千獄の宵に宴を



 第十一場 魔界の森 


3


 虚空は森の中を歩きながら神経を張り詰めていた。宝を手に入れた。問題はここからである。
 炎極魂から発せられる異様な力が虚空の体に纏わりついていた。こんな違和感は初めてだった。違和感だけではない。熱いような冷たいような、時折噛み付かれているような不快感がある。何よりも彼を不安にさせるのは、炎極魂から発せられる嫌悪だった。これほどの重圧感、気を抜けば自分が食い殺されかねない。
 内側では二つの魂が喧嘩し合っていた。他人の体から無理やり引き剥がしたばかりなのだから仕方ない。馴染むまで時間がかかるだろうと思う。
 虚空の心配はそれだけではなかった。こんな不安定な状態の中で敵から身を守れるかどうかである。
 上空でカラスたちが、警告に似た高い声を上げた。先ほどいい餌を与えたばかりだというのに……虚空は眉を寄せ、膝に力を入れた。
 カラスたちの飛行が乱れ、黒い羽が舞い散る。その羽に紛れて、一人の男が虚空に影を落とした。瞬時に虚空はそれを捕らえ、翼を広げて飛び上がった。
 虚空と入れ替わるようにして、地面には一本の刀が突き刺さっていた。虚空は大木の枝に着地し、息を潜めて目線を落とす。大地には刃先を中心に亀裂が走っており、その恐ろしい破壊力を持つ刀の傍では、一本の角を持つ妖怪が柄を掴む手に力を入れていた。
 男は、虚空と同等の妖力を持つ妖怪、才戯。恐れを知らない切れ長の真紅の瞳。均等の取れていない禍々しい一角。神々しいほどの頭角は、昔は左右にひとつずつあった。彼にとって象徴的なその片方を失ったことは、力の欠如を意味しているのではなかった。逆である。才戯は力を得るために自ら角を斬り落としたのだと言う。
 その理由は、今は才戯の体の一部のようなものである「牙落刀」にあった。それは魔界の奥に眠る、誰も手にすることができない呪われた宝刀だった。何年も眠り続けている間に、数多の高等妖怪がものにしようと試みた者は少なくなかった。虚空もその一人だった。しかし虚空でさえ、近付くだけで放たれる怨念に正気を失いそうになり、これは刀としての役目を果たすことのできない哀れなガラクタだという結論を出した。思い通りにならないのは悔しかったが、どうせ誰も使いこなせないものならば、ないものと認識すればいい。そのときはそう思った。
 だが、あるとき牙落刀が目を覚ましたという情報が耳に入った。魔界中の妖怪が恐れた。あんなものを支配するほどの妖怪が存在すること、そして、牙落刀の計り知れない切れ味に、虚空も興味を示した。
 だから会いに行った。そこにいたのは、角を一つ失った才戯だった。虚空はその姿を見て、話も聞かないうちに不思議と納得してしまった。それでも理由は聞きたかった。どうやってその刀を手に入れたのか。
 問われ、才戯は隠すことなく答えた。
「こいつは腹が減ってただけだ。だから餌を与えた」
 その餌が、彼の角だと虚空はすぐに理解した。それ以上の説明は不要だった。妖力の源でもある才戯の角の一つを刀に取り込ませることで、自分の体の一部として、角一本にある妖力よりも強大な武器を手に入れたのだ。
 一言で言い表せるほど容易いことではなかったのは分かる。才戯ほどの妖力を持ち、その上に、天から堕ちた鬼神の末裔である彼の特異な体質あっての奇跡。そう言っても過言ではないと思う。
 才戯は強さ以外には興味がなかった。その為なら自分の体を削ることなどなんとも思わないのだろう。もしも強者に挑んだ末に命を落とすのであれば、潔く負けを認めて地に還る。それほどに一本筋の通った、虚空にとっては目障りな存在だった。
 そんな彼が炎極魂を追わないわけがない。虚空はそれを持ったときに、必ず才戯は来るだろうと予感していた。せめてもう少し、せめて炎極魂が体に馴染むまで遅れてくれれば――そんなことを考えながら、虚空は笑った。
「やはり来たか」
 才戯は牙落刀を大地から抜き、虚空に向かって体を少し逸らした。
「どうした、まるでカナリアでも喰ったかのような顔して」
 わかっていながら、才戯は首を傾げる。虚空は彼から離れた位置に飛び降りた。
「鼻の利く男だな」僅かな焦りを隠して。「だが、俺はカナリア如きで喜ぶほど貧しくはないぞ」
「あ、そう。お前に取っちゃカナリアより、いつもの生ゴミの方が豪華ってことか」
 虚空は笑みを消す。代わりに才戯が目を細めた。
「無理しないで好きなもん喰ってたほうが体にいいぜ。腹下す前に……」
 才戯は牙落刀を構えた。虚空は全身の神経を集中させる。
「天の宝、俺がもらってやる」
 才戯の速さは虚空でも捕らえにくいほどのものだった。虚空は振り下ろされた刀を回転して避けた、つもりだった。しかし右の翼の先が落ち、黒い羽と一緒に血が飛び散った。虚空は激痛で顔を歪める。以前会ったときよりも才戯の妖力が増している。どこまで侮れない男なのだと牙を剥きだした。
 続けて羽の根本から落とそうと、才戯は右足を軸に素早く方向を変える。しかし、目の前で起こった現象に動きを止めた。
 傷ついた虚空の羽から煙が上がっていた。虚空自身も自分の身に起きるそれに驚き、目を見開いた。続けて、虚空の体が苦痛に襲われる。彼は呻き、全身から汗を流して息を上げた。
 虚空には何が起きているのかが分かった。炎極魂の力で、切れた羽が再生しているのだ。久遠が受けた致命傷もそうして塞がったのをその目で見た。しかし、なんだこの痛みは。虚空は体中がバラバラになりそうな衝撃に、足を踏ん張って耐える。おそらく、まだ魂が馴染んでないせいなのだろう。傷が塞がってくれるのは有難いが、そのたびにこんなものを味合わなければいけないのかと思うと行き先不安である。
 苦痛が次第に治まっていくと同時に、虚空の羽が再生していた。元の形に復元されて傷口は癒えていく。血も止まり、虚空は呼吸を整えながらそれを見つめた。
 不思議な現象に目を奪われていたのは虚空だけではない。才戯も、隙だらけの彼に追い討ちをかけることなくじっとそれを見つめていた。そして、ぽつりと呟く。
「すげー」
 言葉にも表情にも感情は篭っていなかったが、才戯は心底驚いていた。
「それが炎極魂の力か。いいね、欲しい」
 苦痛は去ったものの、安易に欲しがる才戯に虚空は苛立ちを覚える。虚空が苦しんでいたのは一目瞭然のはず。それでも怯え一つ見せない彼の神経が信じ難かった。
 そんなことよりも、このままでは自分が不利だと虚空は思う。やはり魂が一つになるまで戦闘は無謀のようである。この場は逃げたほうがいいかもしれない。なんと言われようと、炎極魂をものにしてしまえば、その後は才戯の刀など通用しない肉体を手に入れることができるのだから。
 虚空は体を屈めて翼を広げた。逃げられると、才戯は瞬時に悟る。しかし、彼の飛翔を足止めしたのは、才戯ではなかった。
「……何!」
 虚空の体が揺れる。彼が地を離れようとした寸前に、何かが彼の足を掴んで邪魔したのだ。
 虚空が反射的に足元を見ると、自分のそれに、黒い糸がいくつも絡み付いていた。糸は地面から生えており、まるで蛇のようにうねっている。
 違う。糸ではない。これは、人の髪の毛の一部だった。髪を、まるで生き物のように操る妖怪を、二人は知っている。いつの間に彼がここにいたのかさえ気づくことができずに、才戯も構えを解いて辺りを見回した。
「おい、出て来い」
 才戯が改めて集中してみると、既に周囲の木々や地面のすべてが彼に支配されていることを感じ取れた。面倒なのが出てきたと、不快感を露わにした。
「暗簾!」
 名を呼ばれ、どこからともなく彼の笑い声が聞こえてきた。才戯と虚空はそれに翻弄されて目を左右に動かす。人を馬鹿にし、どこまでも不愉快にさせる卑劣な彼の能力には、二人も何度か嫌な思いをしたことがあった。どこからともなく現れて、何の結果も出さずにどこかへ消える。敵とも味方とも言えない、掴みどころのない彼がこの場にいた。
 散り散りだった暗簾の声が一つになった。二人がそこに注目すると、一本の大木の表面が蠢いた。ゆっくりと一部が迫り出してくる。次第にそれは色づき、人の顔、形になり、暗簾の上半身だけを描き出した。暗簾は逆さになっており、下半身と両腕、そして自慢の髪の毛の先を木の中に埋めたまま笑っていた。木の中で妖力を操っており、髪の先は地面を伝い、周辺の木々のすべてを侵食しているのだろう。才戯と虚空にはそれが分かった。既に、この一帯は暗簾に支配されているということを。
「君たち、また喧嘩してるの?」
 短い時間にカラスたちがなくなっていることに、虚空は今更気づく。暗簾が追い払ったのだ。ただ見物にきただけとは思えない。虚空は足元の髪の糸に妖気を浴びせて、乱暴に引きちぎった。暗簾は気にも留めずに彼に顔を向ける。
「虚空。お前、ほんとに酷いやつだな」
「……見ていたのか?」
 警戒心を強める虚空に、暗簾はいやらしい笑みを見せつけた。
「弱いもの虐めはよくないよ。お前のほうがよっぽど、反吐が出るね」
 暗簾の態度のすべてが虚空の神経を逆撫でする。
「同族殺しの貴様に言われる筋合いはない」
 虚空から見えそうなほどの妖気が湧き出した。それを見て、暗簾はわざとらしく肩を竦める。
「おお、怖い。そんなに睨むなよ……でも、俺はね、ただ腹が減ってただけなんだよ」

 空腹の彼が生まれて初めて寄生したのは、一番近くにいた、今まで育ててくれた親だった。
 暗簾は生命あるもののすべてに寄生することができる妖怪の一族だった。寄生妖怪は強い妖力を持つことなく、植物や動物から必要な養分を吸い取って静かに生活していた。しかしある日、暗簾が生まれた。彼はまだ物心もつかない幼い頃、何も考えずに親に寄生した。
「――だから、ただ、目の前にあった食料を食べただけ」
 あまり周囲との接触を持たない一族は、暗簾のしたことに誰も気づかなかった。暗簾は満腹の快感を覚え、一人で徘徊を始めた。そして視界に入った同族を次々と食い殺していった。そうして力をつけていくうちに、暗簾は自分たちの能力が特殊なのだということに気づいた。
 この力はただ空腹を満たすだけではない。親からは血液や水分、動力となる肉を少し摂取するだけで十分だと教えられた。確かにそれだけで何不自由なく生きていけた。しかし暗簾は力の加減ができずに、それ以外のものも吸収していった。そのたびに、見て取れるほどに自分が強く、大きくなっていたのだ。獲物の妖力までを吸い取り、自分のそれを増幅させることができると、暗簾の好奇心はどこまでも膨れ上がった。
 気がつくと同族のすべてがいなくなっていた。急激な成長を遂げた暗簾は、その時には大人になっており、高等妖怪にも匹敵するほどの妖力と妖術を手に入れていたのだ。
 仲間を殺し、自ら滅ぼしてしまったことには何の罪悪感もなかった。それどころか、暗簾は別の種族の味に興味を示した。同族ではない妖怪の力を吸収したらどうなるのだろう。もしかすると拒絶反応でも起こして体がおかしくなる可能性もあるかもしれない。それでも、暗簾は留まることができなかった。
 最初は誰もが驚いた。寄生の習性がある妖怪の存在は認知されていても、それがこれほどの妖力と特異な妖術を持って襲うという話を聞いたことがなかったからである。暗簾に寄生された妖怪はすべて殺されてきた。そのたびに彼は力を得て、どこまでも強くなった。
 一つ救いがあったとしたら、暗簾は強くなるのは楽しかったが、最強を求めているわけではなかったことである。ある程度の妖力を得ると、彼は無差別な殺戮をいきなり止めた。それからは力を「遊び」に使い始めた。今となっては魔界で彼の名を知らぬ者がいないほど、悪い意味で有名になってしまっている。
 当然、才戯や虚空も興味を示して近寄ったことがあったのだが、暗簾はまともに戦おうとしなかった。傷を負ってもヘラヘラと笑い、受けた分だけを仕返ししつつ、最後は煙に巻いて決着をつけることをしなかった。
 暗簾はただ楽しく生きていれさえすればよかったのだ。家族や仲間への情はなく、おいしいものを食べて、強い者をおちょくることが彼の娯楽であり生き甲斐だった。故に、彼の行動は先が読めない。だた面倒なだけであると、才戯や虚空は彼と関わることを嫌ってきた。
 だがこうして暗簾は自分から顔を突っ込んでくる。今も例外ではない。邪魔が入って気分を害したのは虚空だけではなかった。
「暗簾」才戯が刀の切っ先を向ける。「鬱陶しい。どうせまた茶を濁しにきただけだろう。終わったら俺が遊んでやるから、今は黙ってろ」
「へえ、相変わらず才戯は自信家だね」
「バカにするなら、お前を先に殺す」
「そんなこと言っていいのかな?」
「ふん。この森の木を全部切り倒せば、お前の妖術など恐れるに足りん」
 魔界の森は大きくて深いが、才戯なら可能だろうし、必要があれば本当にそうするかもしれない。その後のことは考えずに。
 暗簾は吸い込まれるように木の中に体を消した。大人しく言うことを聞く、はずがない。入れ替わるように、向かいの離れた大木から暗簾の上半身が浮き出てきた。今度は頭が上である。二人は酷く機嫌を損ねながら彼に目線を移す。
「でもさ、才戯でも今の虚空は倒せないかもよ」
「なんだと?」
 暗簾の言葉に怒りを覚えたのは才戯だけではなかった。暗簾が余計なことを喋ろうとしていることを悟り、虚空も小さく舌を鳴らす。
「虚空は不死の体を持ってる。どうやって殺す?」
 才戯は表情を消した。確かに、勝算があるわけではない。暗簾が続ける。
「虚空はその爪で魂を抉ることができたからこそ炎極魂を手に入れた。だけどお前にはそんな器用な技はないだろう?」
「……何が言いたい」
 迷いが生じた才戯に、暗簾は不適な笑みを浮かべた。しかし、やはり彼はまともな受け答えはせずに舌を出した。
「別に」
 才戯は苛立つ。今までも何度か、こうして挑発されてはからかわれただけで終わったことがあった。暗簾が何を考えているのか分からないが、周囲を妖気で囲んでいるだけなら害はない。このまま問答していても虚空を殺す手段は見つからないのなら、手探りで考えるしかない。バカはもう無視しようと、才戯は改めて虚空に向き合った。
「あれに構うと碌なことがない。そう思わないか」
 同意、だが、虚空は今、才戯と真っ向勝負ができる自信がない。それに暗簾も炎極魂を狙っているに決まっている。このままではまずい。表情には出さずに考えていると、返事を待たずに才戯は刀を振り下ろしてきた。
 今度は綺麗に躱したが、すぐに刀が振り上げられ、虚空はそれも体を逸らして除けた。
「なんだよ」才戯がぼやく。「やる気ないな。まさかほんとに腹を下したんじゃないだろうな」
 くだらない冗談に付き合っている余裕はなかった。暗簾と才戯の二人を同時に気にしていたら勝ち目は確実にない。虚空は冷静に考えた。才戯との力は同等。傷さえ負わなければ、再生のときに起こる現象さえ避ければこの場は凌げるかもしれない。それに賭けるしかないと思う。
 改めて、虚空は宙返りをして才戯との距離を取る。一瞬、足元がふらついた。こんなことは初めてだった。虚空の心が乱れる。二人がそれを見逃すはずがないのだから。
 才戯が見下したような笑みを浮かべる。
「……やっぱり、慣れないモンに手を出して具合が悪いようだな」
 虚空は目尻を揺らす。いっそ炎極魂を手放そうかとまで考えるが、それは早計過ぎると取り消した。いつまでも醜態を晒しているわけにはいかない。不死の魂を手に入れたのだ。勝算はあるはず、と羽を揺らした。
 ひとつひとつが刃ほど硬く鋭い羽が、大量に才戯に向かって飛んできた。前触れもなしに攻撃されても才戯は動揺せずにすべてを刀の一振りで弾き返す。ぐっと足に力を入れて屈み、その反動を利用して虚空の胸元に飛び込んだ。狙いは心臓。当たれば炎極魂ごと貫いてしまうということも考えず、ただ真っ直ぐに刃先を突き出した。
 先ほどの攻撃で才戯の速さを記憶していた虚空は、今度は低く飛んで躱す。前のめりになった才戯と水平に重なるかのように虚空が羽を広げた。その至近距離で再度鋼の羽を発射する。今度は除けることも、弾き返すことも不可能。虚空の予想通りに、体を捻った才戯にすべてが刺さり、血が流れた。しかし、才戯は除けられなかったのではなく、除けなかったのだ。刀で斬り返すことはせず、それを地面に刺して体を支え、強烈な回し蹴りを彼の首に入れる。
 視野が狭くなっていた虚空は、刀以外での攻撃を予想できずにまともに食らう。首の骨が嫌な音を立て、体は地面に叩きつけられた。
 才戯が体制を整えながら刺さった羽を抜き取っていると、再び虚空の首元から煙が出た。この程度の衝撃ならいちいち治さなくても耐えられるのにと、虚空は炎極魂の力を忌々しく思う。
 しかし先ほどのより効力が弱かった。息を上げながら急いで立ち上がる。
 やはり今はあまりにも立場が悪い。逃げよう。今度こそ。
「……あーあ」
「!」
 また暗簾が口を開いた。だが彼の姿がどこにもない。二人が周囲を見回す中、暗簾の声だけが響く。
「ダメじゃないか、才戯。さっきのが当たってたら宝ごと死んでたかもよ」
「暗簾、どこだ」
 彼の姿はないが、周囲に張り巡らされた妖術は生きている。どこに消えた。妖力を探ろうにも、この一帯に蔓延しており、特定することができない。どこまでも面倒な奴だと、才戯は苛立つ。
 そのとき、虚空が顔を歪めた。才戯はそれに気づき、暗簾を探すのをやめる。彼がどこにいるのかが分かったからだ。
「まったく、君は手がかかる男だね」
 暗簾の声は、虚空から聞こえてきていた。かの虚空は歯を剥きだして自分の胸を押さえ、苦み始める。
「たまには違う芸も覚えなよ。こういうときはね……」
 虚空の胸元が揺れる。次第に突き出し、そこから赤い、光るものが浮き出てきた。
「……こうするんだよ」
 虚空の胸から、まるで植物が芽を出すかのように暗簾が顔を出した。そのニヤけた口の中には、炎のように揺らめいている炎極魂があった。
 呻く虚空から、暗簾は上半身を出して笑った。
「……クソ。離れろ」
 虚空の体は才戯に寄生され、完全に自由を奪われていた。不愉快なのは彼だけではない。才戯も目を釣り上げて暗簾を睨み付ける。
「何のつもりだ」
「強けりゃいいってもんじゃないんだよ。何かが欲しいときは、頭を使わなくちゃ」
 暗簾は一度体を縮め、力を入れて虚空から飛び出した。ここで初めて全身を現した暗簾は口の中から魂を取り出して胸元にしまう。
 炎極魂を奪われた虚空は、体のどこにも力を入れることができず、崩れるように倒れた。まだ魂が融合していなかったのは救いだったのか、命までは失うことはなかった。しかし痛手は大きく、今までにない無様な姿を敵に晒すしかない自分を恥じた。
「よこせ」
 虚空には目もくれず、才戯の標的は暗簾へと変わっていた。
「ちょっと考えさせてくれる?」
 暗簾は地につけた足元から地面を通して、周囲に張った髪の毛を回収していた。
「不死の体には興味あるけど、虚空を見てたらちょっと不安になったし」
「ふざけるのも大概にしろ。貴様のような寄生虫がそんなものを持ってどうする」
 才戯から殺気が突きつけられ、暗簾は今までの緩い笑顔を恐ろしいものへと変えた。
「は! 殺すしか脳がないくせに。お前は寄生虫以下の単細胞か何かだろ」
「なんだと……!」
「欲しいなら盗ってみろ」
 暗簾は言い捨て、地面に潜った。彼の妖気を辿り、才戯は後を追う。
 見捨てられたかのような惨めな虚空は、薄れる意識の中で彼らの背中を見送るしかできなかった。
 ただ、命までは奪われなかった。それは虚空の執念を増幅させる結果となる。
 天の宝。噂だけではなく、本物を目で見、手にした。次はもっと慎重になり、時と場所を選べばきっとものにできるはず。いつか必ず、炎極魂を手に入れてやると強く心に誓い、今はその場で地に体を預けた。