象がいなくなれば悪魔という概念も失われます」
 理解できない人間の瞳に見つめられ、ジギルは言葉を失った。体の力が抜け、手を放すジギルにレオンは詰め寄った。
「ジギル、あなたはなぜ、先ほど飛び出してきたのですか?」
 その問いに、ジギルは心臓を掴まれたような痛みを感じた。
「脆弱で、無力な人間であるあなたがあれを浴びていたら、痛みも感じずに蒸発して消えてしまっていたことでしょう……それほどの力の差を前にして、私の盾になれるとでも思ったのですか?」
 レオンの言うとおりだと思う。今更ながら背筋が凍る。
「わ、分からない……」ジギルは再び震え出し。「何も考えてなかった。気づいたら、飛び出してた……」
「何も考えてなかった? では、今はどうですか? 自分がしたことをどう思いますか?」
「……バカげてると思う。でも、俺は危険だと思ったんだ」
「仮に私が危険だったとしても、魔法使い同士が命を賭けて戦おうとしていました。そこに部外者であるあなたが介入する意味は?」
「そ、それは、悪かったよ……俺が間違ってた」
「では、いつかまた同じような状況に居合わせたときは同じ行動は起こさないのですか?」
「え……?」
 ジギルにはレオンの質問の意図が分からなかった。ただ、彼は何かを知りたがっている。この疑問に「正解」はない。それでもジギルは答えた。
「……目の前で、人が殺し合っていたら、俺はきっと、黙ってはいられないと思う」
「その行動が、どれだけ愚かで滑稽で、何の役にも立たなかったとしても? 何の算段がないのに飛び出すなんて、愚者のすることです。自分の感情どころか行動も制御できない幼子と同様ではありませんか?」
「そ、そうかもしれねえけど、あの瞬間にそんなこと考えていられるかよ」
「それが……英雄の素質ですか?」
「はあ?」
「やはり理解できません。無意識に他人のために身を挺すことが求められることがそんなに素晴らしいのですか?」
「俺は他人のためじゃない。自分のためにやったんだ」
「どういう意味ですか?」
「他の奴とか、英雄がどうかは知らない……でも俺は、もう誰も目の前で死んでほしくないんだ」
 ジギルはそう言うと同時、またあの感覚に襲われた。この墓場で一人、光る魂を見つめていたとき、閉じられていた箱の蓋が開いて中から何かが溢れ出てしまいそうな「痛み」だ。ジギルはそれが何なのか確認するより早く、再び蓋を閉じた。そうしなければ溢れて壊れてしまいそうな気がしたからだった。
 目の前のレオンの青い目が更に冷たい火を灯した。それが怒りなのか、哀しみなのか、今は誰も分からない。
「きっと……私に必要なのは、そういう感情なのでしょうね」
 ジギルの胸倉を掴む手から僅かに力が抜けた。少しでも気持ちが落ち着いてきたのかと思ったが、違った。
「私はどうすれば人々の心の拠り所になれるのでしょう……例えばジギル、あなたを消してしまえば、相対的に今まで悪魔だった者が英雄になるのでしょうか」
 ジギルの背筋にゾッと寒気が走った。落ち着いてきたどころではない。どうもレオンはもっとおかしな方向に進んでいるようだと思う。
「そ、それは違うんじゃないかな……相対的じゃなくて、強制的だし……」
「そうですよね。それで解決するならこんなことにはなっていません……」
 レオンはジギルから手を離し、顔を寄せ、白く細い指先で彼の頬を撫でた。
「では、あなたのその目を、心を、血肉を……物理的に体内に取り込めばいいのでしょうか。そうすれば、私はあなたになれるのでしょうか」
 そんなことを呟きながら、手をジギルの胸、つまり心臓の辺りに当てる。
 ジギルは身震いを起こし息を飲んだ。やばい、やばいと心の中で何度も繰り返す。
 レオンとて本当にそんなことをして願いが叶うとは思っていないだろう。それでも苛立ちが頂点に達したとき、どれだけ力を持っていても手に入らないものがある現実を壊してみようかと行動を起こす可能性は十分にある。彼は既にそれに近い行動を起こしたことがあり、世界を滅ぼすことができる「悪魔」なのだから。
 もうダメだ。これ以上話をしても何も解決しない。自分の考えもレオンの気持ちももうどうでもいい。怖くて怖くて、ジギルはただここから逃げ出したかった。彼の疑問に答える余裕を失っていた。







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