SeparateMoon
14
ジギルは自分の手のひらを見つめながら項垂れていた。
あれから丸一日寝ていたらしく頭がぼんやりしている。しかしもう傷はほとんど塞がっており、強い苦痛は感じられなかった。
これは魔法だと、ジギルは思う。普通なら死んでいるということは除外したとしても、人の手による治療であればもっと時間がかる。骨折もあった。内臓も損傷しており、激痛だけではなく高熱が出ていてもおかしくないはずなのに、ジギルにはそれがなかった。だからなのか、脳がいまいち追いついていない気がしていた。
この集落は元は小さな村だったらしく、崩壊した民家が密集していた。住民は生き残っておらず物悲しい状態だったが、生きるためにと集まった人々が遺体を片付けたあと、建物を修復し、残っていた食料や生活用品を整理して今に至る。
一つの民家を怪我や病気を患った人々の療養所としていた。ジギルは重症のために個室に寝かされており、床に敷かれた布団の上で目を覚ました。
早朝は静かなものだった。割れた窓には板が立てかけられており、その隙間から朝日が差し込んでいる。決して清潔な部屋ではないが、似たようなところで育った彼には久しぶりに落ち着ける空間だった。
ジギルは滑らかに動く指を見つめながら不思議な気持ちになっていた。
(……確かに、怪我が治ると思考力も戻るもんなんだな)
あれだけ死を望んでいた自分が幻のようだと思う。今も前向きになったわけではないが、重体だったときほどの絶望感はなくなっていた。
ユリナの言うとおりだった。醜態を晒してしまった自分が恥ずかしくなるが、そんな感情も彼女の治療能力に伴う結果の一つだと言える。
(だからって、何も変わっちゃいない。俺は全部投げ出して逃げたんだ。どこにも居場所はない)
体が動くようになったのだからここを出て行こう。だけど、どこに? と言っても、今いる場所の位置が分からない。目的地なんかないし、またどこかの集落にたどり着いても面倒なだけだ。
そんなことを考えていると足音が近づいてきた。誰だかなんとなく予想はできた。
「おはよう、ボロ。起きてた?」
狭い部屋に思ったとおりの人物が元気よく入ってきた。ユリナだ。ジギルはちらりとも目を合わせずに俯いたままだった。
「すっかり治ったでしょ?」ユリナは隣に腰を降ろしながら。「凄いでしょ? 私の魔法」
余計なことを、と思うが、ジギルは無視したまま黙っている。するとユリナは人差し指で彼の頭をつつきながら笑った。
「何考えてるか当ててあげようか? 余計なことしてって思ったでしょ?」
いきなり当ててくるユリナに驚き、ジギルは僅かに体を揺らした。
「そうよね、怪我が治ったら簡単に死ねないもんね。自殺は大変だよ? 怖いよ? やるなら止めないけど、失敗したらまた治すからね」
能天気な口調で図星を指され、さすがのジギルも困惑する。
「言ったでしょ? 私は君みたいな人、たくさん見てきたって」
――違う、とジギルは思う。自分は今世界中にいるすべてを失った者たちとは違う。それらから奪った側だから……。
「あ、今、自分は違うって思ったでしょ?」ユリナは更に続ける。「自分はもっと辛いんだ。他の奴らと一緒にするなって……」
「い、いい加減にしろ……!」
ジギルは堪らず顔を上げ、ユリナを睨み付けた。それでも彼女は笑っていた。
「いいね、その調子だよ。体が元気になると心も元気になるの。死にたいなんて思うのも人間だからだよ。大事なのは、心を癒してくれる人がいるかどうかってこと。君には私がいる。それは幸運なことなんだよ」
「自分で……」
「自分でそういうこと言うかって? 別にいいじゃない。実際に私の力で元気になった人がたくさんいるんだから」
「それが……」
「それが迷惑な人もいる? いないよ。怪我が治って嫌な人なんか一人もいなかったよ。そのあと人生をどうやり直すかは自由だよ。また戦いにいくのも死ににいくのも、選択できるのは体が元気だからでしょ。私は人の感情はコントロールできないし、しないよ。元気になったら人は勝手に歩き出すから。君もそうでしょ?」
「しん……」
「死が救いになる者もいる? それを証明できる? 死んだ人は生き返らないし喋らない。殺したいほど恨まれる人もいるけど、そんな人も感じる苦痛は同じだよ。でも世界中の人を救うことはできない。だからせめて目の前にある理不尽な痛みを取り除きたい。私には力があるから」
「それで……」
「ん?」
「は?」
今まで間髪入れずに喋り続けていたのに急に口を閉じたユリナにジギルは面食らう。
「なに?」
「なにじゃねえよ。先読みもお前の能力じゃねえのか」
「違う違う。君みたいな人、今までたくさん見てきたって言ったでしょ。何度も同じこと言われてきたから慣れてるだけ。で、なに?」
ジギルは調子を狂わせられながら、いったん呼吸を整えた。
「……それで、お前が死んだらどうするつもりだよ」
「へえ」ユリナは意外そうに目を見開く。「私の心配してくれるんだ」
そう解釈されると思っていなかったジギルも目を丸くし、すぐに眉間に皺を寄せた。
「さっきから他人のことばっかりだから……」
「私は平気だよ。私は凄い魔法使いだから」
「はあ? なんだよ凄いって。ガキか」
「本当だもん」
「でも今は魔力が制限されてるんだろ」
「なんで?」
「なんでじゃねえよ。石が壊れて魔力が枯渇してんだろ。お前本当に魔法使いか」
「へえー詳しいね、君」
ジギルは息を飲む。ユリナに誘導尋問されているような気がして、これ以上は余計なことは言うべきではないと語気を弱めた。
「もういいから俺なんかに構うな。治療は十分だ。俺は出て行く」
「出て行く? どこに?」
「関係ねえだろ」
「来たところに帰るの?」
「知るか」
「どこから来たの?」
「うるせえな」
二人が取り留めのない話をしていると、ノックもせずにカロンが侵入してきた。途中から話が聞こえていた彼は挨拶もなく割って入る。
「おい、ボロ、質問に答えろよ」
「はあ? 何なんだよ、お前ら二人して」
「お前は本当なら死んでた。でもユリナのおかげで生き返ったんだ。これからどうするつもりなのかくらい答えろ」
「どうもこうもねえよ。俺は命なんか惜しくない。なんだか知らねえけど何度も何度も死に損なってる。ただそれだけだ。誰が好き好んでこんな世界に執着するっていうんだよ」
「なんだその言い草は」カロンは奥歯を噛み、睨み付ける。「革命とかいうバカバカしい暴動でどれだけ犠牲が出たと思ってんだ。お前に取ってどんな世界だろうが、それを守るために命駆けた奴を見下してんじゃねえぞ」
ジギルの隣に腰を折り、カロンは彼の胸倉を掴み上げる。ユリナは二人の剣幕に驚き、目を丸くして黙っていた。
「見下してんのはお前らだろうが」ジギルはカロンの手を振り払い。「そのせいでバカバカしい暴動が起きたんだ。生きる価値のない世界を作ったのはお前ら魔法使いなんじゃねえか」
カロンは少し考え、ユリナに目配せした。
「そうなのか?」
「そうなの?」
素知らぬ顔で首を傾げるユリナを見て、ジギルは呆気に取られた。
「なんで他人事なんだよ。お前らランドールの魔法軍だろ」
「そうよ」
「スカルディアがどうしてできたのか、知らないわけじゃないだろ」
二人は再び目を合わせた。
「スカルディアって、なんだっけ」
あまりにも予想外の反応に、ジギルが首を傾げたい気持ちになる。
(……もしかして、こいつら雑魚魔法使いで、何も知らないんじゃ……)
そんな考えをまた読まれたのか、ユリナが笑い出した。
「言ったでしょ。私たち山奥の出身なの。優秀だから駆り出されただけだし。だからあんまり詳しいことは知らないの」
「はあ?」
「知らないっていうか、あんまり覚える気がないの。興味がないわけじゃないけど、そんなに大事なことでもないのかなってなっちゃうの」
「大事なことでもない? あの大量虐殺が?」
「んー、その原因とか、因果的なものとか」
「だったらお前らは何と戦ってきたんだ」
「攻撃されたら応戦するしかないじゃない?」
ユリナがカロンに顔を向けて「ね?」と声をかけると、カロンは返事をしなかったが、否定もしなかった。本気だとしても狂ってるし、冗談だとしても不謹慎だ。この会話が時間の無駄だと感じたジギルだったが、はっと顔を上げる。
「じゃあ」ジギルはカロンを睨み。「さっきの説教は何だよ。よく分からないのに俺を怒鳴りつけたのか」
表情を変えないカロンの代わりに、ユリナがジギルの肩を叩く。
「まあまあ。こいつはそういう奴なの。気にしないで」
「気にしないでって……」
ジギルは戸惑うしなかった。この二人はなんだか変だ。今までに見たことがない種類の魔法使いだと思う。
いつもの癖でまた考え込もうとしたジギルを遮るように、ユリナが顔を寄せてきた。
「ねえ、ボロ。君、なんかいろいろ詳しそうだね。何知ってるの? 教えて」
ジギルはギクリと肩を揺らした。
そういえば、自分の周りいた魔法使いはほとんどが位の高い者ばかりだった。博識で物分かりが良く、理解も早い。そうではない者との会話はあまり慣れていないことに気づく。しかも彼女らはそうではないどころではなさそうだ。これだけのケガを短期間で治療した魔法使いだから、ついいつもの調子で話してしまったことを後悔する。これ以上自分に興味を持たれるのは御免だ。ジギルは背を向けて横になり、布団に潜り込んだ。
「疲れた。まだ体調がよくない。休ませてくれ」
「えーっ」ユリナは不満そうに声を漏らした。「なら仕方ないか」
「仮病だろ」と言い捨てるカロンを宥めながら、ユリナは踵を返した。
「まあ、時間はゆっくりあるし、またあとでお話しようね」
遠ざかっていく二人の足音を聞きながら、ジギルは布団の中で不安を募らせていた。
あの二人のことが掴めない。バカなのか、バカの振りをしているのか――後者だとしたら、自分を怪しんでいる可能性が多いにある。なぜ? 先ほどの不可解な会話もどこまで本当なのか分からない。革命軍に恨みがあり復讐したいのだろうか。いや、と思う。そうならばアンミール人を魔法で治癒し助け、共同生活などするだろうか。何かの目的の途中の暇つぶしか? 油断させて人を集めて何か企んでいる?
それとも、また自分の知らない思想を持った魔法使いなのだろうか。魔法軍の中でも派閥がある。
(そういえば……黒いマントを持っていたと言った)
赤と白は見た。黒があってもおかしくはない。
(ということは、マーヴェラスの、また別の派閥……? だったら今度は何だ? 何を考えているんだ)
ジギルの額に冷や汗が流れた。
(たぶん……あいつらはバカだ。そして、高等な魔法使い)
なんとなく、しっくりきたジギルは更に不安を募らせた。スカルディアと聞いても忘れているような態度だったが、軍服があれだけボロボロになっていたのは前線で戦っていた証拠。決して無能ではないはず。何よりも、死にかけた人間のことを知り尽くしていた。あれは妄言ではない。経験から得た知識だ。彼女たちは地獄を見てきた。少なくとも、自分よりは。
ジギルは布団の中で体を縮めて丸まった。
(知りたくない。関わりたくない……)
前の自分なら後先考えずに知らないものを知ろうと好奇心に従っていただろう。だけど、もう嫌だ。
もう、他人の苦しみや悲しみに触れたくない。
一晩眠ったあと、ジギルの傷は更に癒えていた。
浅い傷はもう痕も残っていない。腹部や背中の疼く痛みはまだ感じるが、もう全身包帯だらけだったときの苦痛は思い出せないほど体が軽かった。
また朝から乗り込んできたのは村人の一人だった。草臥れた中年男性で、無愛想にジギルに声をかけた。もう重傷者じゃないから大部屋に移動しろ、と。
無愛想はジギルも負けていない。返事もせずに男のあとを着いていった。
ジギルは朝の白い太陽の光に目を顰め、足を止める。男は待ちもせずに集落の一軒家に入って行った。
空気がきれいだと思った。平野の先は森が連なり、空には雲一つなかった。清々しいとはこういうことなんだろう。だけど、何もする気が起きなかった。今は本を読みたいとも思わない。こんな気分は初めてのような気がする。
周辺が騒がしくなった。振り返ると、集落の人々が数人集まっている。皆がユリナを囲んでいた。
「みんな、おはよう」
誰も朝から元気だった。怪我の様子を見てもらいたいようで、裾や袖を捲っている。しかし、なんとなく違和感があった。ジギルはぼんやりする頭のまま、それらを眺めていた。よく見ると、彼女を囲んでいるのは全員男だった。若者から老人まで――ああ、とジギルはため息が漏れた。
ユリナに邪な気持ちを抱く男たちの集まりだ。男たちは張り合うように彼女に詰め寄り、服を脱いで傷を見せようとする者もいた。
ユリナという治癒の魔法を使う美しい女性は、あの地獄を生き延び、未来も希望もない状況の中に差し込んだ温かい光だったのかもしれない。
それにしても、と思う。
(……気持ち悪ぃな)
怪我を診てほしいのは女子供も同じ。今に始まったことではないだろうが、顔に包帯を巻いていたり足を引きずったりしている女性の数人が、遠巻きに軽蔑の眼差しを向けていた。
(革命の前は魔法使いに虐げられていたってのにな。もうそんなことも忘れたか……)
ユリナはヘラヘラしながら一人ひとりを相手している。きっと純粋に体の心配をしているのだろう。それにしても警戒心がなさすぎないだろうか。そんなことを思った矢先、一人のハゲた男がふらつきながらユリナに抱き着いてきた。
えっとジギルが目を見開くと、ユリナは間髪入れずに男の頬を殴り飛ばした。
「大丈夫。君はもう治ってるよ」
ユリナは拳を握ったまま笑顔で言い放つが、二回転くらいした男は足元で倒れ、気を失っている。他の男たちも苦笑いを浮かべ、それ以上彼女に近寄ろうはしなかった。
ジギルが心配する必要はなかったようだ。それだけではない。「アレ」がいる。
「おい、てめえら!」カロンの怒号が響いた。「またユリナに嫌がらせか。並べ。全員殺す!」
建物から出てくる彼の姿を見るなり、ユリナに集まっていた男たちは虫のように散っていった。
そういえば、カロンはジギルに彼女に手を出すなと釘を刺していたことを思い出した。こんなのを毎日見ていたらそう言いたくなるのも頷ける。
(しかしまあ、あんな怖い護衛がいるのに、よくやるよな)
ジギルは高等魔法使いの強さはよく知っている。カロンだけではない。ユリナもそこらの村娘と同じだと思うと痛い目を見るだろう。先ほどのように。それとも、こういう時代だからこそ、今まで手の届かなかった高根の花に近づけると勘違いしてしまうのだろうか。
レオンのいた場所ではそんな下品な人間はいなかったし、スカルディアも化け物だらけではあったが、治安は悪くなかった。
(やっぱり、教育って大事なんだな)
まあ、どうでもいいけど、と、ジギルは興味を失った。
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