MurderousWorld
09-Relation




「本性?」鋭い目を、更に細め。「あんたの本性って、どんなの?」
 ブラッドは動揺もせずに、頭を捻りながらテーブルに肘を付いた。
「どんなのだろう? 僕は別に普通にしてるつもりだけどなあ」
 嘘をついているようにも見えなかった。エイダの言う「母性本能をくすぐる」というのも分かるが、ルークスはそのことに関心はない。女々しく、頼りなさそうなこの男が、生まれついて強暴な獣人を簡単に倒した。誰もが驚くことであり、ルークスも例外ではなかった。しかし、ブラッドは彼の好奇心には気づいていないのか、気づいていない振りをしているのか、急にビールを一気飲みして机に顔を伏せた。
「あーもう、なんだよ。彼女のことは思い出したら今でも落ち込むんだよ。もうその話はしないでくれって言っただろう」
 エイダも負けずにジョッキを空け、すぐに次の酒を注文する。
「ふん、たった一人に振られたくらいで。俺なんか何人に足蹴にされたと思っているんだ」
「何人にモテたって仕方ないんだよ」
「あ、この野郎。やっぱり自分でモテてるって思ってるみたいだな」
「違うって」ブラッドは顔を上げ。「大体なんでこんな話になってるんだよ。君はフィアとうまく行ってるんだろう。早くルークスにお礼を言いなよ」
 途端にテーブルが静かになった。まるで見計らったかのように次の酒がテーブルに運ばれてきた。ブラッドがいじけた様子で酒をそれぞれに配ると、ルークスとエイダは黙って受け取る。なぜ急にエイダが止まってしまったのか、その理由を聞こうとする前に、エイダの頬がジワジワと緩み始めた。
「エイダ」ブラッドが目を吊り上げる。「なんだその顔は。散々人を責めておいて。聞いてやるから早くどうなっているのか話せよ」
 エイダは我慢できなくなり、顔を赤くして万遍の笑みを浮かべる。そのだらしない姿は、今までの自虐的な発言を一転させた。遠慮なく白けているルークスにエイダは深く頭を下げた。
「いやあ、君にはほんとに感謝してるよ」わざとらしく口調も変えて。「また中身のない色男に邪魔されたものだと思いこんでしまったけど、君はそうではなかったんだね」
 本当に感謝しているのだろうか。ルークスはあまり素直には受け入れられず、体を引く。
「君がフィアに声をかけてくれたお陰で話す機会が増えたんだ。今までどんな女も俺を見て怖がってたのに、彼女だけは違ったんだ。これは運命の出会いだと、確信したよ。これから俺はもっと強くなってもっと稼いでフィアを幸せにするんだ。やっと俺の生きる目的が見つかった。ありがとうな、クソガキ」
 やはり、言葉の端々に敵意を感じる。ルークスが睨むようにエイダを凝視しているのに気づき、ブラッドがフォローに入る。
「あ、あのね、エイダはこないだまで君みたいな美形を死ぬほど目の敵にしてたんだ。それがこうして、一緒に酒を飲んでお礼を言うってのはかなりの変化なんだよ。だから、口が悪いのは大目に見てあげてくれないかな」
「…………」
「君のお陰でエイダも変われたんだ。コンプレックスを克服して幸せを目指してる。こんなにいいことはないだろう。絶対仲良くなれると思うよ」
「……仲良く?」ルークスは厳しい目をブラッドに向ける。「お前、何言ってんの? 俺がこんな低脳なサルと仲良くなんかするわけないだろ」
「なんだと?」
 エイダも牙をむき出す。ブラッドは慌てて。
「まあまあ。二人とも、せっかく縁があって出会ったんだから。友達になるかどうかは今後の流れに任せて、今日は仲良く飲もうよ」
「だからさ、縁とか仲良くとか、気持ち悪いって言ってるだろ。なんなんだよ。お前ら殺し屋だろ? なんでそんなに平和に生活してるわけ?」
 ブラッドとエイダの表情が、ふと固くなった。ルークスはその変化に気づいたが、動じない。一瞬の間でブラッドがエイダに目配せをした。「お前は黙っていろ」という指示だった。ブラッドはルークスに向き合い、肩の力を抜く。
「殺し屋じゃないよ」ゆっくりと、諭すような口調だった。「冒険屋という職業だ」
「同じだろ」
「同じじゃない。僕たちは人を殺すために生きてるわけじゃないから」
「ふん」ルークスは口の端を上げ。「じゃあどうして人を殺す? 仕方なくか? 金が欲しいからか?」
「……そうだね。仕方ないで済むことじゃないのは分かってるけど、何かを手に入れるために何かを奪い、誰かを守るために誰かを傷つけなければいけないことがある。悲しいことだけど、それは僕たちで言う一般人、つまり『弱者』も同じことをしていることに気づかない者も多い。人より多くを持つ者は憎まれる。僕たちはその矢面に立たされ、痛みを受け入れるべき人種。なぜなら、攻撃に耐えられるように鍛え、相応する報酬を手にするからだ。その意味が分かるか? 僕たちはこれでも目的を持って戦っている。批難は甘受しよう。でも、信念を持って足掻いている者を嘲笑う権利は、誰にもない」
 ルークスはブラッドの瞳をじっと見つめ返していた。ルークスは無意識にブラッドから何かを盗もうとしていたのだ。一見どこにでもいそうな、この何の特徴もない一人の男が時折見せる、秘められた能力、知識、経験を、ルークスは零すことなく掬い上げていた。きっとブラッドが今見せているものはほんの僅かな一面に過ぎないということも鋭く感じ取っている。ルークスはこうして、盗むことで成長してきた。今まで、誰も、何も教えてくれなかった。だから、自分の力で手に入れてきた。そうしなければ生きていけなかった。
 ブラッドも、彼がただ気に入らないという理由だけで人を煽っているわけではないことを素早く読み取った。目的に合わせて言葉や態度を選び、相手から何かを引き出す技術を身につけている。一番多感で敏感な時期の少年に、そう簡単にできることではない。ブラッドはルークスの、常に何かを探しているような深い眼差しに僅かながら震えを感じた。
 すべてに逆らい、理由なく人を傷つけることを楽しんでいるだけかのような抜き身の少年の凶暴さは、攻撃するための武器ではなく、自分を守るための盾。そしてそれはまだ完成されていない。これから先、組織という社会に入り、自分より力を持つ者から何をどれだけ盗み、そしてそれをどう装備していくのだろう。ブラッドは彼に対する興味の種類を、「楽しみ」から「末恐ろしい」へと変化させていた。
 しかし、ルークスという少年の歪んだ思考は諸刃の剣でもあると思う。本人がそのことに気づいているのかどうかは分からないが、もし自分の器に相応しくない何かに触れたとき、きっと彼の入れ物は壊れてしまうのだろう。それは、誰も逆らうことのできない自然の摂理なのだから。彼にはそのことを教えてくれる師が必要だ。そうでなければ、自分を過大評価した彼はいつか、誰にも救われることなく惨めな死を迎えることになるだろう。
 これは自分の手には負えそうにない。ブラッドは「己の器」に限界を感じ、これ以上彼に「教える」ことをやめようと思った。そうでなければ、自分の方がルークスにすべてを吸い取られてしまいそうだったからだ。自分にはもっと素直な部下が似合っている。
 ブラッドが警戒を解こうとした寸前に、エイダが溜まらず口を出した。
「ブラッド。何のつもりだ」
「え?」ブラッドは我に返る。「何が?」
「……どうしてそんなガキに説教なんかしてんだよ」
 ブラッドはとぼけて首を傾げた。しかし彼にはエイダの気持ちが分かっていた。エイダは、ブラッドが部下でもないルークスに多くを語ろうとしているのが面白くなかったのだ。つまり、簡単に言うと「嫉妬」だった。エイダもここまで来るのに時間と苦労を費やしてきた。その末に身につけたものを、生意気な子供に、こんな酒の席であっさりと盗まれることが許せなかったのだ。これがただの友達同士の語りならば気にならないのだが、ここにいる三人は、あくまでも組織の中でそれぞれの地位を持つ者である。順序を間違えることは混乱や反乱を起こすきっかけになり兼ねない。ブラッドは立場を弁えなければと反省した。
 ルークスは眉間に深い皺を刻んでいた。笑顔の似合う緩そうな男と、巨大で乱暴なサルの関係に違和感を覚えてならなかったのだ。本心では、エイダが低脳で軟弱などとは思っていなかった。訓練された獣人の恐ろしさも、本当は知っている。それを従わせ、言葉だけではなく力で操るブラッドがどうしても理解できなかった。ルークスは理屈でなく、体で覚えなければ気が済まない性質だった。どうすればこの疑問を解決できるのだろう。できれば、今ここで解明したい。
 ブラッドをもっと煽るべきか。エイダを利用してでも、本気で怒らせてみようか。力任せに殴り合ってみれば彼の戦力くらいは計れるのかもしれない。
 ルークスはそんなことを考えていたが、これ以上の介入はブラッドが許可しなかった。
「ごめん、ごめん」ブラッドは大口を開けて笑い出す。「なんか白けちゃったね。とにかく飲もうよ」
 来たばかりのビールをぐっと空け、すぐに三人分の追加注文をする。
「よく考えたらエイダとルークスはある意味初対面も同然なんだよね? そうだ、エイダ、彼はルークスって言うんだ。ルークス、君は配属はどこか決まりそう?」
 ルークスは無理やり変えられた空気に小さく舌打ちしながら、顔を逸らした。
「いや。明日の仕事が終わったらって言われた」
「そうか。仕事って言ってたね。初任務だからそんなに難しいことじゃないだろう? 元々経験豊富そうだし、気楽にね」
 難しいことじゃない――いきなり戦場に行かされる者への言葉ではない気がした。ルークスは、ブラッドは何も知らないのだと思う。マニュアルには「任務内容は例外を除き口外してはならない」とあった。なんとなく疑問を感じながらも黙ってビールを飲み干した。
「エイダも仕事だったね。えっと、ああ、あれか。ちょっと大変だけど、フィアのためにも頑張らないと、ね」
 エイダの仕事は把握しているようだ。ルークスはやはり探りながら、しかし完全に防御壁を張られた今は、これ以上の情報を得るのは難しいことを悟る。もう少し飲んだら帰ろう。そう考えていたが、フィアの名前を聞き、エイダが再びテンションを上げてきた。
「そうだ。フィアのためだ。俺はこれからすべてフィアだけのために生きるって決めたんだ!」
 エイダはいきなり大声を出し、仰け反ってジョッキを一気飲みする。そこへちょうど次のビールが運ばれてきた。
「よし」エイダは続けてジョッキを掴み。「ガキ、飲め」
「……は?」
「まさかその顔で下戸だなんて言わねえよな。そんなに自信があるなら酒で俺に勝ってみろ」
「……顔は関係ないだろ」
「飲めない奴がモテるわけないだろ。俺に勝てば舎弟にしてやる」
「ふん。サルの舎弟になるくらいなら死んだほうがマシだね」
「なんだと!」
「ちょ、ちょっと」ブラッドが慌てて割り込む。「君たちは明日仕事なんだろう? ダメだよ。飲み比べは今度にしなよ」
「うるせえ」エイダはブラッドを睨み付ける。「てめえも飲め」
「えっ」
「明日仕事の俺たちが飲むんだ。暇人のお前はそれ以上飲むのが礼儀だろうが」
「な、なんで……僕はあんまり飲めないよ」
 どうして自分が飲むと決められているのだろうとルークスは思いながら、素知らぬ顔でジョッキを空ける。それを見ていたエイダが牙を見せて笑った。
「いいね。やる気になったか」
「飲み比べなんて下品なことはしない。俺は人間らしく酒を楽しむ。よかったらモテる飲み方を教えてやろうか?」
 ルークスまでその気になり始めている。ブラッドは青ざめた。エイダが酒豪なのも、酒癖が悪いのも知っている。巻き込まれたくないと心底怯えた。
「や、やめようよ。これで仕事に遅刻したら大変なことになるよ?」
「何言ってんだ。てめえが呼び出したんじゃねえか。俺はどれだけ飲んでも仕事に支障を来たしたことはない。まあ、そこのお子様はどうだか知らないけどな。どうする、やめておくか?」
 ルークスは目尻を揺らした。この程度の煽りに乗せられるのも悔しいが、ここで「明日仕事だから」と帰るのは情けないと感じたのだ。酒くらい飲める。このブサイクなサルを叩きのめして明日の初陣に挑むのも悪くないかもしれないと、ルークスは目を細めて気合を入れてしまった。
 その隣でブラッドが背を丸めていた。しかしここで逃げるわけにはいかない。できる限り存在を消して、せめて遅くならないうちに二人を帰そう。それだけでも済ませたら後のことは関係ない。そう思って固唾を飲んだ。



   




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